異界龍紀行

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黄金の山嶺に君臨する者

異界からの来訪者、ドラゴン観察者のレイブン・モートンと申します。

私は異次元の地球から来た生物学者として、このエオスフェアの世界でドラゴンたちの研究を行っています。時に詩人のリリアと共に旅をしながら、彼らの生態と、人々との関わりを記録しています。


この『異界龍紀行』では、私の日々の観察記録からより詳しい状況や出会いをお伝えしていきます。


それでは、大地竜連邦テラフォートでの、ある印象的な一日の記録をお届けいたしましょう。


* * *


霧が深い。


黄金岩山脈の山麓に立ち、私は濃密な朝霧を見上げていた。まだ日の出前のほの暗い空の下、巨大な山々は灰色の靄に包まれ、その頂を見通すことはできない。


「モートンさん、お待たせしました」


背後から声が聞こえ、振り返ると一人の若者が近づいてきた。これが今日の案内人、トマスだ。彼は地元で腕の立つ山岳ガイドとして知られている。


「おはようございます、トマスさん。今日はよろしくお願いします」


トマスは無言で頷き、山を見上げた。その眼差しには何か複雑なものが宿っている。事前の情報では、彼の父は10年前、この山で原龍に命を奪われたという。それでも山を愛し、ガイドとして生きることを選んだ。その理由を、私は密かに知りたいと思っていた。


「先日の報告は本当だったんですね」


彼は私の調査依頼書に目を通しながら言った。数日前、この山で黄金色の巨大な原龍が目撃されたという報告が、ドラゴン管理局に届いていたのだ。


「ええ。その正体を確かめるのが、今日の私の仕事です」


話しているうちに、うっすらと空が明るくなってきた。その時、近くの茂みが揺れ、リリアが姿を現した。彼女は既に周辺で短歌の題材を探していたようだ。


「おはようございます、レイブンさん」

「おや、もう活動を始めていたんですか」

「はい。朝霧と山の風景が、とても印象的でしたから」


リリアは穏やかに微笑み、簡単な挨拶を交わすと再び自分の観察に戻っていった。彼女なりの感性で、この山の物語を紡ごうとしているのだろう。


「出発の準備は整っていますか?」


トマスの声で現実に引き戻される。私は背負った装備を確認した。観察用の特殊な双眼鏡、記録装置、そして万が一の際の防御用具。すべて異世界から持ち込んだ私専用の道具だ。


「ええ、問題ありません」


「では、行きましょう。ただし...」トマスは一瞬言葉を切り、真剣な表情で続けた。「この山には、普通の危険以上のものがあります。決して油断はしないでください」


その言葉には、個人的な経験に基づく重みが感じられた。


「承知しています。あなたの指示には必ず従います」


私たちは静かに登山を開始した。朝霧の中、岩だらけの山道を一歩一歩、慎重に進んでいく。時折、トマスが立ち止まって周囲を確認する度に、その動作の一つ一つに山への深い理解と警戒が滲んでいるのが分かった。


「この山には、古くから伝承があるんです」


しばらく無言で歩いていたトマスが、突然話し始めた。


「黄金の守り神が住むと? 地元の長老からも聞きました」


「ええ。でも、その守り神は...時として人々の命を奪うこともある。矛盾していますよね」


トマスの声には苦さが混じっていた。しかし、その表情は単純な憎しみとは違う、何か深いものを探り続けているような真剣さがあった。


「自然との関係は、往々にしてそういうものかもしれません」


私の言葉に、トマスは立ち止まって振り返った。


「モートンさんは、ドラゴンについてどう思うんですか? 彼らと人間は、本当に共生できるんでしょうか?」


その問いへの答えを探すことこそ、私がこの世界に来た理由の一つだった。しかし、その時の私の返答は中断を余儀なくされた。


「!」


突然の轟音が、山全体を揺るがした。


私たちの頭上で、濃い霧を切り裂くように巨大な影が通り過ぎたのだ。


「伏せろ!」


トマスの声とともに、私たちは咄嗟に岩陰に身を隠した。上空を横切った影は、私たちの存在には興味を示さなかったようだ。しかし、その一瞬の出現だけで、圧倒的な存在感を示していた。


「今のが...」

「ええ、間違いありません」


私は急いで観察装置を取り出し、影が消えた方向をスキャンした。一時的に霧が薄くなった空間に、特徴的な熱反応が残っている。予想以上の大きさだ。


「この上まで行きましょう」


私は近くの岩壁を指さした。そこからなら、より広い視界が得られるはずだ。トマスは一瞬躊躇したように見えたが、すぐに頷いて先導を始めた。


登りながら、私は周囲の痕跡を注意深く観察した。岩肌には深い引っ掻き傷、地面には巨大な足跡。そして最も注目すべきは、途中で見つけた獲物の痕跡だ。


「これは...ロックジャイアントの死骸ですね」


岩場に横たわる巨大な獣の亡骸。普段は岩山の生態系の頂点に立つはずの生物が、あっさりと仕留められていた。しかし、その傷跡には無駄な殺傷の跡はない。必要最小限の攻撃で、確実に仕留めている。


