2度目と、1度目の春
まだ夜も更け始めたばかり。
私はシオンの1年間を読み終えた。
アカネとの出会いに始まり、アカネへの恋心の自覚の場面で終わっている。実際には数か月も経っていない期間の内容の次のページの中央に小さく「2年目」と書いてあった。
きっと、本の中の私にとって記すべき出来事が訪れるのが、その2年目なのだろう。最初の1行に「春」と出てきているから、アカネと出会ってから1年後の、春。
ページをめくる指も、文字を追う目も、震えていないし、ぶれていない。本を開く前は何も知らなかったけれど、今は「アカネ」の顔が自分の記憶として思い出せるのだ。だから、ここからは。
「私の身に、何かがあったに違いないのです。それが、ここには書かれているはずだから」
私はシオンの2年目へと、脚を踏み入れた。
※※※
シオンにとってこの春は、2度目であり、1度目だった。高等部に進んで2度目の、そしてアカネと過ごすようになってからは1度目の、それは春。
「ほら、アカネ。新学期なのですから、遅れてはいけませんよ」
「わ、分かってるって。ちょっと待って……!」
現在から半年以上を遡る豊穣祭をきっかけに、シオンとアカネは単なる友人以上の絆を得た。そしてシオンは、ハンナやアイリとより親密な友人として接するようになり、アカネもまたロッテを始めとしたクラスの友人たちを作っている。
実力試験の、アカネの「魔法騒動」は、もはや遠い彼方だった。
「ああ、風紀委員の誘い断ってよかった……」
「――今からでも、間に合うと思いますよ?」
「無理だよ。わたし、ああいうの苦手だし」
「私も、自分を律することには慣れていますが……風紀を守るとなると、上手くできる気がしませんね」
豊穣祭からしばらく経って、シオンとアカネは学院の最優秀コンビとしての評判を順調に勝ち取っていった。しかし、最高の座は他にいて、それこそが風紀委員会である。委員長は言うまでもなく、副委員長2人組もまた、非常に優秀な学院生。
そんな風紀委員会から委員に入らないかという誘いを受けたことがある。
「それに、風紀委員会になんて入ったら、わたしの魔法を使う機会が減っちゃいそうだしね」
今ではアカネはシオンとの部屋だけでなく、時折アイリの親戚のカフェが休みの時、4人で貸し切ってお茶をする時にも自由な魔法を使っている。その多くが、実力試験の時のような実用性のない、芸術的なものではあったが、それでも誰かに見られるわけにはいかなかった。
風紀委員会に入りでもしたら、寮の部屋ですら安心して使うのは憚られるだろう、と。
「それにしても、ロッテさんが風紀委員長の妹さんだったとは意外でしたね」
「うん。わたしもロッテから聞いた時はびっくりしたよ」
寮から学院へは歩いて数分の距離で、そこまで焦らずとも遅刻はしないのだがシオンは早く登校したがった。癖、とアカネに説明したが、本音を言うとそうでもしないとアカネと一緒に居られる部屋でいつまでも過ごしたくなってしまうからだ。
他の学院生に並んで歩きながら、アカネは頬を掻いた。
「確かに、ロッテと風紀委員長のヒュッテさんって、名前の響きが似てるから。見た目は――あんまり、だけど」
「そうですね。ただ、ロッテさんはあまりお姉さんのことを話したがらないように見えますが」
「そうかな」
風紀委員長、ヒュッテ。
2人は風紀委員会に誘われた際に一度会っているが、相対しているだけで彼女の言うことに素直に従ってしまいたくなるような、統率者の風格があった。三つ編みおさげが特徴的なロッテと異なり、長い髪を左から背中に流し、額を見せるその髪型。怜悧な
男子生徒2人の副委員長よりも上背がある。性別を問わず人目を引く印象の人物だった。
「噂にしか聞いていませんが、とても素晴らしい方だと」
「うーん……だから、なのかな」
「というと?」
