第八話 先輩

トイレ問題が何とか解決した事により、弥生は晴れやかな顔で職員室を後にした。


「ふぅーー良かった。これでウ◯コマンの汚名はま逃れたぜ!」


色んな意味でスッキリした弥生だったが、一難去ってまた一難。ぶっちゃけ有り得ないなんて事はよくある話である。


「桜木 弥生ーーー!!」


突如声を上げ向かって来たのは、黒髪を長めのスポーツ刈りにした頭に、凛々しい眉と、切れ長の黒い眼を持った筋肉質で難いの良い三年生の藤岡 皐月【ふじおか さつき】だ。


「ゲッ……」


徐に嫌な顔を見せた弥生が慌てて逃げようとした処、皐月が一足早く弥生の襟首を掴んだ。


「コラコラ、逃げるな!!」

「ぐえーー」


喉の締りに舌を出し苦しむ弥生。しかし、皐月は気にせず話掛ける。


「桜木弥生、何故柔道部に入らないんだっ?」

「うぇぇ……またその話ぃ?」

「お前みたいな貧弱な奴でも強くなれるんだぞ!?」


毎度弥生を見つけては、柔道部へとしつこく勧誘してくる謂わば弥生の天敵である皐月は、弥生が高校に上がりたての頃、一度柔道部に体験入部した事があり、その時の相手が柔道部部長の皐月だった。


「いや、だって…あん時の先輩スゲー怖かったしぃ!?背負投げかまされた時はめちゃくちゃ痛かったんスもんッッ!!」


体験入部早々、まるで熊の様な威圧に鬼の様な形相で弥生と対峙した皐月にビビりまくりだった弥生は、あっと言う間に手を掴まれて勢いよくマットの上に投げ込まれたのは言うまでもない。


「だから、そんな軟弱なお前を鍛えてやると言っているんだ!!」

「そんなん余計なお世話ッスよぉ〜〜!!」


シャカシャカと走る様に足を動かす弥生だったが、襟首を掴まれているので一歩も前に進めなかった。


「何クソ〜〜ッッ!!」

「ハッハッハッ、元気だけはいっちょ前だな?」


高笑いする皐月に、負けじと足を動かす弥生。そんな中、終了時間を告げるチャイムが鳴った。


「お!もう時間か?」

「ヨッシャ!」


救いの鐘にガッツポーズを決める弥生だったが、皐月の次に出た言葉は意外なものだった。


「なら、続きは今日の放課後だな!」

「いや何で……!?」

「柔道部に来いよ?そこでじっくり話をしよう!」

「いや、だからオレは入らないって……」

「よしよし。教室まで送ってやるから!」


二の句を言う前に皐月は弥生を小脇に抱え上げると、そのまま弥生の教室へと走り出す。


「ぎゃああああーー!!先輩下ろしてッッ!!怖い怖い!!」

「お前はほんとに軽いなぁ……ほら、黙ってないと舌噛むぞ?」


勢いよく階段を駆け上がり、二階の教室に着く頃には弥生はぐったりと項垂れていた。


「此処で合ってるか?」

「うぇぇ……い」


教室の扉を開けて中に入る皐月にクラスメイトの視線が注がれる。その中でも、睦月は小脇に抱えられた弥生に目を向け慌てて近付く。


「ちょ…弥生、大丈夫か!?」

「おっ!松山もいるから此処で合ってるな!!」

「藤岡先輩……?」


弥生を下ろして告げる藤岡に、終始疑問符を浮かべる睦月。しかしながら、皐月は何事も無かったかの様に手を翳すと弥生に一言だけ告げて走り去って行った。


「じゃあ、また後でなっ!桜木弥生」

「うえぇぃ」

「何、どゆこと?」


走り去って行った皐月と、ぐったりとしている弥生を交互に見ていた睦月は首を傾げた。



「あーもうっ最悪だああああ!!」


昼休みになると、弥生は睦月、如月と共に教室で昼食を取りながら先程の話をしていた。


「お前、まだ目を付けられてたのかよ?」

「災難だね…弥生」


購買で買ってきた焼きそばパンを頬張りながら喋る睦月と、自前の弁当に箸を運ぶ如月の哀れむ言葉に、机に突っ伏したまま弥生は唸っていた。


「ううっ……ぜってぇ入部させる気だよ、あのクマパイセン」

「ハハッ、クマって」


当初のイメージによる弥生が密かに名付けたあだ名に、睦月はクマ化した皐月を想像して笑い出す。


「でもさ、今の弥生は絶対安静なんでしょ?」


如月の話に自前のおにぎりを頬張っていた弥生が、うーんと悩ましげに告げる。


「そうだけど……あの先輩、話通じねぇからなぁー。大丈夫だ!柔道部に入ればそんなのなんとでもなるッッ!!とか言う脳筋だぜ?それに身体が戻ればまた追い掛けられそうだし……」

