【11/14①巻・12/17②巻フルカラー単行本発売!】【タテスクコミカライズ】 灰かぶらない姫はガラスの靴を叩き割る ~パンの欠片の恩返しでときめきを贈られました~

西根羽南

灰かぶらない姫はガラスの靴を叩き割る

 由緒ある伯爵家当主が、母を亡くして身寄りのなくなった妾の子を引き取る。

 ……言葉で聞けば素晴らしい美談だ。

 だが、どう考えても軋轢が生じるに決まっている。


 継母と姉から見れば、コレットは異物であり、障害であり、ただの厄介者だ。

 軽く見積もっても使用人扱いならマシで、灰かぶり姫よろしく虐げられ……なかった。

 コレットはさっぱり灰をかぶることはなく、それどころか手厚くもてなされた。

 むしろ……若干、愛が重かった。




「妾の子が引き取られたら、普通、それなりにいじめない?」

 コレットは、姉であるアナベルをじろりと睨みつけながら呟く。


「普通の基準なんて、人によりますよ」

 アナベルはまったく気にする様子もなく、コレットの髪を丁寧に結っている。

 既にいくつもの編み込みを駆使した髪は、華やかでありながら清楚な印象だ。


 一流の侍女のごとき腕前を披露しているのは、アナベル・シャルダン伯爵令嬢……この家のお嬢様だ。

 そしてコレットはシャルダン伯爵と妾の間に生まれた、庶子。

 母が亡くなって初めてその事実を知ったコレットは、認知を求めることも援助を求めることもしていない。

 だがどこからか母の死を知ったらしい伯爵の使いに、半ば拉致されるようにこのシャルダン邸に連れて来られたのだ。



「私は妾の子よ? 気分が悪いとか、平民育ちは品がないから、とか。……理由は色々あるでしょう?」

「妾の子だから何です? 今の王太子殿下は妾の子ですよ? 気にする意味がありません。それに平民育ちで元気なコレットも可愛いです。この淡い金色の髪だって、お父様譲りの美しさですし」


