最終章(後編) 終焉

 午後六時になったところで、私たちはバーベキュー場に向かうことにした。

 美咲が呼びかけると、二階から山口が下りてきた。そのまま冷蔵庫の前に進み、冷凍庫の中から六つのタッパーを取り出しバッグの中に詰め込んだ。

 私はまた吐き気を催した。


 コテージを出て、月の出ている方に向かって林道を三分ほど歩くと、湖を一望できるバーベキュー場に着く。

 すでに肉を焼く匂いやお酒の匂いが漂っていて、他の客たちは盛り上がっていた。


 ぱっと見た感じ、二十組はいるだろうか。

 その中には犬も複数いて、何匹かがこちらに向かって吠えていた。

 昼間も、私たちの方に向かって吠えている犬がいた。

 その時は、幸丸を見て吠えているのかなと思ったのだけれど……他に吠えたくなる原因があるのだろうか。飼い主が叱ると、犬たちは吠えるのを止めた。


 私たちがレンタルした二台のバーベキューコンロは、端の方に置いてあった。その横に木製のテーブルと折りたたみチェアが並べてある。

 コンロはどちらも脚の付いたスタンドタイプで、二台のあいだには焚き火台が置いてあった。調理用ではなく、暖を取るためのものだろう。

 美咲が着火ライターで薪に火を点けると、煌々と燃え上がった。キャンプの雰囲気が出てきたと、佐紀ちゃんが手を叩いて喜んでいる。


 美咲が左側のコンロの前に、山口が右側のコンロの前に立った。

 美咲は保冷バッグの中から肉や野菜を刺した串を取り出し焼き始める。その隣では、山口がバッグの中からタッパーを取り出そうとしていた。


 私は素早く山口の横に立つと、バッグの取手を握った。

「山口さん、ハンバーグを取り出すのと紙皿に載せる作業は私がするわ。下ごしらえの七割くらいは山口さんにしてもらったからね。少しは手伝わないと」


「了解。じゃあ、お願いね」

 山口に気にした様子は見られない。


 私はバッグの中を見る。

 二列三段重ねで詰め込まれている。

 一番上の二つは長方形のタッパーで、蓋に傷は付いていない。

 私は二つのタッパーの中からハンバーグを取り出し、網の上に載せた。山口が焼いているあいだ、再びバッグの中を確認する。


 二段目に積まれていたタッパーの蓋に、私の付けた傷があった。

 次にコレを焼かせたら、山口と私以外の誰かが食べてしまう。それを防ぐために、私は傷の付いているタッパーを下の物と入れ替えた。

 山口は、自分の食べるハンバーグは最後に焼くはずだから、これでいい。


 楕円形のタッパーは、一番下にあった。一番下に置いてあるのも、何か考えがあってのことなのだろう。

 でも、真実を知っている私には、無意味である。


 二個のハンバーグが焼き上がった。私は紙皿に載せて佐紀ちゃんたちに手渡す。


「あー、凄く美味しい。お金払ってもいいくらい美味しいよ、このハンバーグ」

 佐紀ちゃんが絶賛してハンバーグを頬張っている。


「本当。お店で食べるハンバーグより遙かに美味しい。育美から、山口さんの手料理は美味しかったって聞いてはいたけど、ここまでとはね。動画撮ってアップしたら、美人料理人として有名になれるんじゃない?」

「無理無理。そんなに甘くないよ。でも、美味しいって褒めてくれて嬉しい」


 確かに、山口には料理の才能があるのかもしれない。美味しく作れるように、たくさん練習したのだろう。不純な動機のために。


 三個目と四個目のハンバーグを私がコンロの上に置き、それを山口が丁寧に焼く。焼き上がったハンバーグを美咲たちに渡すと、佐紀ちゃんと同じようにその味を絶賛しながら食べていた。


 さて、いよいよ次だ……。

 私は、蓋に小さな傷の付いたタッパーと、楕円形のタッパーを取り出した。それぞれの蓋を開けて、二個のハンバーグを網の上に載せる。


 その際、私は山口の顔をチラチラと見ていた。

 それまで笑顔だった山口は、真剣な目で、網の上に載せられる二個のハンバーグを見ていた。凝視、という言い方の方がしっくりくるかもしれない。


 真剣になるのは当然だった。山口からすれば、もし楕円形のタッパーに入っていたハンバーグがどちらかわからなくなってしまったら、自分が呪いのハンバーグを食べることになるかもしれないのだから。人を呪うのが好きな山口でも、自分が呪われるのは嫌だろう。


