第一話 実験室の魔女

 

「失礼します―――えっと―――昨日出しそびれた課題を先生に渡しに来ました」

 放課後の科学実験室の扉を開いた久我優希は不安げにそんな声を上げていた。

 薄暗い室内に無数に置かれた実験道具の数々。

 一体ここでは何をしているんだと思いそのまま固まっていると――――。

「どうしたの? 君、私に何か用…………?」

 と後ろから声をかけられる。

 振り返って視線を向けると白衣を着た少女が何やら怪しげな実験に勤しもうとしているところだった。

 艶やかな黒髪、綺麗な蒼い瞳に桜色の綺麗な唇、そして白衣の上からでも分かるほどの大きさを誇る双丘。

 僕はこの人を知っている。というかこの人のことを知らない生徒などおそらく学院の中にはいないだろう。

――――彼女の名前は新見莉央。僕と同じ天野ヶ関学院に通う一つ上の先輩であり、史上最年で理科大会やそのほかの様々な大会で優勝を果たし、国内の有名な企業の技術開発にも尽力している生粋の天才だ。

 ただその変わった性格のせいか生徒たちからは〝実験室の魔女〟と言われ変人呼ばわりされている。

「えっと、課題のプリントを出しに――――」

 優希が皆まで言い終わる前に白衣姿の少女が無言で教室に入っていく。

 優希の言葉を訊いた莉央が「そうか」と言っただけでその後は興味なさげに瞳をちらりとこちらに向けただけですぐにやりかけの実験に戻ってしまった。

「…………」

 そんな対応に面食らっていると。

「いつまでそこに突っ立ているつもり?」

 と実験をしながら莉央が声だけをかけてくる。

「あ、えっと―――すみません。お邪魔ならまた後できます」

 そう言って、回れ右をしようとしたところで――――。

「待って! えっと確か名前は…………」

「二年の久我優希です。ひさしい、われの〝久我〟に、やさしい希望の希と書いて〝優希〟です」

 説明を訊いた莉央がなかなか分かりやすい言い回しだなと関した様子で顎を撫でていた。

「えっと? 新見先輩」

 感心しているのか呆然としている莉央を不思議そうに見つめていると。

「悪いが―――君、少し手伝ってもらいことがあるんだが良いかい?」

 と言って、まっすぐ蒼い瞳に見つめられる。

「分かりました。俺に出来ることであれば――――」

 気が付けば綺麗な蒼い瞳に吸い寄せられるように口が開いていた。

 それと同時にガタリと扉が開く。

「まったくやってられんな。あの古狸めが!」

 振り返ってみるとそこには――――――。

  一人の男勝りな口調の女性教諭が立っていた。

「おい新見。二年の久我という男がここを訪ねてこなかったか?」

 開口一番、にそう言ってくる。

 職員会議でひと悶着あったらしい静乃が疲れた声色で訊いてくる。

「先生! 俺ならここにいます」

 何だが、すごく申し訳なくなりすぐに声を上げて存在をアピールする。

「何だ、そんなところのいたのか。もっと存在感を出せ、存在感を」

 莉央より高く俺よりやや低い背丈の白衣を着た理科教諭・平塚静乃が不満げというか、呆れ気味にそう独り言を口にする。

「そんなことを言われても困りますよ」

「それくらい何とかなるだろう?」

 といきなり無茶難題を吹っかけてくる静乃。

「まったく理不尽だ――――」

 俺の嘆きも虚しくその想いは静乃には届きそうになかった。

 とりあえずこれ以上、厄介なことになる前に目的を果たすことにする。

「えっと、先生。これ遅れてしまいすみませんでした」

 軽く頭を下げて一枚のプリントを静乃に手渡す。

「おお――やっと持ってきたのか…………」

「はああ―――本当にすみません」

 引き攣った笑みを浮かべて謝罪をする。

 形だけの謝罪を訊いた静乃は盛大なため意を吐いてから莉央に視線を向ける。

「で、調子はどうだ? 新見」

「はい。順調です」

 静乃に話かけられた莉央はピクリとも表情を動かさずに答える。

 そんな莉央を見た静乃はそうかと小さく微笑みを浮かべた後、こちらにも視線を戻して「ところで久我、今部活に入っていたりするのか?」

 唐突に真顔になった静乃からそう訊かれる。

「いきなりなんですか? 藪から棒に」

「いいから答えたまえ」

 近くの椅子の座った静乃が悠然と足を組んで尋ねてくる。まるで、何かに誘導するかのように。

 その静乃の言葉を訊いた莉央が実験の手を止めて俺の方をじっーと見つめてくる。

「は、入っていないです」

「そうか、ならばよかった」

(一体、何が良かったんだ!?)