 王太子は存在が隠されていた妾の子ではなくて、正当な側妃の子だ。

 コレットと同列に考えるはおかしいと思うのだが、アナベルは譲らない。

 確かにコレットの髪は淡い金色で、シャルダン伯爵と同じ色だ。

 継母もアナベルも栗色の髪の毛なので、それを理由に嫌悪してもおかしくないと思うのだが……やはりコレットに甘い。


 もちろん、いじめられたいわけではないし、仮にいじめられようものなら無駄に耐えることなくさっさと逃げ出すだろう。

 何だかんだでこの家に残っているのは、ひとえに家族の愛に感謝しているからだ。

 だがしかし、それにも限度がある。


 コレットよりも年上のアナベルは、いわゆる結婚適齢期の後半に当たる。

 本来ならば美しい伯爵令嬢に縁談はひっきりなしで、早々に良い家柄の男性を婿に取っただろう。

 だがコレットが引き取られてから侍女以上にお世話をするアナベルは、縁談という縁談を断ってしまった。



『私がいないと、コレットが寂しいでしょう?』


 そう言ってさも当然と言わんばかりに微笑むアナベルを見て、コレットは背筋が寒くなったのを憶えている。


 いじめられないのは、いい。

 愛情も、ありがたい。

 ――だが、このままではアナベルは婚期を逃す。


 貴族令嬢にとって婚期を逃すというのはかなりの問題だ。

 アナベルはシャルダン伯爵家の跡継ぎなのだから、更に問題だ。

 やはり、コレットはこの家を離れた方がいい。

 妾の子らしく、平民らしく、地味に暮らすのが幸せだろう。


 今までのようにネズミにパンの欠片を与えて、小鳥にパンの欠片を与えて、リスにパンの欠片を与えて……。

 とにかくパンの欠片を小動物に与えるのが一番の楽しみという、普通の暮らしで満足だ。


 ――そう、思っていたのに。



「完成しました。本当に可愛いですね。まるで女神さまが舞い降りたようです」

 コレットの髪を結って髪飾りをつけたアナベルは、そう言って手を叩いている。

 自分で言うのもなんだが、コレットの容姿は悪くない。

 淡い金の髪は平民育ちの割には艶やかだし、灰色の瞳は角度によっては銀色にも見える。


 だが、それはあくまでも平民の中での話。

 生まれた時から美貌を磨いている貴族の御令嬢の中に混じれば、路傍の石と大差ないはずだ。

 それをこれだけ褒めるのだから、アナベルの溺愛ぶりには呆れてしまう。


「これで王太子殿下もイチコロです。コレットの魅力にひれ伏せばいいのです」

 何故、王太子を一撃で殺そうとしているかと言えば、この装いが王太子の妃を選ぶという舞踏会に行くためのものだからだ。

 どうせならアナベルが王太子妃を狙えばいいと思うのだが、どうもその気はないらしい。

 それだけならいいのだが、何故かコレットを王太子妃に推そうとしている。


 これがシャルダン伯爵家の栄誉のためとか言うのなら、まだ理解できる。

 だがアナベルはただひたすらに『コレットが可愛いから、選んでもらうと嬉しい』という、幼児を愛でる母親目線の理由で動いていた。


 もちろんコレットは妃などに興味がないし、行くつもりもない。

 なので朝から隠れ、屋敷中を逃げ回ったのだが、相手はこの家のお嬢様。

 全使用人が敵となったコレットになす術はなく、あっさりと捕まってしまった。

 それでもどうにか抵抗しようと、用意されたドレスをベッドの下に押し込んで隠した。

 だがそれを見たアナベルは、驚いた後にこう言ったのだ。


『あらまあ。では、他のドレスにしましょう。色を決めかねていくつか仕立てておきましたが、正解でしたね』


 そう言ってずらり並んだドレスを見せられ、コレットは敗北を悟った。

 観念してドレスを着たコレットは、アナベルの手伝いもあって、一見すると深窓の御令嬢のようだ。


 ドレスは淡い水色で、細いリボンが幾重にも重なったウエスト部分は、悔しいが可愛らしい。

 肘から手首にかけて広がる袖には繊細なレースが揺れ、結い上げた髪にもレースが編み込まれている。

 ドレス全体と髪には真珠パール青玉サファイアが散りばめられて、さながら水飛沫のような美しさだ。



 満面の笑みのアナベルと継母に付き添われ、馬車に乗って到着したのは王城。

 磨き上げられた大理石の床に煌びやかなシャンデリアの光が反射していて、それだけでコレットの体力を奪っていく。

 初めての舞踏会の時には少し興奮したものだが、やはり平民育ちにこの華やかな空間はつらい。

 心無い笑顔を張り付けて適当に挨拶をかわしていたが、もう限界だ。


 アナベルと継母の隙をつくと、コレットは会場を抜け出して庭へと向かった。




 喧騒を離れた庭に明かりはないが、空に月が輝いているので見通しは悪くない。

 会場から離れて池のほとりについたコレットは、早速真珠の飾りがついた靴を脱いだ。

 もったいないとは思うが、背に腹は代えられない。

 コレットは靴を握りしめると、池に向かって勢いよく放り投げた。

 水面を叩く音が聞こえ、水飛沫が月光にきらめく。


 ……これで、いい。

 これで御者も、ひとり馬車に乗るコレットにそれほど疑問を持たないだろう。

 何か予期せぬ事故にでもあったのだろうと察してくれるはずだ。

 それに、さすがのアナベルも裸足のコレットを引き留めるわけにはいかない。


