教えてほしい

 シオンはある晩、翌日に控えた魔法実技の試験に向けて、おさらいのために魔法実技の教科書を眺めていた。学院に入学した時から使っていてボロボロの、辞書のように分厚い本。

 魔法理論や歴史の教科書はこれに比べれば薄いが、魔法実技に関しては学院の範囲における全ての魔法が網羅されているため、教科書というよりもまさに辞書や百科事典そのものだった。しおりを挟んである、今回の試験の範囲はだから、その厚さに比べたらあまりにも狭いように見える。

 とはいえ、高等部に入ったばかりの生徒たちにとっては大変な量だけれど。


「神代の時代より1000年、王国の民が築いてきた魔法の歴史の一端の記録」


 数百年前の文体で表紙に書かれたその文言を指でなぞる。シオンが勤勉に励むのは、ミドリ先生だけが理由ではなかった。9割9分ミドリ先生ではあったのものの、その歴史の、連綿と続く人々の営みのその重みを感じていたから。

 それこそミドリ先生のような教員や研究者くらいしか、以上の内容を学ぶことはないけれど。


「――アカネ」


 試験範囲のページを開きながら、シオンは眉をひそめた。あろうことか、魔法理論の授業にさえこの参考書を持ってきていなかったアカネを、シオンは何度か見ている。

 天才、と口の中で呟いてから、シオンはその苦みを噛み潰す。水を飲んで、腹の中へ押し込んで。


「負けませんよ、私は」


 学院どころか、王国でも有数の魔法の使い手であるミドリ先生を目指して来たんだ、と。

 シオンは雲一つない空色の長髪を今だけはひとつに縛って、明日の試験に備えて入念な復習を始めた。その必要がないくらい、もう頭に入っているその魔法たちを指でなぞって。



~~~



 王国では珍しい黒い髪の色。

 その優しい夜の色が、シオンは好きで。だから、アカネがミドリ先生と同じ髪の色をしているのが、気に入らない。


「全員いるね?よし、じゃあペアになって」


 魔法実技の試験は運動場で行われる。ペアになって、交互に魔法を使う。

 1人1人実力を測る試験、ペアになったからと言って2人で何かをするわけではない。王国史上初めて魔法を使った者が2人の若者だったことに由来する、学院伝統の願掛けのようなもの。

 クラスメイトたちはそれぞれ友人や近くに居た生徒と次々ペアを作っていく。シオンは普段、近くに居る生徒に協力してもらってペアを作るのだが、この日はなぜかミドリの号令がかかった途端、シオンの周りからあっという間に生徒がいなくなってしまった。

 その理由はすぐに分かる。


「シオンさん。わたしと組んでもらってもいい?」

「――アカネさん」


 シオンの傍へアカネがやって来ていたから。

 クラスいちの秀才のシオンと、今や学院いちの天才のアカネ。誰も組みたがらないのは当然だろうか、と溜息をついた。だからと言って、アカネと――いや。

 むしろこれは良い機会かもしれない。


「分かりました、アカネさん。私の隣で試験を受けてください」

「ほんと?ありがとう」


 その余裕そうな微笑みを、今に崩してあげます。

 シオンは今日この試験で、その天才の鼻を明かしてやろうと意気込んだ。しかも試験はミドリの前だ。どちらが先生の傍に立つにふさわしいかを、決める機会になる。


「よろしくね、シオンさん」


 いつもの緋色のシュシュから垂れるツインテールをひらひらと揺らしながらはにかむアカネに、シオンは背を向けた。腕を組んで、そのミドリと同じ髪色の天才に放つ。


「馴れ合うつもりはありません。私は――絶対に貴方に勝ってみせますから」


 ――と。



 ペアを作ったのが遅かったため、試験の順番も最後になってしまった。

 クラスメイトたちに囲まれ、シオンとアカネはミドリ先生の前に立つ。


「2人が最後ですね。では、頑張ってください」


 魔法実技の試験は決められた範囲の魔法の再現度を測る。魔法の行使には、大気中に溢れる魔力を、例の参考書に書かれた設計図通りに編むという手順を踏む。

 歴史を重んじる王国の教育は、この魔法の設計図を絶対視しているため、設計図に寄らない独創的な魔法を編むことは「魔法」とはみなされない。

 ミドリ先生が教員として優秀なのは、ほぼ全ての魔法を完璧に再現出来るからだ。


「はい。ではまず、私からいきます」


 転入生と言ってももともとこの学院に入る予定だったらしいし、既に成績だけで言うならシオンに肩を並べているアカネだが、一応は転入生。中等部からこの学院に居るシオンの方から、率先してやるべきだと判断した。

 小声で頑張って、と呟いたアカネに聞こえないふりをしたシオンは、深呼吸ののち、魔法を編んでいった。今回の試験はさすが高等部と言った難易度で、多くの生徒が苦戦していたが、シオンは一切の迷いなくするすると緻密に作り上げた。


「す、すごい……さすがシオン様」

「やっぱりシオン様素敵……」


 水を生み、炎と絡めるこの魔法は、複数の事象を同時に起こすという意味で高等部の入門にぴったりの魔法。参考書の「芸術」のページに乗っているだけあって、実用性は皆無に等しい。