 安心したように頬を緩めた静乃を見て不審に思う。この人がこういう顔をするときは決まって碌なことを考えていないからだ。

「どうした? 久我、そんな顔をして」

 こちらが何を感がているのかなどお見通しな静乃が意地悪な笑みを浮かべている。

(まさかこの部活に入れとか言い出さないよな………っていうか、この人なら言いかねないぞ?)

 そんな静乃と俺のやりとりを傍で眺めていた莉央が…………。

「…………おい、助手くん。いつまでボーっとしているつもりだ? 早くこっちに来て手伝ってくれ」

 心なしがか少しだけ拗ねたような棘のある声でそう言ってくる。。

(そういえばそうだった、っていうかいつか俺はこの人の助手になったんだ?)

 そんなことを心の中で思っているとなおも呆然としているこちらを莉央が呆れたような眼差しで送ってくる。

「まさか君、やっぱり手伝いたくないなんて言うつもりかい?」

 疑うようなジト目で見てくる莉央に慌てて「そ、そんなことありません。喜んでお手伝いします」と言って足早に莉央の方に向かっていく。

 そんな俺を見た莉央が少しだけ嬉しそうに微笑みながら。

「…………よろしい、それでは実験を始めようか」

 どこぞの科学者が言いそうな決め台詞を言ったのちに最終下校時刻までよく分からない実験に付き合わされるのであった。


次の日の朝、いつものように通学路を歩いていると見慣れたシルエットを見つける。

 上下紺色のスラックスにブレーザーの上に昨日と同じ真っ白な白衣を着て、艶やかな黒髪を肩口で揃えたショートヘアの少女がふらちふらりと覚束ない足取りで歩ていた。今にも倒れそうだ。

 そんなことを思いながら新見先輩の動きを観察していると、がっくんと身体が揺れバランスを崩したようにしゃがみ込む。

「…………新見先輩!!」

 と、気が付けば莉央の方に駆けつけていた。

 俺の声を訊いた新見先輩は驚いたように目を見開いて。

「す、すみません。って―――助手くんじゃないか、そんなに慌ててどしたんだい」ときょとんとした表情で訊いてくる。

「〝どうした〟じゃないですよ。こんなにふらついて――――具合が悪いなら帰って休んでください」

 と、つい強い口調で言ってしまったと後悔しつつ先輩の様子を窺う。

 よほど具合が悪いのか莉央はボーっとした様子で話を訊いていた

「…………。そんなに心配してくれなくてもいつものことだから大丈夫さ」

 そう言って立ち上がってゆらゆらと歩いていく。

「ま、待って下さい先輩」

「…………なに?」

 徐々に苛立ってきた莉央が棘にある言い方をする。

「やっぱり今日は休んだ方が―――――」

「くどいよ、助手くん。大丈夫だって言っているじゃないか!」

「何言っているんですか? 全然大丈夫じゃないでしょ!」

 頑なに登校しようする莉央にまた強く言ってしまった。

 そんなやりとりをしていると「朝っぱらからこんなところで何をしているんだ? お前たちは――――」

 大きなため息ととも訊き慣れた声が正面から聞えてきた。

 二人して視線を向けるとそこには。理科教諭で莉央の所属する科学研究部の顧問をしている静乃が腕を組んで呆れたようにこちらを見ていた。

「どうして先生がここにいるんですか?」

 驚いてそう訊くと「それはお前たちがこんな道の真ん中で喧嘩なんかしているからだろう? 近隣住民の方から学校に連絡が入ったんだ。うちの生徒が道端で言い合っているってな」

 それでどうして静乃がここ来ることのになったのかと不思議に思っていると。

「さきほど私の方に学校から連絡が来たんだ。それでたまたま近くにいた私が向かうことになったわけだ」

 どうやら出勤途中だったのか、私服姿の静乃がボリボリと頭を掻きながらそう言ってくる。

「ったく……おかげで朝食を食べ損ねたぞ」

 と言って恨みがましいさを込めた視線をこちらに向けてくる。

 申し訳なさから視線を合わせられずに明後日の方向に逸らしている泰輝と今のも倒れそうな状態の莉央を見た静乃が「とりあえず、久我はこのまま登校しろ。新見は私と来い! 近くの病院に行った後、家まで送ってやる」

 言うが早いか倒れそうな莉央をおんぶして歩き出す。

「俺も途中までおんぶしていきます」 

 そう願い出るが「ダメだ! ここは私に任せておけ!」と快活な笑みを浮かべてそう言う。

 そんな静乃におぶられて苦し気にしている彼女に何もできずにいる自分に対して無性が立っていた。





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【短編】クールなサイエンティストの先輩に好かれています 赤瀬涼馬 @Ryominae

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