 仮にアナベルが何も言わずとも、舞踏会会場を裸足でうろつく女など、王太子の目に触れないようにつまみ出されるに違いない。

 まあ、その前にさっさと帰るつもりではあるが。


 馬車に乗って帰ろうと踵を返すと、池の方から水音が聞こえた。

 魚でも跳ねたのだろうか。

 何となく視線を向けてみると、そこには信じられない光景が広がっていた。


 池の水の上に、波打つ金髪の美しい女性が立っている。

 人が立てるはずもない場所にいるのもあるが、何よりもその眩い美しさと真っ白な瞳がこの女性が人ではないのだと如実に教えてくれた。

 呆気に取られて見つめるコレットに、女神のごとき美しさの女性が微笑む。



「私は、女神です」


 ……本当に女神だった。

 女神とは、自分で女神と名乗るものなのか。

 よくわからないところに感心していると、女神は水の上を滑るようにしてコレットの近くまでやってきた。


「あなたが落としたのは、この金の靴ですか?」

 女神の手にはキラキラと輝く金色の靴が乗っている。

 それを見たコレットは、数回瞬くと、首を振った。


「……違うわ」

「では、銀の靴ですか?」


 女神の言葉に合わせて、手の上の靴があっという間に銀色に変わる。

 靴の色を変えるなんて、なかなか利便性の高い力だ。

 コレットにも同じことができれば、何足も靴を用意しようとするアナベルを少しは止められたかもしれない。


「……では、この泥の靴ですか?」

 今度は一瞬で靴が泥まみれの汚い姿に変化した。

 泥で判別しづらいが、真珠の飾りには見覚えがある。


「そうね。それは私の靴よ」

 ゴミを投げ入れたことを怒られるかとも思ったが、嘘をつくのも何だか気が引ける。

 すると、女神は白い瞳を細めて優しい笑顔を浮かべた。



「なんて、正直な娘。やはり私が見込んだだけあります。あなたには、この泥の靴と一緒にガラスの靴を授けましょう」


 女神の手の上に透明な靴が姿を現わすと、いつの間にか目の前にいた女神は二足の靴をコレットの手に乗せた。

 透き通ったガラス製の靴は、月の光を弾いて金や銀にも負けない輝きを放っている。

 それをじっと見つめると、コレットは二足の靴を女神の手に押し返した。


「この靴は、捨てたの。こっちのガラスの靴もいらないから、返すわ」

 女神の花のような笑顔が一瞬凍り付いた。

「……え? 何でしょう。雑音でよく聞こえませんでした。――さあ、このガラスの靴を」

「だから、いらない」


 暫し、流れる沈黙。

 池の方で魚が跳ねる水音が、辺りに響く。

 女神が笑顔のまま、ゆっくりと息を吐いた。


「私はこの国を守護する尊き女神ですよ? その私が正直者に褒美をあげようというのですから、ここは涙を流して喜んで受け取るものではありませんか?」


「だから、いらないって言っているのに、押し付けないでよ。大体、ガラスの靴なんて使いづらいし目立つじゃないの。どうせならハンカチとかにしてよ」


 ガラスの靴は透明感があってキラキラと輝いて美しい。

 だがガラスだけあって足が丸見えだし、皮や布と違って一切伸縮しないからすぐに足が痛くなるだろう。

 観賞用にすればいいのかもしれないが、だったら鳥や花のデザインの方が好みだ。



「あー。そういうこと言うんですか。いいのでしょうか。私、女神なんですよ。偉いんですよ。凄いんですよ」

 不機嫌を隠さなくなってきた女神は、腰に手を当てて文句を言い出した。


「もう、面倒くさいな。他の人にあげればいいでしょう? そういうのが好きそうな御令嬢が、わんさか舞踏会に来ているし」

「嫌ですよ。私はあなたにパンの恩返しをしたくて……」

「パン?」

 コレットが思わず眉を顰めると、女神は気まずそうに口をとがらせ始めた。


「……ちょっと気まぐれに小動物になってお散歩していたんです。そうしたら私好みの金髪の可愛い子がパンをくれるから、楽しくて。ネズミになったり、小鳥になったり、リスになったり……」


 ネズミに小鳥にリス。

 確かにそれらにパンの欠片を与えていたし、コレットの楽しみではあったが……あれがすべて女神だったというのか。


「何で女神が小動物になってパンの欠片を貰うの? しかも何か喜んでるし。……女神って、そんなにひもじい暮らしなの?」


 コレットがあげていたパンの欠片は、食事の残りだ。

 貴族の食卓とは違って、そもそもパンが硬いし、動物たちにあげていたのは更に硬くなったパンだ。

 お世辞にも美味しいものではないだろう。


「し、失礼な。女神は人の食べ物を必要としませんし、ひもじくもありません! あれは、パンをくれたあなたの心が嬉しかっただけです。――もういいです。あなたの意見は聞きません」

 女神はそう言うと、コレットの手に靴二足を押し付ける。



「私は尊き女神です。意地でもあなたに恩返しをしますし、祝福を贈ります」

 言っていることはありがたい雰囲気なのに、声音は完全に恫喝だ。


「既に平民から貴族令嬢にしましたが、全然足りませんね。もっと私に心から感謝を捧げたくなるサプライズが必要です。――見ていてください。アッと驚く祝福を与えますからね! ラブラブときめき乙女ライフをプレゼントしちゃいますから!」