 だけど山口は知らない。楕円形のタッパーに入っているハンバーグの方が安全だということを。


 先ほどまでとは違って、山口は二つのハンバーグの距離を遠ざけて焼いていた。

 美咲たちはその変化に気づかないだろうけれど、私からすると露骨なほどに離れていた。


 もしかしたら、山口は無意識のうちにそうしているのかもしれなかった。自分の血や動物の糞尿が混ざっているハンバーグの匂いが、自分の食べる物に移るのは嫌なはず。その思いが無意識の行動に表れたのかもしれない。

 だけど二つのハンバーグの距離が離れて嬉しいのは、私の方なのである。


「はい、水原さん。お口に合うといいけど」

 山口は、楕円形のタッパーに入っていたハンバーグをトングで掴むと、私が持っている紙皿の上に置いた。


 紙皿に載せる役は私がすると言ったのに、この行動。非常にわかりやすい。自分が犯人ですと言っているのと同じである。


 私は紙皿の上のハンバーグを見る。

 このハンバーグは安全。

 そう理解していても、私を呪い殺そうとしている人間が作った物を食べるのは勇気がいる。

 身体が拒絶反応を起こさないだろうか。

 口に入れた瞬間、吐き出してしまうかもしれない。それが心配だった。


 山口に悟られないように深呼吸し、私はハンバーグを一口食べた。

 一瞬、喉に詰まる感覚になったけれど、何とか自然に飲み込めた。


「うん。ほんとに美味しい。さすが山口さん」

 作り笑いを浮かべて私がそう言うと、山口は微笑みを浮かべて礼を言った。


 内心では、呪いがかかった! と思っているだろう。

 山口は自分の食べるハンバーグを紙皿に載せると、フォークで刺して一口齧った。

 果たして、その味は……。


「うん、美味しい」

 その言葉どおり、山口は美味しそうに咀嚼している。

 何も知らなければ、私もこんな風に笑顔で食べていたのだろう。

 恐ろしい……。


 自分で食べて味の異変に気づかないくらいだから、巧妙に味付けしていると思われる。

 以前食べた山口の手料理を思い出し、また胃がムカムカしてきたけれど、ぐっと堪えた。


「はーい。お腹に食べ物が入ったところで、乾杯するよぉ」


 美咲が六人分の缶ビールを保冷バッグの中から取り出した。

 乾杯をして飲み始める。いつもは美味しいお酒も、意識が山口の方に向いているので味は薄く感じた。


 眼下に広がる湖は、月に照らされて幻想的な雰囲気を醸し出している。

 美咲たちはビール片手に、口々に綺麗と言いながらスマホで写真を撮っていた。

 私も安定した精神状態であれば、写真や動画を撮っていただろうけれど、今はそんな気分になれなかった。


 不意に湖の方から突風が吹いた。

 そう認識した瞬間には、焚き火台の火が眼前に迫っていた。

 刹那、私は身体を回転させて難を逃れた。


「きゃっ! 育美大丈夫?」

 美咲が私に駆け寄る。


「……うん、大丈夫」

「今の、すっごい素早かった。育美、見かけによらず反射神経いいんだね」

「何よ、見かけによらずって。反射神経良さそうな顔してるでしょ」


 心臓の鼓動が早鐘を打つ中で、私は精一杯の軽口を叩いた。

 みんな笑った。山口も笑っていたけれど、私の軽口が面白かったわけではないだろう。


 それにしても……。


 焚き火台の火は、まるで意思を持ってこちらに飛んできたように感じられた。風の吹いてきた方向、焚き火台と私の位置、それらを総合すると、火が私の方に向かってくるのはおかしくはないのだけれど、狙い撃ちされた感覚に陥った。


 こんな考えに至るのも、山口が私を呪っていると知ったからだ。

 私の意識はそちらに傾いてしまう。今の一連の出来事は、呪いの効果なのだろう

かと。


 真実はわからない。

 でも、呪いの可能性もあり得るのではないかと思い始めている自分がいた。全部ただの偶然よと笑い飛ばしてビールを飲むだけの気力は、今の私にはない。


 そんな風に、呪いについて考えていると、一つ疑問が湧いた。

 呪いがかけられたハンバーグは、山口が食べた。この場合、どうなるのだろう。

 呪いをかけた本人が食べても無効? それとも、山口のかけた呪いは彼女自身に向かう?


 山口に呪いの効果が表れて欲しい。

 そう思うのは、いけないことなのだろうか。私が彼女の不幸を願って、それが現実になったら、人を呪わば穴二つという諺のように、私も報いを受けるのだろうか。


 数十人の人間が火を灯している。外灯もある。だから十分に明るいのだけれども、私は闇の中に一人ぽつんと残された気分になっていた。


 山口の横顔が、焚き火台の火に照らされている。

 いったいいつから、山口は邪術に傾倒したのだろうか。

 就活を始める直前? 高校生の時から? それとも中学生の時にはすでにやっていた?

