認めたくない想い

 私は口元を押さえながら、部屋を見回した。教員用の部屋は、生徒たちの使う部屋と異なり1人ひと部屋だ。寮の部屋が広く見えるのも仕方がない。

 視界に、あり得ない景色が重なりかけて、私は目を覆った。同じベッドに腰かけて談笑する空色の髪と夜色の髪。暗い部屋に踊る焔の少女。天井に波打つ夜空に散らばった星々の輝き。


「……嘘、ですよね」


 今の私に確かにあるがそれを見せているのか、の情景を浮かべているだけなのか。続きを読めば、それも分かる。

 分かっているから、私はこの胸の痛みに顔を歪ませながらも、またページをめくる。



※※※



 アカネと共に初めて登校した日、シオンはひどく緊張していた。ハンナとアイリがついてきてくれなかったら、きっと土壇場でしくじっていただろう。

 教室に入ると、まずシオンに注目が集まった。そして、その隣にいるアカネにはシオンにも分かる、忌避の視線が注がれる。さりげなく視線を遮るようにアカネの前に立ったシオンは、教室を見回して言ったのだ。


「今日から、アカネは私、シオンが共に歩みます。アカネほどの才能をこのまま捨てさせてはなりません。私が、道を外したアカネを必ず、正しい在り方へと導いてみせます。私が誓って、もう二度とアカネにあのような真似はさせません」


 アカネたちが分かってくれているとはいえ、嘘をつくのはやはり嫌いだ、と冷え切った内心で独り言ちたシオン。この宣言が上手くいったおかげで、クラスメイトたちがアカネを受け入れるまで時間がかかることはなかった。

 シオンの宣言から1週間が経って、シオンはその効果を実感していた。


「アカネさん、おはようございます」

「あ、ロッテさん。おはよう」


 注がれる視線が和らいだことは、すぐに分かった(少し前のシオンはその鋭さにさえ気づいていなかったが)。それだけではなく、アカネに毎朝挨拶をする生徒が出来たのだ。

 ロッテという彼女は、三つ編みおさげが特徴的な生徒で、シオンにアカネの隣にいることを咎めた張本人でもある。ある意味、ロッテのおかげでシオンはアカネと友人になれたとも言えた。

 もっともそれは結果論で、ロッテにそのつもりはなかっただろうけれど。


「……シオン様も、おはようございます」

「え、ええ。おはようございます」


 ロッテはアカネに対しては柔らかい微笑みを向けるが、シオンにはどこか冷たい声色だった。気にならないと言えば嘘になったが、シオンやハンナ、アイリ以外の生徒とアカネが仲良くしているのは良いことだ、とあえて触れずにいた。

 ロッテも、真面目な良い子だと思うから。


「シオン様、ロッテさんのこと……大丈夫ですか?」


 シオンの宣言以来、ハンナとアイリは教室内でもシオンたちの近くの席に座るようになった。こうしてシオンやアカネを想って声をかけてくれることが、シオンは素直に嬉しい。

 アイリはロッテを含めてアカネと3人で談笑しているようだった。


「お気遣い、ありがとうございます。私は、大丈夫ですよ?」

「……そうですか。いえ、気にし過ぎでしたね」


 ハンナはそう言うと、アカネからアイリを引っぺがして自分の席に座らせた。いつの間にかミドリ先生が教壇に立っている。

 ちら、とミドリ先生を窺うと、他の生徒にバレないようにそっと頷いてくれた。彼女にも事情を説明してある。心強い味方だ。


「……シオン、ありがとね」

「――アカネ?」


 隣に座るアカネがシオンにだけ聞こえる声でそう呟く。顔は前を向いたまま。 

 どう返そうか迷ったまま、ミドリ先生の号令が飛んできて、1限の授業が始まってしまう。慌てて筆記用具を取り出すシオンの傍ら、楽しそうに笑うアカネの吐息が聞こえてきて。