 半ば脅しのようにそう言うと、次の瞬間、女神の姿は消えていた。



「……何だったの、一体」

 人外としか思えぬ美貌や不思議な力からして、女神ではあるのだろうが……何というか、行動と言動がおかしい。

 ふと自分の手を見たコレットは、そこに泥の靴とガラスの靴が乗っていることにようやく気が付いた。


「ああ! ガラスの靴を置いて行ったわね、卑怯者!」

 こんな煌びやかな靴、履くのはもちろん持っているだけでも目立ってしまう。


 しかも女神が出したと知られれば、あらぬ騒動に巻き込まれかねない。

 コレットはガラスの靴を握りしめて振りかぶり……手を止める。


「これ、池に投げたらまた女神が拾ってくる可能性があるわよね」

 再び押し問答をする気はないし、更なる靴を持ってこられても面倒だ。

 コレットはくるりと向きを変えると、近くの茂みに向かってガラスの靴を放り投げた。


 これでコレットとガラスの靴を結びつけるものはない。

 そのまま土に埋もれるなり、適当な人に拾われればいい。

 だいぶ時間を使ってしまったが、さっさと帰ろう。


「――いてっ!」

 今まさに靴を投げ入れた茂みから、叫び声が聞こえる。

 恐る恐る振り返ると、茂みの中から華やかな衣装を身に纏った少年が姿を現した。


 黒髪に紺色の瞳のこの少年を、コレットは知っている。

 舞踏会会場ではるか遠くにいるところを、アナベルに説明してもらったばかりだ。

 遠目に見ても容姿が整っていたが、こうして目の前にすると圧巻の美貌。

 女神のような人外のものではなく、血の通った人としての美しさとでも言うのだろうか。

 いきいきとした力強い瞳には、王者の貫禄すら感じられる。



「……王太子殿下」

 何故こんな庭の端の茂みの中に、本日の主役の王太子がいるのだ。

 混乱しつつも一応礼をすると、王太子が何かを差し出して来た。


「これは、君の靴か」

 王太子の手の中のガラスの靴を見たコレットは、顔が引きつるのを止められない。

 間違いなくコレットが投げた靴だが、さっきの声と併せて考えると、靴は王太子に直撃したのだろう。


「いいえ」

 とりあえず、嘘はついていない。

 あれは女神が勝手に出して置いて行った靴であって、コレットのものというわけではない。


「だが、君は裸足だろう」

 目敏い王太子に思わず心の中で舌打ちすと、コレットは握りしめていたもう片方の靴を掲げた。

「これが私の靴です」


「……それを、履くのか?」

 王太子が引くのも無理はない。

 コレットの靴は泥にまみれて、元の色が判別できない有様だ。


 正直に言えば、履きたくなどない。

 だがここで裸足で逃げ出しては、あまりにも目立つ。

 そしてガラスの靴を履くのも駄目だ。

 王太子の紺色の瞳は好奇心でキラキラと輝いている。

『変わった女だな』とか言って興味を持たれたら目も当てられない。



 ――女は、度胸。


 ドロドロの靴を地面に置くと、その中に足を突っ込む。

 中に溜まっていた泥がぐにゅりと嫌な感触を足に伝えてきたが、どうにか悲鳴を飲み込んだ。


「それでは、ごきげんよう!」

 どうやら泥の塊に足を入れるとは思わなかったらしく、王太子は呆然とコレットの足を見つめている。

 今がチャンスとばかりに一応の挨拶をすると、コレットはその場を立ち去ろうとする。


「――待て。そんな靴で城の中を歩く気か」

 王太子の言葉に、さすがのコレットも動きが止まる。

 確かにこんな泥まみれの靴では、歩いたところが汚れてしまう。

 城を無駄に汚すなということか。


「……わかりました」

 その場で靴と絹の靴下を脱いだコレットは、水色のドレスをつまむと、一気に引き裂く。

 破り取ったドレスで足を拭くと、靴と靴下を布に包んだ。


「これで問題ありませんね。ごきげんよう!」

 更に唖然として見ている王太子に構わず、コレットはその場を走り去る。

 どうにか馬車に飛び乗ると、ひとりシャルダン邸に戻った。



 帰宅した継母とアナベルには色々心配されたが、庭を散歩していたら犬が出てきて転んだことにした。

 どう転べば靴は泥まみれでドレスが裂けるのかとは思うが、意外にもそれについての指摘はなかった。


 池の女神にも王太子にも二度と会うことはないのだから、さっさと忘れよう。

 そう結論付けると、コレットは早々にベッドに潜り込んだ。




「王太子殿下が、とある姫君を探しているらしいですよ」