「いや、あまりにすごい人がお姉さんだと、妹のロッテは色々あるのかなって」
「……ああ、なるほど。確かに、それは難しいところですね」
2人がロッテたち姉妹について話しているところに、「あっ、シオン様!アカネ様!」おなじみの声が聞こえてきた。振り返ると、ハンナとアイリだ。声をかけてきたのはアイリの方で、2人に駆け寄って来る。
ハンナも後から続き、いつもの4人に落ち着いた。
「おはようございます、シオン様。アカネ様。ずいぶん早いですね」
「おはようハンナ~聞いてよ、シオンがさぁ、遅刻だよってせかすから急いで準備したらまだ全然余裕あってさ」
「おはようございます、ハンナ。アイリ。言っておきますが、ああでもしないと起きないアカネが悪いのですよ」
「はは、ほんと相変わらず2人って仲良しだよねぇ」
ハンナとアイリもまた、シオンたちの傍にいることから学院の中ではそれなりの有名人なのだが、本人たちは全く気にしていないようだった。もともと、シオンを陰ながら応援したい、という気持ちが強かった2人だ。
砕けた関係になっても「様」をつける、つけたいという2人は自分たちが注目の的になることなど大きな問題ではないのだろう。とはいえ、ハンナあたりは新たな問題の種がないか目を働かせていそうだな、とシオンは内心で眉を寄せた。
出来れば、あまり迷惑はかけたくないのだが。
「そういえばさっき、学院に急いで走っていくロッテを見かけましたが、アカネ様は何か知っていますか?」
「ロッテが?いや、わたしたちは見ていないからなにも知らないけど……どうしたんだろう」
「確かに、あの子があんなに急いでいるのは珍しかったね」
ロッテもシオンほどではないが自分に厳しい一面があり、よほどのことでも起きない限り、朝遅刻するなどあり得ない性格だ。そんなロッテの様子がシオン達は気にかかったが、そうこうしているうちに何事も起きることなく学院に着いてしまった。
学院生自体の数がそれほど多くないこともあり、学年が上がってもクラスメイトたちの面々や教室が変わるわけではなかったが、それでも、新学期が始まるこの瞬間は緊張する。4人はそれぞれ顔を見合わせて、くすりと噴き出した。
「色々あった1年でしたが、今年もよろしくお願いします、皆さん」
「わたしも、皆のおかげで元気になれた1年だったよ。今年もよろしくね」
「私は、シオン様やアカネ様とこうして仲良く出来るとは思っていなかったので、これからの日々もとても楽しみです」
「ウチも!皆との時間が好きだから、高等部2回目の春も張り切っていくよ!」
ああ、何事も起こらずに平穏な生活が送れますように、と。
シオンのその希望は、数十分後に砕かれることになるのだった。
~~~
教室に入ったシオンたちはその後、つつがなくミドリ先生の連絡を聞き、新学年の最初の朝を終えようとしていた。ミドリ先生と目が合ったシオンは、他の学院生たちに悟られないように視線で挨拶を交わした。
実は、昨年の冬にシオンはミドリ先生と2人でアカネについて話していたのだ。その際に、ミドリ先生に「アカネをよろしく」と頼まれていた。シオンは2人の髪の色のことも、その関係のことも聞かなかったが、ミドリ先生がアカネを想う気持ちに嘘が無いこと、それから――
自分がまだミドリ先生へ憧れる気持ちがあることから、しっかりと頷いてみせた。
(まあ、先生に言われなくても私はアカネの傍にいることを選ぶと思いますが)
この日は授業が少ないためか、朝から弛緩した空気感の漂う教室の中に、突然誰かの足音が響いた。教室の床を割らん勢いで鳴る足音に肩を跳ねさせたアカネだったが、その人物が怒っているのではなく、焦燥から転がるように走って来たのだと知って、表情を改めた。
そう、その足音はロッテのもので、他らなぬアカネのもとへとロッテはやって来たのだ。