「なら、俺が一緒に行ってやろうか?」

「睦月が?」

「おう。日誌を担任に渡しに行かにゃならんし、そのついでに柔道部寄って話しつけてやるよ」


紙パックの牛乳を飲み終えた睦月がそう告げると、弥生は目を輝かせて頷いた。


「うんうん、そうしよう!!オレが言うより睦月が言ってくれた方が納得してくれるはずだし!睦月、先輩と同じ体育委員だし!!」

「おう。任せろ」

「ヨッシャ!これで柔道部に入らずに済む!!」

「良かったね!弥生」


頼もしい味方を付けた弥生は大いに喜び、如月はただ純粋に喜びを分かち合っていた。



そして放課後。書き終えた日誌を師走に渡すべく、職員室に寄った睦月を弥生は廊下で待っていた。


「あー。やっとあの先輩から開放される……!」


良かった良かった。と、胸を撫で下ろす弥生の耳にその声は鮮明に聞こえた。


「何が良かったんだ?」

「ほんぎゃあああ!!」


驚き、慌てて背後に振り返ると、其処にはまさかの皐月が立っていた。


「何を叫んでいるんだ?」

「しぇ、しぇんぱい……なぜ、此処に、、」


ワナワナ震えながら指を差す弥生に、皐月は首を傾げながらも皐月は告げる。


「今、ホームルームが終わったからこれから柔道部に向かう処だが……」

「あ。そうデシタカ……ハハハッ」


笑いながら、さり気に後退りして逃げる準備をする弥生に、皐月はガシッと弥生の肩を組んだ。


「丁度いい!ほら、一緒に柔道部へ行くぞ!!」

「ちょ、ちょと待って!!先輩、オレ今睦月くん待ってるから!!」

「なーに、気にするな!後で言っておけ!」

「いや、そーじゃ無くて……って先輩、話を聞いてくれ〜〜〜!!」


ズルズルと引きずられるカタチで連れて行かれる弥生の声だけが廊下に響き渡っていた。


「あれ、弥生……?」


ガラリと扉を開けて職員室から出てきた睦月は、廊下を一回り見渡し弥生を探す。


「アイツ便所にでも行ったのか?」


そう呟いた睦月の背後では師走が睦月に声を掛けた。


「どうした?松山」

「あ、先生……いや、弥生が一緒に来てたんスけど」

「桜木が?」

「はい。けど、居なくなってて」


顔を顰める睦月に師走は、何か用事があったのかと訊ねた。


「それが──────」


師走は睦月の話を聞いた途端、一気に顔色を変えた。



「ちっくしょーーー!!」


柔道部員が組手の練習をしている中、弥生は何故か柔道着に着替えさせられ、某芸人よろしく雄叫びを上げた。


「おっ。ちゃんと着替えて来たな?桜木 弥生!」


同じく着替えを終えた皐月が弥生に声を掛けると、弥生は顰め面で睨む。


「しかし、少しデカすぎたか?」

「そりゃ先輩のお古だから……てか、何でオレまで着替えさせられたんスか。今日は見学だけだって言いましたよね?」

「郷に入っては郷に従えって言うだろ?」

「はぁ……」


ブカブカな柔道着に身を包んだ弥生は、正座しながら組手をする部員達を溜息混じりに見つめていた。その横では皐月が仁王立ちで自身の腰に手を当てながら、組手を行う部員達の動きを見つめていた。


「どうだ。こうして見ると柔道も良いもんだろう!」

「いや、まぁ……出来れば楽しいんでしょうけど」

「そうかそうか。やりたくなって来たか!」

「話聞いてました?」


的外れな会話のやり取りに弥生は頭を抑えながらも皐月の話を聞いていた。


「桜木弥生、お前は何故体験入部しに来たんだ?」

「えっ?そりゃあカッケェし、強くなりたかったから……」


弥生はもともと、格闘技に興味を持っていた。ボクシングでも少林寺でも合気道でも空手でも。兎に角カッコイイと思うものなら何でも良かった。そこでこの男子校に昔からある柔道部に目を付けたのだ。