 例の舞踏会の数日後、一緒に紅茶を飲んでいたアナベルが、ふと思い出したようにそう言った。


「姫君?」

「舞踏会で会ったらしいです。なんでも、美しく淑やかで品のある素晴らしい女性だったとか」


 王太子という言葉に一瞬警戒したが、これはどうやら問題なさそうだ。

 コレットは王太子にガラスの靴をぶつけ、目の前で泥の靴を履き、靴と靴下を脱ぎ、ドレスを引き裂いて走り去った女だ。

 何ひとつ該当しない。

 となると、単純に舞踏会で見つけた好みの女性をさがしているだけなのだろう。


「あれ。でも、あの舞踏会は王太子殿下のお相手探しって言ってたよね? 何で相手がわからないの?」

「さあ? 奥ゆかしい女性で名乗らずに立ち去ったとか……あるいは、気を引くためにあえて名乗らなかったとかでしょうか」


 それはまた、計算高いことだ。

 何にしてもコレットには何の関係もない雲の上の話。

 焼き菓子を口に放り込んで甘さを堪能していると、突然扉を叩く音が聞こえた。

 入室した使用人と話をしたアナベルの眉間が微かに動く。

 使用人が退室すると、アナベルもすぐに立ち上がった。


「行きますよ、コレット」

「行くって、どこへ?」

「王家の使者が来たようです」




 訳がわからないままアナベルに連れられて玄関ホールに向かうと、そこには使者と思しき少年と騎士のような出で立ちの男性二人が待っていた。


 トレイに高価そうな布がかけられたものを持っているところからして、何かの書簡でも届けに来たのだろうか。

 だが、それならばアナベルとコレットが出ていく必要がない



「シャルダン伯爵令嬢。王太子殿下の命により、確認をさせていただきます」

 使者の少年はよく通る声でそう言うと、手にしていたトレイにかかる布を取り払った。


「――う」

 危うく悲鳴が飛び出しそうになるところを、どうにか堪える。

 トレイの上に恭しく鎮座しているのは、まぎれもなくあの忌まわしいガラスの靴の片方だった。


「王太子殿下は舞踏会で出会った、美しく淑やかで品のある女性をお探しです。この靴は、その女性のもの。確認のため、お二人にも履いていただきます」


 使者の少年は前髪が長く、茶色の髪が顔を隠しているので表情を窺うことはできない。

 ここに来たということは、コレットの素性がバレているのだろうか。

 だが王太子が探しているのは美しく淑やかで品のある女性だ。


 これはきっと、ガラスの靴を手に入れた後にその女性と出会い、何やかんやで靴を履かせ、片方の靴を脱がせて名前も知らずに別れたのだろう。

 ……正直、さっぱり状況が理解できないが、そうとしか考えようがない。


 今ここで大切なのは、コレットは無関係だと証明すること。

 そのためにはあの靴を履いてはいけない。

 促されるままにアナベルが右足を入れるが、大きさが合わずに履くことはできなかった。

 あれが、目指すべき姿だ。



「では、そちらの御令嬢もお願いいたします」

 使者に促されて、コレットもガラスの靴に足を近付ける。

 つま先を入れてみて、すぐにわかった。

 ――これは、ピッタリサイズだ。


 さすがは腐っても女神。

 知りもしないであろうコレットの足のサイズまで、完璧だ。

 だがコレットにも意地がある。

 このまま大人しく履いてやるわけにはいかない。


「ああ。ちょっと小さいみたいです」

 足の指を懸命に広げて足が入らないのだとアピールすると、突然使者の少年がしゃがみこんでコレットの足を掴み、ガラスの靴に押し込む。

 誂えたようにピッタリと足が収まるのを見た使者が、にやりと口角を上げるのが見えた。


「――やはり、君だ」

 急に口調が変わったことに驚いていると、少年は茶色の髪を引っ張る。

 ずるりと外れたその下には、どこかで見たような黒髪と紺色の瞳が隠れていた。



「……王太子、殿下」

「俺が探していたのは、君だ」

 何故カツラをかぶって使者のふりをしていたのかはわからないが、まずはこの危機を乗り越えなければいけない。


「人違いです」

「いや、違わない。この靴が証拠だ」

 ――なるほど。

 ならば、証拠がなくなればいい。


 コレットはガラスの靴を素早く脱ぐと、握りしめ――勢いよく床に叩きつける。

 高い音と共に砕け散ったガラスがあたりに散らばると、アナベルと騎士の口が動揺のまま開きっぱなしになった。


「――あら、手が滑りました。すみません。がさつで品がないもので」

 嫌味を言いながらにこりと微笑むと、王太子も何故か笑みを返してきた。


