墜ちた天才
ミドリ先生の箝口令におとなしく従ったのは、事が大きいと誰もが分かっていたからだ。学院史上きっての天才の評価を転入から数週間で欲しいままにしてきたアカネが、学院、ひいては王国の価値観とは相いれない「
それをみだりに口にだすことが、あるいは恐ろしかったのかもしれない。
「あっ、おはようございます!シオン様!」
アカネから徐々に人が離れていく一方、シオンは以前よりもいっそう周囲の生徒から尊敬のまなざしを浴びることになった。アカネの件があったから霞んでしまった部分もあるが、あの試験でシオンが見せた魔法は、多くの生徒たちの心を掴んだ。
普段から教室で熱心に勉強している姿を、ここ数週間はより一層励んでいたその姿を知っているだけあって、あの試験に何かを感じた生徒が多かったようだ。シオンとしては、嫉妬と感動の半々に混ざった複雑な関心がアカネにあって、隙を見て話しかけたいとずっと思っているのだが、状況がそれを許してくれそうになかった。
「……ええ。おはようございます」
偶然にも、懊悩するシオンの力ない微笑みが、空にかかる一筋の白雲のような温かい印象を与えてしまったようで、シオンに話しかけてきた生徒は言葉を失って見惚れているようだった。困ったな、と内心で頬を掻くシオンは、ふいに自分の隣が空席であることに気が付く。
『わたし、あなたと友だちになりたいんだ』
(結局、うんともすんとも言っていないし、魔法に関しても――答えを、貰っていませんね)
アカネは少し前に戻ってしまったかのように、一番後ろの席でただ1人、俯いている。あの時はただ気に入らない、ついこの前までは昏い感情も抱いていて、ああ認めよう、重い嫉妬だったと。
けれど、アカネは、あの魔法は。
「シオン様?」
「すみません。今日は、あちらの席の気分でして」
「あちらって――えっ、シオン様?そ、それは……」
自分でも、分からない。
気に入らないのに、昏い感情があるのに、あの魔法が自分の中の何かを変えてしまったようで。荷物を持って、シオンは自分に言い訳するように足早にその席へと向かった。
1人俯く、アカネの隣へと。
(ああ、そういえばアカネさん、初日に泣き出しそうな表情をしていましたね)
「おはようございます、アカネさん」
「え――あ、シ、オンさん」
アカネはシオンに声を掛けられると、びくっ、と肩を跳ねさせ、恐る恐ると言った風に口を開いた。なんだろう、この違和感は、と。
シオンは言い知れぬ不安を覚えたが、その正体を掴む前に、言葉が出てきてしまった。
「今日はここに座ってもいいでしょうか?」
「ここ、に?」
「はい」
片腕を抱き、出来れば口を開きたくないと表情で訴えながら、アカネは自分の隣の席に視線を投げた。まるで、間違いであってくれと言っているかのようで。
アカネの態度にシオンは少しむっとして――最初に友だちに、なんて声をかけてきたのはそっちでしょう、と――返事を待たずに、座ることにした。
「……どうして?」
「試験の前まで、貴方が私の隣に来ていたではないですか。ですから、今日は私から来たまでです」
ぱっ、と顔を上げたアカネの表情を、けれどシオンは始業前の準備をしていたから、見ることは出来なかった。
「――そっか」
その声色の違和感に、気づけたかもしれないのに。
シオンは知らなかった。
そして、シオンが知らないと、知っている者はほとんどいなかった。
それが生んだ、これは不和だったのだ。
~~~
妙だな、と思ったのは昼休みだった。
アカネが隣にやって来るまではアカネ様アカネ様、とクラスメイトたちから誘いがあったし、やって来てからはシオンとアカネの双方に挨拶をする生徒はいたが、
「シオン様、その!一緒にお昼ご飯とかどうですか……?」
「ええと、私はここで食べますから。ごめんなさい」
「あっ、シオン様!今日は外がいい天気ですよ!俺たちと良ければ外で食べませんか?」
「すみません。私はここで」
「シオン様――」
こんなふうに、シオンだけが何度も誘われることはなかった。
いくらミドリ先生に追いつくために社交の機会も犠牲にしてきたシオンといえど、何かおかしいなと気づくのに時間はそうかからなかった。ちら、と隣のアカネを見るとあの弱々しい笑みが返って来るばかりで、ますます分からなくなる。
決定的なことが起きたのは、シオンがアカネの隣で授業を受けるようになってから3日経った日のことだった。
「シオン様、今いいですか?」