「それは、こちらの台詞ですよ」


 シオンは、自然とそう零したのだった。



~~~



 思い出すのに時間がかかったのは、あの時のアカネとの日々が、今や遥か昔にあるからだ。それでも鮮明に残っていたのは、私にとってアカネがそれだけ大きな存在だったからだろうし、何より、私に初めてをくれたアカネの言葉だったから。

 出会ったばかりの距離感よりも、アカネと寮で同部屋になってからの時間の方が長くて、だから、私にとっては――



「シオン、ねぇってば」

「……な、なんですか?」

「ここ、教えて~?」


 シオンには分かってきたことがあった。学院に来たばかりのアカネ、試験前後のアカネ、そのどちらもアカネの素の表情ではなかったのだと。

 彼女の心を苛む視線がなくなり、シオンやハンナ、アイリという居場所を手に入れたアカネのふるまいは自然体に見えて、それには安心している。けれど。


「あ、あの、アカネ。周りの目があるので」

「ん?何も変なことはしてないけど……」


 アカネはシオンに肩を寄せ、開いた教科書の隅を指さしていた。正直アカネに教えることはないと思っていたシオンは、学院内でこうした会話をするなど想定していなかった――まして、こんなに近距離なんて。

 アカネの柔らかな髪が腕に触れる。身体が熱いのは、アカネの体温が伝わってきているからだろうか。それとも?


「そ、そうですね。ええとここは……」


 シオンは裏返りそうになる声をぐっとこらえて、耳に髪を払ってから解説を始める。こうして教室で共に勉強をする姿を見せることにはシオンの宣言を嘘にしないためにも必要なことだ。

 分かっていても、いや分かっているからこそ、


「アカネ、その、友だちというのはこんなに、その……!ち、近いものなのですか?」

「……嫌?」

「――っ!い、いやというわけでは」

「ふふん」


 得意げなアカネにシオンは目を揉んだ。息の仕方も忘れそうになるくらい緊張するのは、なぜだろう。

 この熱、喉の渇きは。


「――アカネさん、これ、落ちましたよ」

「あっ、ロッテさん。ありがとう」

「いえ。シオン様ほどではありませんが、私にも教えられることがあると思いますので、何かあればぜひ言ってくださいね」


 シオンがアカネの距離感に悩んでいると、ロッテがアカネの筆記用具を拾ってくれたようだ。シオンの後ろから、ロッテの穏やかな声が聞こえてくる。ぱっ、と離れたアカネの肩、ちくりと痛む胸に疑問を覚えながら、シオンはロッテとアカネの談笑に耳を澄ませた。

 やはり、アカネと話している時のロッテは普段と様子が違うような気がした。真面目で固い印象のロッテが、シオンを詰問した時の冷たい声が感じられない。むしろその真逆のような。

 シオンとしてはアカネのことを責めていたロッテがこうしてアカネに歩み寄っているのは素直に嬉しいものの、何かが引っかかる。人を疑いたくはないが、あの時のロッテはアカネを糾弾していた。それが、この短期間で?


「――ロッテさん。アカネは私が責任を持って導きますから」

「……そうですね。シオン様が居れば安心です。では、私はこれで」


 少し前のシオンならば額面通りに受け取る、どころかそれすらできなかったが、今ならば捉えてしまうその違和感。変に勘ぐる必要もないかもしれないと思いながらも、シオンはつい牽制の一言を放ってしまう。

 ロッテが去ったあと、アカネが机の下で袖をくいくい、と引いてきた。


「シオン、大丈夫?」

「大丈夫、とは……?」

「いや、ロッテさん、あの時シオンに、その。食ってかかってたから」

「――アカネこそ、大丈夫なのですか?私よりも、直接責められていましたよね」

「うん、それはそうなんだけど……ロッテさんからは、わたしの嫌な視線を感じなくて。だから、あの時も回りを代表して言っただけなんじゃないかな、って。それに、シオンが居てくれるし」

「……そう、ですか」


 その信頼は、重いけれど心地いい。

 ロッテのふるまいに含みがあったとしても、そうだ。アカネの隣にはシオンが居る。自分が。


「それとも、嫉妬してくれたとか?」

「なっ……!」

「はは、冗談だよ、冗談」


 にっ、と歯を見せたアカネに跳ねた鼓動。

 嫉妬、とそう言われて腑に落ちてしまった冷静な自分が、並べ立てたもっともらしい疑問を押しやって胸の真ん中に座り込む。ああ、そうか。また自分は、嫉妬を。

 あの時と違うのは、才能への嫉妬ではなく――


(才能……ぁ)


 その瞬間、脳裏をかすめたある考えに、シオンは言葉を失ってしまった。


「シオン?」

「……すみません。大丈夫、です」


 シオンはこの時、分かってしまったのだ。

 自分という人間の浅ましさを。



 急な入寮だったから、寮長さんにベッドの用意が遅れると言われた。


「だめだよ!床で寝るなんて。ほら、こっちの方があったかいよ」


 アカネにそう言われたから、アカネと同室になってからずっと同じベッドで寝ている。シオン自身、すぐ近くに誰かが居ることの温かさが心地よかったから、アカネの言葉に甘えていた。

 その日もいつも通り就寝の時間がやって来て、アカネ、シオンの順に床につく。向かい合って寝るのは恥ずかしかったから、背中合わせで。


「すみません、今日は疲れてしまったので……おやすみなさい」

「うん。おやすみ」


 普段は寝る前に言葉を交わしていたけれど、シオンはそう言って目を閉じた。本当は眠くなどなかったのに。


(……ハンナさん、アイリさん。私はやはり、愚かな人間です)


 ぎゅ、と胸の前で自分の手を握ったシオンは、己の感情に惑う。

 アカネに嫉妬、と言われた時に気づかされたのだ。少し前まで、アカネの才能に嫉妬していたシオンが今、アカネを好ましいと思うのはなぜだろう。そもそも自分はミドリ先生に、その才能に憧れて、目指していて。

 そこに現れたアカネという天才を妬んだ。それなのに、アカネの自由な魔法を――その才を見て、惹かれて。



 私は、才能さえあればだれでも良かったのか?



(……アカネ)


 胸の奥でその名を呼んで、心にしみこんでいくこの温かさは、アカネの才能ゆえだったのか。

 その考えが浮かんで、シオンは、のだ。ミドリ先生への想いという、経験があったから。


「……シオン。おやすみ」


 聞こえていたけれど、アカネのおやすみには答えられなかった。

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