「美しくて淑やかで品のある女性、というのは嘘だよ。ああ言えば君は自分ではないと安心するだろう? さすがに隠れられると面倒だったからね」

 唖然とするコレットの前で、王太子は外したカツラを騎士に渡す。



「君を探していたんだよ。あの舞踏会から、ずっと気になっていた」

「い、いやいや。靴を叩き割る女の何がいいの? 変態?」

 思わず喋ってから、王太子に対する口のきき方ではなかったと気付き、慌てて口を押さえる。


「そのままの話し方でいいよ。……あの靴は、女神から賜ったもの。普通の人間では傷ひとつつけられない。木っ端みじんに叩き割れたことこそが、女神の寵愛を受ける存在である証だ」

 それを知っているということは、王太子はあの時女神を見ていたのか。


「あれ、本当に女神なの……よね?」

 呪いのガラスの靴の神の可能性も捨てきれないコレットは、おずおずと尋ねてみた。

「我が国を守護する女神だよ。ああして人前に出ることは稀で、俺も初めて見たが」


「ああ、なるほど。女神に関わったから探していたのね」

 人前に出ない女神からガラスの靴を貰った女。

 信仰の度合いはともかく、一応無視はできないだろう。


「なら、教会にでも入ればいい?」

 正直に言えば信仰心などろくにないが、これで家を出る口実になる。

 コレットが離れれば、アナベルも自分のことに目が向くだろう。

 だが、王太子は首を振った。


「いや、それは困る。君には俺の妃になってもらうよ」

「何で! ガラスの靴を叩き割る妃なんてナシでしょう? 大体、女神の寵愛って……私、あれと喧嘩しているからね。仲が悪いからね?」

 ガラスの靴の押し付け合いをしていたのだから、寵愛というのは何だか違う気がする。


「ならば教会に入るのもおかしいだろう」

「妃になるよりはおかしくない!」


 頑として譲らないコレットを見て、王太子はため息をつく。

 美しい顔から放たれる吐息はちょっとした飛び道具だ。

 背後のアナベルが感嘆のため息をこぼしているし、コレットもちょっと格好良いと思ってしまったのは内緒だ。



「何もおかしくないよ。あの夜、月の光を受けて女神と言い争う君に目を奪われた。……そして、ガツンと頭に衝撃が走ったんだ。――君が運命の人なのだと!」


「――その衝撃、運命じゃなくて物理的衝撃だから。鈍器が飛んでぶつかっただけだから! ただの事故だから!」


 少しでも格好良いと思ったコレットが馬鹿だった。

 訳がわからない主張に一歩後退ると、王太子は懐からガラスの靴を取り出す。

 左足用の靴を目にした途端、コレットの脳裏に光が走る。

 気のせいか、あの女神の笑い声が聞こえた気がした。


 一体何だったのかと思う間もなく、王太子はコレットの前にひざまずく。



「あれ程の衝撃を俺に与えた女性は初めてだ。――コレット・シャルダン。結婚してくれ」



 その衝撃は物理的なもので、ただの攻撃だ……そう口にしようとして、コレットは固まる。

 アナベルが歓喜の瞳で見つめてくるからではない。


 ろくでもない理由で求婚されているのに、何故か王太子の笑みから目が離せない。

 確かに容姿は格好良いと思っていたが、こんなに素敵だっただろうか。

 口元が綻びそうになり、胸は早鐘を打って息が苦しい。



『――見ていてください。アッと驚く祝福を与えますからね! ラブラブときめき乙女ライフをプレゼントしちゃいますから!』



 これは――あの女神の仕業か。


 家から離れたいとは思ったし、この求婚を受ければその通りになる。

 王太子妃ともなればシャルダン伯爵家にとっても栄誉であり、アナベルの縁談にも良い影響があるだろう。


 だが、コレットが望んだのは小動物にパンの欠片を与えるような地味な暮らしであって、間違っても王太子の妃などではない。


 何が、ラブラブときめき乙女ライフだ。

 こんなの、全然楽しくない。

 楽しくない……はずだ。



 さっさと断りたいのに、心の奥で嬉しいと感じる自分がいて、どうにもならない。

 頬を染めてふるふると震えるコレットを見る王太子の瞳は優しくて、気を抜けば陥落してしまいそうだ。


「……あ、あの」

「うん?」


「――あの女神、今度会ったらパンの欠片を投げつけてやる……!」


 コレットは渾身の力で王太子から視線を逸らすと、胸を揺さぶるときめきに抗うべく唇を噛みしめた。

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