「あ、アカネさん!大変です、すぐに逃げてください……!」
「――え?」
どんな時でも声を荒げることがないロッテが珍しく叫ぶものだから、教室中の注目を浴びてしまった。一瞬たじろいだロッテだったが、すぐに頭をぶんぶんと振って、机に両手をつく。
アカネにぐいっ、と顔を寄せて、ロッテはこの世の終わりのような表情を浮かべた。
「大変なんです。このままじゃ、あの人が……」
「あの人?」
「姉さまが、来てしまいます」
ロッテの、姉さま。
つまり、ヒュッテ風紀委員長だ。
「ちょ、ちょっと待って。ヒュッテ風紀委員長がここに?それになんでわたしに逃げろって……何かあったの?」
「ええと、事情は後で説明するので――」
「ここに、アカネという者はいるだろうか」
ロッテが言い終わる前に教室に凛と響いた声に、ロッテを除くその場の誰もが心を奪われた。それほど声量があったとは思えないのによく通る声、目が吸い込まれるその立ち姿。
あれこそ、風紀委員長ヒュッテ、ロッテの姉だ。そんな姉を前に、ロッテだけはさっと机の影に隠れてしまった。
「すみません、アカネさん……この場に私は居ないことにしてください……」
「え、ええ?」
アカネだけでなく、シオンやハンナ、アイリもまた困惑しっぱなしだったが、ロッテの焦燥感の滲む声にとりあえず頷いておいた。ロッテはちょうど椅子と机の隙間に身を隠し、ヒュッテから死角の位置に潜り込んでいる。
何事だ、と騒ぐクラスメイトたちの視線はおのずとアカネに集中し、ヒュッテもほどなくしてアカネを見つけだした。これが魔法騒動の直後だったらもう少し重たい雰囲気だっただろうが、今やアカネはシオンと共に学院の有名人の1人だ。風紀委員長が直接訪ねてきて、興味津々の様子だった。
「ふむ。ここにいたのか。探したぞ、アカネ」
「は、はい。ええと、その委員長?わたし、何かしてしまいましたか?」
「ふん……自覚があろうとなかろうと、それは些事にすぎんな。結果的に君は私の障害になったのだから。それに今の私はここには風紀委員長ではなく、ヒュッテ個人として、君に伝えたいことがあってやって来たのだ」
「ええと?それはどういう……」
アカネは最初、ヒュッテに気圧されて座ったまま対応していたが、話の雲行きが怪しくなってきたこともあり、シオンをかばうように立ち上がって一歩、ヒュッテに近づいた。ただでさえ同年代の平均よりもやや低いアカネがヒュッテと並ぶと、身長差が顕著に表れたが、ヒュッテの堂々たる立ち姿に負けないくらい、アカネもしっかりと向き合っていた。
その場面だけを見れば学院の天才と希代の風紀委員長との邂逅で済んだが、風紀委員長の固い表情がそれだけではないと物語っていた。
「何、そう難しいことではない。放課後、運動場に来て欲しいのだ。私、ヒュッテから君、アカネに対して、一対一の決闘を申し込む」
「……………ええ!?」
その驚愕はアカネだけのものではなく、その場にいたヒュッテとロッテ以外の全員のもので――
「……はぁ。本当に、姉さまは」
その呟きを聞いたシオンとアカネは、顔を見合わせてしまったのだった。
今朝話題に出していたヒュッテとまさかこんなに早く、しかも決闘などとという形で再会するとは夢にも思わず、二の句が継げないでいるアカネの沈黙をどう取ったか、希代の風紀委員長は颯爽と踵を返して去って行った。
「逃げてくれるなよ」
そう、言い残して。
ヒュッテが去った後の教室に訪れた沈黙は深いため息と共に机から這い出して来たロッテによって破られた。事情を知っている風だったロッテの話を聞くために、シオンやアカネ、ハンナとアイリたち4人の他、多くのクラスメイトたちがやって来る。少し話しにくそうではあったものの、ロッテは観念して口を開いた。