 だが、両手で抱えるほどの大きさの水の球体を編み、その周囲に炎の網を張り巡らせたそれは、太陽の光を反射してキラキラと光る水面にゆらゆら揺蕩う炎の影が映りこんで、えも言われぬ美しさがあった。それまでの生徒たちの魔法では、炎が水に落ちてしまったり、水の球体をうまく作れなかったりした。

 しかしシオンは、完全に再現してみせ、水の球体が風にあおられてふわふわと歪んでもなお形を崩すことなく保ち、炎の網も水に触れることなく、その球体の外周をゆっくりと回転しながら囲んでいる。


「これは――シオンさん、素晴らしいです」


 ミドリ先生をしてほぅ、と息を零すほどの、それは魔法だった。


「――ッ」


 シオンはミドリ先生の言葉に気が緩んでしまわないように舌を軽く噛み、集中を保つ。一度編んだ魔法は自然消滅を待つか、こちらから解けば魔力に戻って大気中に霧散する。この魔法の真に難しい所は、複雑に絡んだ事象を1つ1つ丁寧にほどくこの局面。

 まず炎の網から、風に運ばれて飛んでいくような具合で霧散させていく。炎から魔力に変わった瞬間、赤く反射していた水面の揺れがちりちりとまばゆく光る。真昼の空の星々のような、それは美しさだった。

 網が完全に消えたのち、水の入った盆をひっくり返したみたいに、一息に球体を崩し、空中で次々にほどいていく。魔法を操るシオンの指の動きは、まるで指揮者のようだった。


「……すごい」


 誰かの呟きが、ようやくシオンの耳に届く。

 自分の試験が終わり、集中を解くと額に汗の粒が浮かんでいることに今更気が付いた。


「お疲れさまでした。では、次。アカネさん」


 これが試験でなければ、穏やかに微笑むミドリ先生に駆け寄って感想を貰いたかったところだが、そうする状況でもなく、度胸もなく。シオンの魔法の腕に見惚れたクラスメイトたちが一拍遅れて拍手をしていたが、アカネが動き出すとまたすぐに静観に戻った。

 息を整えるシオンも、それは例外ではない。実技以外の授業こそあったが、アカネの魔法を見るのはこの日が初めてだったから。天才のその魔法を、誰もが期待している。シオンもまた、息を整えて、アカネに注目を向けた。

 この空気が、試験を終える前に自分を包んでいたら舌打ちをしてしまったかもしれない、とシオンは内心で苦笑した。自分の試験を終えたシオンは、完璧に出来たという自信があった。

 今までの自分の魔法の中で、多分、いちばん。


「――よし。見ててね」


 アカネはそう呟くと、意味深な笑みを浮かべた。

 誰に向けた言葉かは分からなかったが、シオンはそれを自分への宣戦布告と捉えた。大丈夫だ、さっきの魔法ならアカネにだって負けない。

 今まで、全てを犠牲にしてきたから――


「……っ」


 息を、吞んだのは、果たして。


 アカネはくるくるとステップを踏みながら、手のひらの上にアカネの手首から肘ほどの長さの小さな人形を作りだした――水の魔法で。試験内容は、水と炎のあの芸術作品だ。しかもあんな魔法、参考書で見たことがない。

 それに、魔法には集中力がいる。あんなふうに舞いながらなど。

 アカネの動きと対になるリズムで舞う水の人形。髪型や体型はアカネをなぞっているようで、2人のアカネの演舞が、そこにはあった。アカネが左手を上げると、右手の上で踊る水の人形がきらきらと水しぶきと手を取って脚を高く上げた。

 そのまま数十秒の舞いが続き、つま先でくるくるとその場を回転し始めたアカネは左手を掲げ、今度は炎のヴェールを生み出した。何重にも螺旋を描き、アカネの周りをくるくると回るそのヴェールはアカネの頭を基点としてスカートのようにふわりと広がった。

 すると、アカネは水の人形を手放し、自分もステップを踏みながら、炎のヴェールの中から抜け出した。ヴェールの下、空中で舞う水の人形は次第に丸みを帯びていき、ヴェールもまた、網のような形になっていって。


「これは……」


 ミドリ先生が目を見開いている。視界の端でその異常事態が分かっているのに、シオンはアカネから目が離せなかった。

 最後は、まるで初めから水の人形もヴェールもなかったかのように、シオンに引けを取らない端正な水の球と炎の網のあの魔法がそこにあって。そこから先は、シオンと同じ過程をたどり、アカネが編んだ魔法は霧散した。


「――」


 その場で口を開けた者は、1人としていない。

 設計図の通りに再現する、それが魔法だった。あれは、設計図にはない事象を起こしたあの光景は、果たして魔法と言えるのだろうか、と。

 ほとんどの生徒はアカネを、その魔法を驚きと共に猜疑的な目で見ていた。美しく、神業にさえ見えるそれはしかし、「魔法」ではないのではないか、と。

 言外に含めたクラスメイトたちの視線の中に、けれど、シオンとミドリだけが含まれていなかった。ミドリはただそっと眉を下げるだけで、淡々と後半の、試験内容の魔法だけを評価し、その場を解散させた。アカネには自分から話をつけるから、皆はこのことは忘れて、公言もしないでと加えて。