「この学校には柔道部しかなかったし、どんなモンかと思って入部体験しに来ました」

「それで?」

「先輩がクマみたいに怖くて入るの諦めました」


白けた顔で告げる弥生に、皐月は呆れた様に溜め息を零した。


「そんな理由で諦めたのか……情けないなぁ?」

「そりゃ県大会軒並み優勝してる先輩に体験入部早々投げ飛ばされたら誰だって入りたくなくなるでしょーがぁあ!!」


声を荒げて抗議する弥生の頭を鷲掴みにし、ワシャワシャと撫でくり回す皐月は『ハハハッ!』と高笑いを浮かべる。


「オレはオマエのそういう物怖じしない態度が気に入っているぞ!」

「うぇぇ……嬉しくねー」

「だから、弱音を吐くお前を徹底的に鍛え直してやろうと思う!」

「は?」


頭から手を離した皐月は、弥生に鋭い視線を送ると、声高に告げた。


「桜木弥生、オレと勝負しろ!!」



弥生は柔道着の帯をグッと引き締め気合を入れる。


「準備は良いか?桜木弥生!」

「お、おう!」


2頭分の身長差に思わず怖じ気付く弥生だったが、震える足を叱咤しながら目の前の皐月に立ち向かう。


『くそぅ……この脳筋グマめっっ!!』


皐月に宣戦布告された弥生は、すぐさま断った。


「──────イヤイヤイヤ勝負なんてやらないっスよ!?第一、柔道経験ある先輩と無いオレじゃあ歴然の差じゃないっスか!!」

「何を言ってる!そんな素人相手に本気は出さん」

「先輩にもまだ良識あったんスね……良かった」


心底胸を撫で下ろす弥生に、皐月は再び条件を提示する。


「なんなら、オレはお前に手を出さ無くても良いぞ?」

「えっ!?」

「お前がオレを投げ飛ばせたらお前の勝ちだ!」

「オレが…先輩を……?」

「ただし、投げ飛ばせ無かった場合はお前の負けとし柔道部に入部して貰うからな!!」

「なっ!?」


そして弥生は、皐月の勝負に挑んだ。


『くそぅ……ノリで挑んでしまったが仕方ない。此処は先輩を投げ飛ばして一刻も早くこの場を去ろう!』


弥生は皐月に教えて貰った投げ方を思い出し、二三度深呼吸すると『押忍!!』と叫んだ。


「それじゃあ来い!!」


他の柔道部員達が見守るなか、皐月が手を広げて待ち構えると、弥生は勢いよく向かっていった。


「とりゃあああーーー!!先輩、もしオレが勝ったら柔道部に誘うの金輪際禁止ッスよぉぉお!?」


そう叫びながら皐月の裾に掴みかかろうとする弥生。しかし、寸での処で交わされた。


「え…はぁっ!?」


尚も掴み掛かろうとする弥生を皐月はいとも簡単に交わす。


「ちょ、交わすなんて聞いて無いっスよ!? 」

「オレは触れ無いとだけ言ったんだ!交わさないとは一言も言って無いぞ?」

「はぁーー!?ズッケェ!!」

「フハハハ!!さぁ、早く投げ飛ばしてみろ!桜木弥生!!」


掴み掛かろうとする弥生と、それを交わす皐月の攻防戦はそれから暫く続いた。


「どうした!そんなんじゃ何時まで経っても投げ飛ばせんぞ!?」

「ぐぬぬぬ……」

「それとも、諦めて柔道部に入部するか?」

「だあああクソッしねぇよぉ!!」


投げるどころか掴めない歯痒さに弥生は苛立ちを露わにしていた。そんななか、走って来た睦月と師走は声を荒げて柔道部に飛び込んだ。


「おい!藤岡ー!!」

「弥生ッ…!!」

「!……寒木瓜先生と松山?」


その声に皐月が反応し、少しの油断から隙が生まれた。弥生が勢いよく伸ばした手が皐月の裾を掴む。


「!」

「貰ったアアア!!」


そのままもう片方の手で襟元を掴んだ弥生は、皐月の懐に入ると、足を掛けて腕と裾を持ち上げながら、遠心力の力で勢いよく投げ飛ばした。


「ソイヤァァァーーッッ!!」

「ッ…!」


ダンッ!!と畳に背を打ち付けた皐月が茫然と弥生を見つめる。その光景に柔道部員や師走、睦月までもが釘付けとなった。


「ヨッシャアアア!!一本取ったり〜〜!!」


拳を天井に掲げ、弥生は飛び跳ねながらに喜んでいた。その時、動き過ぎて緩くなった帯が解けて柔道着の前が開き、サラシの巻き付けていた胸が一気に露わになった。


「あ、ヤベ……」


慌てて胸を隠そうとした弥生だったが、巻きが緩くなっていたサラシまでもが解け落ち、たわわな胸がまろび出る。『うわっ!』と声を上げ、急いで腕で隠したが逆に胸を強調させる形となり、シーンと静まりかえっていた空間で起き上がった皐月が大声で叫んだ。


「さ、桜木弥生……お前、女だったのかーーーッッ!?」

「うわっ、うるさっ……」


キーンと耳に響く音に思わず胸より両耳を塞いだ弥生。慌てて駆け寄ってきた師走が、弥生の襟元を力強く締め上げた。


「このっ……さっさと前を隠せッ!!」

「ぐえっ」


潰れたカエルの様な声を上げる弥生を小脇に抱えて、師走は声を荒げながらに叫ぶ。


「いいかっお前ら!!今見た事は他言無用だからなッ!!絶ッッッ対に変な噂を流すんじゃねーぞ!?分かったなッッ!!!!」


それだけ伝えると、師走は落ちていたサラシを拾い上げて勢いよく柔道部を出て行った。未だに放心状態の部員達と皐月に、睦月は『それじゃ、失礼しました〜!』と頭を軽く下げたのち、急いで師走の後を追った。

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サプリメントを飲んだら女体化した!?〜桜木弥生の受難〜 冬生まれ @snowbirthday

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