「……姉さま、えっと風紀委員長は、学院の天才であるアカネさんに敵対心を抱いているの。それで、昨日私に言ってきたんだよ――『明日、アカネに決闘を申し込む』って」
「ま、まってロッテ。ウチが聞き逃しただけかもだけど、そしたらシオン様じゃなくてアカネ様である理由は?」
「そうだね……アイリの言う通り、シオン様とアカネ様の実力は同じくらいだから、アカネ様がヒュッテ委員長に敵対心を抱かれる何かがあったということになる、けど」
「――それは」
そこで言葉を切ったロッテは、一度シオンを見て、それから唇を引き結んだ。なんだろう、とシオンが尋ねるよりも前に、ロッテはそっとアカネを見つめる。
その眼差しは普段のロッテよりも少し弱々しく見えて。
「それは、私にも分からない。でも私はアカネさんに勝って欲しい。そしたら姉さまも落ち着くと思うし、それに――」
「……ロッテさん?」
ロッテと目が合ったシオンだったが、
「……とにかく大事なのは、姉さまが本気だってこと。たぶん、副委員長カップルの2人も巻き込んで、表向きには決闘じゃなくて風紀委員長と学院の天才の模擬演習ってことで状況も既に作ってると思う」
ロッテに何かを言われることもなく、淡々と事情説明が続いた。
決闘、と聞いた時には何が起きるのか分からなかったが、ロッテの推測を聞くに恐らく魔法実技の試験にもある、的当て競技の演習の得点を競うという内容だろう。これならば、なるほど天才の腕と最高の風紀委員長の腕、確かめるには持ってこいだ。
事情を説明し終えると、クラスメイトたちの1人が言った。
「なるほどな……まあ決闘とか、深く考えずに俺はアカネ様を応援してるぜ!放課後、見に行くよ」
「私も、絶対応援するからね!」
それを皮切りに次々に応援の言葉を貰ったアカネは複雑な表情のまま「ありがとう」と返していたが、最後の1人――ロッテが目の前に来た時に、眉を下げた。
「……ロッテ、今からでもお姉さんを説得出来たりとか」
「ごめんなさい、アカネさん。それは――厳しいと思う。姉さまはこうと決めたら絶対曲げない、から」
「そうですか……風紀委員長も難儀なものですね。もしかして、朝ロッテが急いでいたのは」
「ハンナには見られてたんだ……うん、そう。アカネさんたちを探してた。姉さまが教室にやって来る前に、大事にせず何とか内々に済ませる方法を考えられればと思ったんだけど……」
肩を落とすロッテに、アカネは首を横に振った。
「大丈夫、気にしないで。わたしには、ロッテもそうだし、シオンや、ハンナやアイリ……皆が居るし。もう、あの時とは違うから」
「――!あ、アカネさん」
それは、言わずとも伝わった。
魔法騒動の時のように、自由な魔法を使ったりはしない、と。
「とにかく、委員長の話はなんか勝手にって感じだけど進んじゃってるっぽいから、わたしに出来るのは全力でやることだけだよ。勝負内容が魔法なら、絶対負けたくないしね――ね、シオン?」
「ふふ、そうですね。私が一番近くで応援してますから」
「………シオン様は、少し離れていた方が、いいかもしれませんが」
「――えっ?」
「あっ、い、いえ、その。姉さまの標的がいつシオン様に、その変わるか。分からないので」
ロッテの鋭利な声色に目をしばたたかせたシオンだったが、続く説明に納得する。そういえば、ヒュッテの狙いがまだ分かっていないのだ。自分まで巻き込まれたら、さらに大事に――
「でも、アカネと一緒に戦えるなら」
「ふふ、大丈夫だよシオン。シオンが見てくれるなら、わたしは絶対負けないから」
「あー、と……お2人とも、仲が良いのは素敵なことですが、一度断った風紀委員会の誘いですけど、ヒュッテ委員長は今回の決闘で引き抜きを条件に戦ってくるかもしれないのですよ。私はその可能性は、あると思います」
「……あ」