「効率的な狩りをする個体ですね。原龍にしては珍しい」


私の呟きに、トマスが不思議そうな表情を向けた。


「珍しいんですか?」

「ええ。通常、原龍は玉龍と比べて本能的で、狩りも乱暴になりがちです。これほど正確な狩猟行動を示すのは...」


説明の途中、再び地面が揺れ始めた。今度は、はるかに近い場所からだ。


「上です!」


トマスの声に振り返ると、陽光を背に巨大な影が現れていた。


朝日に輝く黄金の鱗。刃のように研ぎ澄まされた棘。そして、威厳に満ちた眼差し。画像記録や伝聞では伝わらない圧倒的な存在感が、私たちを押しつぶさんばかりに迫ってきた。


「...見事な個体です」


思わず声が漏れる。これほどまでに完成された原龍を、私はまだ見たことがない。


私は慎重に観察装置を向けた。急な動きは避けなければならない。原龍は往々にして、突発的な動きに過剰に反応する。しかし、目の前の個体は私たちを見下ろしたまま、不思議なほど冷静に佇んでいた。


「まるで...私たちを観察しているようですね」


その時、予想もしない出来事が起きた。


「危ない!」


突如として足元の地盤が崩れ始めたのだ。トマスが警告の声を上げた時には、既に彼の体が傾いていた。


私は反射的に手を伸ばしたが、届かない。このままでは...


その瞬間だった。


眩いばかりの金色の影が私たちの間を掠めた。大きな風圧と共に、トマスの体が持ち上げられる。そして、次の瞬間には安全な岩場に、彼の体が静かに置かれていた。


「な...」


トマスの驚きの声が聞こえる。私も目を疑った。原龍が、人間を救助するなど、前代未聞だ。しかし、目の前で起きた出来事は紛れもない事実。しかも、その動きは極めて正確で無駄がない。


黄金の原龍は私たちを一瞬見遣ると、再び岩壁の上に舞い戻った。その仕草には、どこか余裕すら感じられる。


「あれは...父が言っていた...」


トマスが震える声で呟いた。


「父が言っていた?」

「ええ。父は最期に、『黄金の守り神が、私を助けようとしてくれたのに』と」


その言葉で、すべての謎が繋がった。


「トマスさん、あなたのお父様は...恐らく誤解されていたのではないでしょうか」


私は慎重に言葉を選びながら話し始めた。


「この個体は、明らかに領域管理を行っています。ロックジャイアントの痕跡を見ても分かる通り、山の生態系のバランスを保つための必要最小限の狩りしかしていない。そして、人間に対しても...」


黄金の原龍は、まるで私の解説を聞いているかのように、静かに佇んでいた。その眼差しには、確かな知性が宿っている。


「まさか...父を助けようとしていたっていうのは...」


「可能性は高いですね。お父様が遭遇したのは、恐らく危険な状況下だったのでしょう。この個体は領域の管理者として、それを回避しようとした。しかし、意図が伝わらず...」


トマスの表情が変わっていく。10年間抱え続けた想いが、新たな真実の前で揺れ動いているようだった。


「黄金の守り神...父の言葉は、本当だったんですね」


その時、原龍が大きく羽を広げた。朝日に照らされた翼は、まるで黄金の屏風のように山肌に影を落とす。そして、深く響くような唸り声を上げた。


私の観察装置が、特徴的な波形を記録する。この音は、原龍が縄張りを主張する時のものとは明らかに異なっていた。より...穏やかで、落ち着いたものだ。


「これは...」

「ええ。私たちへのメッセージかもしれません」


原龍は最後に一際大きく羽ばたくと、山頂の方へと飛び立っていった。その姿は、まさに伝説の守り神そのものだった。


「モートンさん、こんな風に見られるなんて...初めてです」

「私も、原龍についての認識を改める必要がありそうです」


下山途中、私たちは新たな発見について語り合った。時折、トマスの表情に浮かぶ微笑みには、長年の重荷から解放されたような晴れやかさがあった。


山麓に戻ると、リリアが待っていた。


「お帰りなさい。素晴らしい短歌が詠めました」

「そうですか。後で聞かせてください」


私は早速、観察記録をまとめ始めた。この日の発見は、ドラゴンと人間の関係について、重要な示唆を与えてくれるはずだ。


「モートンさん」


記録を取っていると、トマスが声をかけてきた。


「はい?」

「また...この山に来ていただけませんか? 今度は、もっと多くのことを知りたいんです」


その言葉に、私は心からの喜びを感じた。


「もちろんです。その時は、また案内をお願いしますよ」


帰り道、私は今日の出来事を振り返っていた。


ドラゴンと人間の共生。それは決して簡単な道のりではない。誤解や偏見、時には悲しい事故が起きることもある。しかし、互いを理解しようとする心さえあれば、必ずや道は開けるはずだ。


黄金岩山脈の守り神は、私たちにその可能性を示してくれた。


次の観察では、どんな発見が待っているだろうか。私の心は、既に次の冒険を待ち望んでいた。


追伸:

この物語に登場した黄金の原龍、後に「クラウンピーク」と名付けた個体の観察は、その後も継続して行っています。山の生態系の維持に果たす彼の役割、そして人々との関わりについて、新たな発見が得られる度、ドラゴンと人間の共生の可能性を強く感じています。


今後も、このような観察記録と共に、エオスフェアの地でドラゴンたちの生態と、人々との関わりを記録していきたいと思います。


次回の『異界龍紀行』もご期待ください。


* * *

ドラゴン観察記録:https://www.pixiv.net/artworks/124278742

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2024年11月15日 18:00

異界龍紀行 rm @DraconisArtificium

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