第2話 その男、神獣様のお怒りに触れました

「来るぞ!戦闘態勢を取れ!」


 木々の間を跳ねるように移動する、一匹の魔物。


 剣も魔術も、そして矢すらも当たらない。

 二つの緋色が闇夜に揺らめき、高低差を物ともせずに移動する姿はまるで羽が生えているかのようだ。


 姿が消えたと思ったら藪の中で何かが移動し、ザザザと葉が揺れ、――討伐部隊の兵士達は恐怖の色を浮かべて後退った。


「まずいな。完全に後手後手に回っている」

「サフィール様、もしかして思っていた以上に知能が高いのでは!?」

「だとしたら……最悪全滅だぞ」


 藪の奥からガサガサとさらなる不気味な物音が聞こえ、意を決して踏み入れた兵士達の足がズブリと沼に嵌る。


「くそ、罠だ! 下がれ!! こちらの動きが完全に読まれている!!」


 兵士達は藻掻くが、足場が悪く身動きが取れない。

 ――ここは魔物が頻出する、アルマス山の山頂付近。

 獣道もあるその場所はちょうど国境線に位置し、魔物が出た場合は両国が力を合わせて戦う決まりになっている。


『アルマス山に人型の魔物が出るらしい』


 とある魔物の目撃情報が寄せられたのは、ちょうど一ヶ月前のことだった。

 魔物は気まぐれに山から山へブラブラ移動していたようなのだが、先日ついに人里まで下りてきたとギルドに報告があったのである。


 その姿を見た者は誰もおらず、移動経路には漏れなく大型魔獣の死骸が転がっていたという。

 火を使った形跡まであり、かなり知能が高いことは分かっていた。


 だがそんな魔物……見たことも聞いたこともない。


 先日敵対関係を解消し、同盟を結んだファラランド王国。

 魔物や魔獣に精通し、また国境を守護するユルグ辺境伯家に教えを乞うたところ、魔術師である長男が「なるほど、知能高めの人型の魔物……ん、知能高め? そんなはずは……」と頬を引きつらせるほど危険であるようだ。


 なおユルグ辺境伯夫人からは、「越冬のため、お腹が空いたら人里に下りてくる可能性があります。定期的に食料とイケメンを供えるのが良いでしょう」とよく分からないアドバイスをいただいた。


「サフィール様、ここは撤収すべきです。万が一伝説の神獣だった場合、害してしまうと神の怒りに触れてしまいます」


 そうなると取り返しがつきませんよ!

 信心深い部下、イサラがガクガクと震えている。


「それに食料は馬車に積んでありますが、ユルグ辺境伯夫人が仰っていたイケメンを供えておりません。神獣様は、もしやそれで怒っておられるのでは!?」

「よく見ろイサラ。ちゃんと供えているだろう」

「どこにですか、見渡す限り汗まみれのおっさん兵士ばかりじゃないですか!?」


 イケメン、というワードに反応したのだろうか。

 ザザザと藪を移動していた魔物が、こちらの様子を窺うようにピタリと止まる。


「ホラ、反応してるじゃないか」

「言語を理解しているだと!?  サフィール様、やはりこれは神獣様では……いやでも、イケメンなんてどこにも」

「……俺だ」

「はい?」

「ここにいるだろう、俺だ!」


 祖国のため、悩める民のため、イケメンであるこの俺が自らこの危険地帯に足を踏み入れた。

 イケメンであるこの俺は逃げも隠れもせん!


「さぁ来い、イケメンであるこの俺を喰らうがいい!」

「は、恥ずかしげもなく自ら……!?」

(『イケメンであるこの俺』フレーズ、しつこくてちょっとイラっとしますね)

(聞いてる俺らが居た堪れないって、どういうことだよ)


 足が沼った兵士達がヒソヒソとディスっている。


「サフィール様、それならギルドの連中を連れて来たほうが良かったのでは?」

「荒くれ者どもをか?」

「だって爽やかイケメン揃いだって、町娘たちが騒いでますよ」

「どこがだ!? 俺のほうがよっぽど……イッタァッ!?」


 ぐしゃり。


 魔物改め、神獣様のお怒りに触れたのだろうか。

 木の実が飛んできて、サフィールの顔面が果肉だらけになった。


「大丈夫ですか!? うわわ、やはり神獣様がお怒りに!?」

「……何に対してだ?」

「子供じゃないんだから、ちょっと考えれば分かるでしょ!? イケメンとか恥ずかしげもなく言うからだよ!! 撤収!! 皆の者、撤収だ!!」


 ブチ切れイサラの掛け声とともに、命からがら撤収していく討伐部隊。

 その時、転がる林檎を掴んだ一匹の魔物が、地に落ちた麻袋の中へと滑り込んだ。


 ゆらゆらと怪しく揺れる二つの緋色……だが逃げるのに夢中で、誰ひとりとして気付かない。


「おい、まだ荷が落ちてるぞ! なんだ? 随分と重いな」


 サフィールは魔物が入った麻袋を拾い上げ、荷台へと積む。

 それを合図に、荷馬車はガタゴトと音を立てて走って行った。


「……、ギルド…………サワ、ヤカ……」

 シャクリ……ッ!!

 林檎をかじる音がまるで砥石の上を滑らす包丁のように、シャリ、シャリィッ……と麻袋の中から不気味に漏れ聞こえた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る