その言葉に、シオンははっとした。そうか、ヒュッテも副委員長たちも最高学年。2年生であるシオンとアカネが、学院でも指折りの優秀な人材であればこそ、風紀委員会を引き継ぎたいと行動を起こしてもおかしくない……だろうか。
風紀委員会はなにも、才能がなければ入れないわけではないだろう。あのヒュッテの人望があれば、アカネほどではないかもしれないが、優秀な人物は多く在籍しているはずだ。だから、こういった形で自分たちが引き抜かれるというのは、少し腑に落ちない気もする。
「いずれにせよ、放課後になってみれば分かることだよ。皆、ありがとう」
決闘を申し込まれた当の本人がそこまで深刻にしていないため、ロッテを含めた面々はそれぞれ労いの言葉をかけて、席へ戻っていった。隣に残ったシオンは、机の下できゅっ、とアカネの手を握る。
微かに震えていた、その手を。
「……大丈夫ですよ。私がいますから」
「――うん」
シオンは、アカネにだけ聞こえる声でそう告げると、そっと手に力を込めた。傍に居る、と言葉で示さずとも伝えられると、この1年で学んだことだ。
それも、アカネが居たから知ることが出来た。
「ねえ、勝てたら久しぶりにご褒美ちょうだい」
「……し、しょうがないですね。分かりました」
――こうして、希代の風紀委員長との決闘が決まったのだった。
新学期早々、望んだ平穏が遠のいてしまったな、とシオンは目を細める。
~~~
あっという間に放課後がやって来てしまった。
シオンはアカネ、ハンナ、アイリ、ロッテと共に運動場へやって来たが、そこには既に多くの学院生が観客席に座っていて、今か今かとその時を待ちわびている。ヒュッテの人望もさることながら、アカネの人気もまた確かなものがあった。
「ふむ、逃げずに来たことをまずは賞賛しておこうか」
「ヒュッテ、あまり後輩をいじめてはいけない。それに今回は君が無理やり企画したものだろう……」
やって来て早々、アカネを挑発したヒュッテだったが、アカネが反応する前に別の学院生が仲裁してくれた。
他の男子生徒よりも長身と思われる、刈り込んだ短髪に眼鏡を掛けた男子生徒がヒュッテに苦言を呈してくれたようだ。その彼よりもやや背が高いのだから、ヒュッテに憧れる学院生が多いのもうなずける。
彼こそ、副委員長カップル、と言われる2人組の1人、アレンである。
「まあまあアレン、その辺にしておいてやってよ。この決闘というか模擬演習を通すのに僕がどれだけ頭下げたか、ヒュッテにはさんざん説教したんだしさ」
「……私のやり方でも何も問題はなかったはずだが」
「それでも、風紀委員長ともあろう者が公私混同してちゃいけないんじゃないの?」
アレンに続いてヒュッテをたしなめたのは、後頭部で長い髪を団子にまとめた髪型に、深い緑の紐状の装飾を下げた男子生徒で、副委員長カップルの片割れ、ダンその人だ。アレンとダンは恋仲にあり、学院では「副委員長カップル」として有名である。
冷徹な印象のアレンの方が、フランクに見えるダンよりも風紀に対しては鷹揚で、時に厳しすぎてしまうダンを引き留めることもしばしばだ。反対にダンはアレンが苦手な交渉術に長けており、学院内のもめごとの多くはヒュッテの元に届く前にダンが解決しているらしい。
「まあヒュッテへの説教はこれくらいにして、ようこそ。アカネ。それから、シオンと、ああ、ロッテちゃんも。いらっしゃい」
「こんにちは。ええと……」
「無理もない。急に呼ばれてこの騒ぎならば、俺やダンでさえも困惑してしまうだろう。今回は委員長のわがままに付き合ってくれて、感謝する」
何か、アレンとダンはロッテの知らない事情を知っていそうだったが、この場でそれを問いただすのは難しそうだった。
なぜなら、ヒュッテが拡声の魔法を使ったから――もちろん、設計図に基づく。