 三々五々、散って行く生徒たちの中、シオンはその場に立ち尽くしてしまった。


「アカネちゃん、あれほど言ったのに」

「ごめん。でも、私は。私にとっての魔法は、これだから」


 少し離れた所で何か言っている誰かの声は、シオンには些事だった。

 頬を伝った涙の理由が、シオンには分からない。突き動かされるままにアカネに詰め寄ったシオンは、驚き、困惑し、疑問符を浮かべる2人の前で、言った。


「アカネさん。私に魔法を、教えてください」


 誰よりも、何よりも、ミドリ先生に近づきたくて努力をしてきたシオンには分かる。

 魔法は、ことが。その本当の可能性は、ここでアカネが見せた通り。自分の思い描くモノを、自由に、編む。

 それが、魔法なのではないか、と。

 けれど自分にはできなかった。設計図を完璧に再現することしか出来なくて。自分では届かないその場所に、この子は、アカネは、居る。

 嫉妬した、なんの努力もなくここの至れる天才が羨ましいとさえ思った。

 今でも嫉妬はしているかもしれないけれど、シオンは。


「貴方の魔法は、私が知る中で一番輝いていました」


 心底楽しそうに魔法を編むアカネに、そのアカネと共に舞うあの魔法に、どうしようもなく惹かれてしまったのだ。


「シオンさん。アカネさんの、今の試験、前半は到底魔法とは言えないものでした」

「そうで、しょうか?」


 ミドリ先生の声には聞いたことのない棘が含まれていて、脚がすくんでしまったけれど、シオンは自分の衝動を抑えることが出来なかった。あの舞いを見て、平静でいられるわけが、なくて。


「そもそも魔法とは大気中の魔力を編み、様々な事象を引きおこすものです。たしかに王国では、設計図こそが魔法なのだと言われ、学院でもそう教わります。ですが、勉強するほどに、その在り方に違和感があると思わざるを得ないのです。王国の思想が、それだけが正しいのなら――は、どのようにして魔法を編んだのか?」

「……シオンさん」


 シオンの言葉に目を見開いたミドリ先生は、ふいにまなじりを下げた。表情から力を抜いて、シオンのよく知るあの優しい顔でその名前を呼ぶ。

 アカネがどんな顔をしているかは、分からないまま、シオンは続けた。


「私は今日、アカネさんの魔法を見て思ったのです。あれこそが、魔法だと」

「だから、教わりたい?」

「――はい。私が、届かなかった場所にいる、アカネさんに」


 そう、

 ミドリ先生に近づくために、ミドリ先生ならば出来るはずだと勝手に決めつけた、設計図に頼らない魔法。何度も試したが、一度も成功しなかった。

 それを、アカネは見事にやってみせて。


「……シオンさん。ありがとう」

「え?」

「ミドリさん、シオンさんなら、いいんじゃないですか?」

「……はぁ。シオンさん。魔法とは、設計図です。ですが、、認めます。それは、魔法の可能性のひとつにすぎません」

「それは……」

「ですから、忘れてくれませんか」


 ミドリ先生の言葉は言外に、シオンの違和感を認めている。少なくとも、シオンにはそう聞こえた。この場、今起きたことは、無かったことにしてほしい、と。以前からシオンの中にあったその違和感については、ミドリ先生は触れなかったから。

 ちら、とアカネを見ると、ばつが悪そうに顔を伏せていたが、シオンに見られていると気づくと、照れくさそうにぽりぽりと頬を掻いた。ああ、その頬は少し、シュシュの色に似ていて。


「私は、採点した試験結果の整理もありますから、学院に戻ります」


 そう告げるとミドリ先生は荷物をまとめ、深く、深く息を吐き出して。


「――シオンさん。アカネを、お願いします」


 シオンの横を通り過ぎる時にそっと、耳打ちをした。


「え?」


 遠のいていく黒い髪の女性。シオンの、憧れの人。


「……あの、シオンさん」

「――ぁ」


 ちょこちょこ、と様子を窺うようにこちらに近づいてきたアカネが、上目遣いで覗いて来て、思わずシオンは目を逸らしてしまった。あんなに気に入らなくて、嫉妬をして、昏い感情があったのに。

 あんなの、見せられたら。


「今日、一緒に帰ってくれる?」

「……好きにしてください」


 シオンは腕を組んで、目を伏せて吐き出した。話しかけてこないでください、とは、言い添えずに。

 それをどう取ったか、アカネは一瞬呆気にとられたようだったが、すぐに口元を緩め、目を細めた。身体ごとアカネの視線から離れようとするシオンにわざわざ回り込んで、


「ありがとう」


 楽しそうに、告げたのだった。



※※※



 震える文字が躍る本のページに、雫が一粒落ちる。

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その本の中には、私の知らない私が居ました/秀才少女は、学院の天才が気に入らない 音愛トオル @ayf0114

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