それは始業前のこと。クラスの中でまとめ役買って出ている真面目な子が友人数人を連れてシオンとアカネの前にやって来たのだ。
本を読んでいたシオンは不穏な空気を感じたものの、「なんですか?」特に断る理由もなく、その生徒に応じた。
「その、とても言いにくいのですが。シオン様は、いいんですか?」
「……いい、とは何が?」
ぴくっ、とアカネの肩が跳ねるのが、視界の端に見えた。
「……はぁ。分かりました。はっきり言いますけど、その。アカネ……様は、この前の試験の時、あんなことをしたんですよ?」
その瞬間、シオンは頭を殴られたような気分になった。
ああ、そうか、なんで気が付かなったんだろう、と。
シオンにとって美しかったあの魔法は、この子たちにとっては魔法ですらない歪なナニカなのだ。それは、あの試験の場一回限りではなく、アカネという個人すらも関わりを持ちたくないと思わせるほどの。あの場に居たほとんど生徒にとって、あれは出来事だったのだ。
「魔法」とは、脈々と受け継がれてきた設計図を編むことであって、自ら作り出すそれは、「魔法」ですらなくて――
「シオン様ほどの優秀な人が、一緒に居るべき相手ではないと思います」
当然のことを言っているのだという表情で告げるその生徒の言葉は、シオンの胸に深く突き刺さった。
――ミドリ先生の隣に居るべきなのは、自分などではなくアカネのような天才。
かつて心に浮かべてしまったその言葉を、シオンは痛みと共に思い出した。
「……ですが、」
「それに、ミドリ先生はあの場でのことを忘れろと言ったきり何もしていない。ミドリ先生に期待されてるシオン様が、アカネの隣に居るからなんじゃないですか?」
「――私は」
何かを言い返そうとして、けれど何を言うべきか分からず片腕を抱いたシオンはアカネを盗み見て――彼女の、震えを知った。「え」指先をアカネに伸ばしかけたシオンは、次の瞬間、勢いよく席を立って教室の外へと駆けていくアカネに驚いて、何もできなかった。
追いかけることも、声をかけることも。
投げられた問いに、答えることも。
「……これでいいんです」
その生徒は満足そうにうなずき、腕を降ろすとシオンに会釈をして、自分の席へと戻っていった。残されたシオンは、血の滲むほどに拳を握りしめた。
痛みが、今は欲しくて。
(私は、何も気づかず……なんて、愚かなんだ)
シオンはミドリ先生に追いつけるのならいらないと思っていたものを、この時初めて、犠牲にしたことを後悔したのだった。
自分がもっと周りの空気を読めていたら、と胸の中で渦巻く後悔に拍車をかけたのは、ミドリ先生がアカネについて何も言わなかったことだった。あんなに親しそうにしていたのに、アカネが居ないのに遅刻や欠席について、誰にも聞かない。
目も、合わなくて。
あるいはアカネはもう学院に来ないのではないか――
(気に入らなくて、邪魔だとも思いましたが、それでも私は貴方にちゃんと勝ちたかった……こんな形で)
だが、どうすればいいのだろうか。
クラスでのアカネの扱いにすら気が付けないこの愚か者に、一体何が出来ると言うのか。
「シオン様」
「お話が、あります」
放課後、アカネの代わりにシオンだけが座っているあの後ろの席に2人の生徒がやって来た。1人はあどけなさの残る顔に神妙な表情を浮かべ、ボブカットにした前髪を気にしている女子生徒。もう1人は高い位置できつく一つにまとめた髪が印象的な女子生徒で、彼女もまた真剣な面持ちだ。
アカネの件でクラスメイトに何か言われるのではないかと身構えていたシオンはついに来たか、と顔を上げて、思い出した。
「貴方たちは……ハンナさんと、アイリさん」
ボブカットの方がハンナで、ポニーテールの方がアイリ。
彼女たちは、中等部の頃から毎朝挨拶をしてくれている子たちだ。
「……名前、覚えていてくれたんですね」
「それは、だって貴方たちいつも挨拶をしてくれていたから」
「ありがとうございます」
どこか痛みを誤魔化すような笑みを浮かべた2人はシオンにそっと近づき、まだ教室に残っている生徒たちに聞こえないように囁いた。
「――アカネ様のことです」
「……!それはっ」
「静かにしてください。場所を変えましょう」
※※※
私はハンナとアイリの発言に続く1行が黒く塗りつぶされているのに気が付いた。
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