「皆!よく集まってくれた!此度は私、風紀委員長であるヒュッテと、皆もよく知っているであろう学院の天才、アカネの模擬演習を行う運びとなった!私ももう、この学院に居られる時間は限られている……アカネとの演習は私にとっても学院にとっても、有意義なものとなるだろう!」
ヒュッテの宣誓に湧く会場だったが、ヒュッテの背後、副委員長カップルを含めた面々は渋い顔つきだった。中でも一番顔をしかめているロッテが、ヒュッテに聞こえないようにそっと呟く。
「……とか言って、姉さまのあれは完全に私情の後付けですね」
「ああ、全くだ。僕がいなかったら10は規則違反をしていたよ……」
「な、なんかロッテも副委員長さんたちも大変ですね……」
目的の分からなかったヒュッテの決闘を前にヒュッテの印象ががらりと変わりそうだ。シオンはげんなりと相槌を打ったアカネに半歩近づいて、その肩を叩いた。
振り向くアカネは、けれどシオンが思ったよりも表情を崩していない。
「……どうしたの、シオン」
「いえ。その、応援してます」
「――もしかして、視線、心配してくれてた?」
「……はい。これだけ、大勢いますから。教室が大丈夫でも、もしかしたら、と」
「ありがとう。でも、自分でも驚いてるけど、全然大丈夫みたい。なんでだろう……皆、わたしと委員長の模擬演習を楽しみにしてくれてるのが、伝わってくるから、かな」
「それなら、よいのですが……無理だけは、しないでくださいね」
そう言って笑みを交わしたシオンは、アレンに呼ばれてアカネから離れていく。ここからは、アカネとヒュッテの一対一の対決になるからだ。
アレンはシオンとアカネを見比べて何かを言いかけたようだが、ダンが首を横に振っていた。何だろう、と思っていると、アレンが眼鏡をくい、と上げながらシオンに近づいて来た。
「うちの委員長がすまない。俺も、止められれば良かったのだが」
「あ、いえ。こちらこそ、色々と用意していただいてありがとうございます。アレンさんと、ダンさんがいなかったらもっと殺伐としていたでしょうから」
「ふふん、なに、僕にかかれば朝飯前だよ!それよりもシオン、残念だなぁ。君は本当に素晴らしい学院生だから、卒業前に一緒に風紀委員の活動がしたかったよ」
「……ご期待に沿えず申し訳ありません。ですが、以前お伝えした通り――」
「こら、ダン。冗談は人を選べと」
「あはは、ごめんね、シオン。大丈夫大丈夫、本当に無理強いはしないから」
ダンとアレンとも、風紀委員会に誘われた際に会話を交わしており、中でもシオンは風紀を重んじるダンにとても気に入られていた。ハンナやアイリに言わせれば、
『シオン様は自分を律して努力してきた素晴らしい人なんだよ!』
『学院の風紀の体現という意味では、ダン副委員長でさえシオン様には敵わないでしょう』
――とのことだ。
いくらか私情が入っている、とシオンは思うのだが、ダンはこの評価を訂正していない。冗談とは言っているが、本気で残念がっているようにも見える。
「シオン様、始まりますよ」
「はああ、ウチ、なんか緊張してきた……!」
シオンは副委員長たちに会釈をして、ハンナとアイリ、ロッテの元へと駆けて行った。ヒュッテにはダンとアレン、アカネにはシオンたち4人が観客席ではなく決闘をする2人の傍に居ることが許されている。
アカネの後ろ姿、緋色のシュシュでまとまったツインテールが風になびく。その凛とした佇まいに、シオンは温かい感情で満たされるのが分かった。きっと、アカネならあの風紀委員長にも――
「では、両者構えてください」
審判の風紀委員のその声で、2人が構える。
「アカネ、全力で来るといい」
「言われなくても」
深く、深く息を吸った審判が、空気を裂くような声で告げる。
「はじめ――ッ!」
今、希代の風紀委員長と学院の天才との決闘が、始まる。
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