 まさか小学生の時から誰かの不幸を願って生きてきた? 邪術の成功率はどれくらい?

 様々なクエスチョンマークが頭の中でぐるぐると回っている。


 突然、グルルルという唸り声が聞こえてきた。

 見ると、私たちの隣でバーベキューをしていた家族連れの犬が、森の方に向かって威嚇するような声を出していた。犬種はゴールデンレトリーバー。温厚な犬のイメージがあるので、その姿を見て意外な印象を受けた。


「おいおい、どうしたジョン」

 旦那さんと思われる男の人が訊ねている。だけどジョンはそちらを見ることなく、依然として森の方に向かって唸り声を上げている。


「どうしたのジョン?」

 今度は子供が訊ねた。


 ジョンは少しだけ子供の方に顔を向けたけれど、すぐに森の方に視線を戻した。

 私も目を凝らして森の方を見るけれど、暗くて見渡せない。


「何だろうね。まさか熊じゃないよね?」

 佐紀ちゃんが不安そうに言った。


「佐紀、県内に熊はいないって」

 美咲が鋭く返す。


「わかんないよ。動物園から逃げ出した熊かもしれないし」

「そんな大事件が起きてたらスマホに通知くるでしょ」

「まあそうだけど」


 二人のやり取りが聞こえたのか、隣の家族連れは笑った。


「不安にさせてごめんなさい。普段はこんな威嚇するような声は出さないんですけどね。どうしたんだろう。他の人たちが連れてる犬は、大人しいままだし」


 旦那さんが言ったとおり、見える範囲には三匹の犬がいたけれど、森の方に興味を示している犬はおらず、普通にご飯を食べていた。


「気になるから、ちょっと見てこよう」

 そう言って、旦那さんはスマホの明かりを頼りに森の方に歩いていく。


「気をつけてください。熊の可能性もゼロじゃないですから」

 佐紀ちゃんは真顔で旦那さんの背中に声をかけた。


 旦那さんの姿が闇に消えたあと、私は側にいる山口が気になって視線を向けた。

 山口は鋭い視線を森の方に向けていた。


 その目が意味するものは何?

 何か感じるものでもあるのだろうか。それとも、そこに何かあると知っているのだろうか。

 姿が見えなくなってから三分ほど経って、旦那さんが戻ってきた。


「いやぁ、特に何もなかったよ。ジョン、何に対して唸ってたんだい?」

 しかし、訊ねられたジョンは何事もなかったかのように、食器の中の肉を食べていた。

「ははは。お騒がせしました。何でもなかったみたいです」


 なぜジョンが威嚇するような声を出していたのか気になったけれど、私たちはコンロの前に戻って、また肉や野菜を焼き始めた。


 お酒を飲み始めてから一時間。美咲たちは酔いが回ったのか、ずっと笑い声を上げていた。全然面白くない話でも、手を叩いてみんなで爆笑している。

 そんな美咲と目が合うと、笑いながら私の肩に手を回してきた。


「どうしたのぉ、育美ぃ。全然飲んでないじゃーん。ほら、キンキンに冷えたビールあげるから飲みなさーい」

「うん、ありがとう」


 プルタブを開けて、私は勢いよく半分ほど飲んだ。

 ……ダメだ。全然酔えない。山口の顔が視界に入る度に、陰鬱な気分になる。


 その山口が、また視界に入った。

 視線を逸らそうとした時、目が合った。

 彼女は、ふっと笑った。


 瞬間、身体の中を何かが通り抜けたような感覚になった。私は自分の身体を触ったあと、両手を眺める。何だろう、今の感覚は……。

 どっくんと、胸の中で心臓が跳ねたような感じがした。


 それが合図だったかのように、私の中で嫌な予感が急激に広がっていく。

 わからない。うまく説明できない。ただこの場にいたくないと強く思った。


 その私の思考に同調するかのように、それまで静かだった犬たちが一斉に吠え出した。

 犬によって吠えている方向は違っていた。森の方に向かって吠えている犬もいれば、湖の方に向かって遠吠えを繰り返している犬もいた。

 それぞれの飼い主が叱ったり身体を撫でたりしているけれど、騒ぎはなかなか収まらない。


「えっ、何? 何が起こってるの?」

 ハイテンションだった佐紀ちゃんは真顔に戻り、缶ビール片手に辺りをきょろきょろと見回している。


「犬って鼻がいいから、何か感じたのかも」

 と、こちらも真顔に戻っている美咲が言った。


「何かって何?」

「それはわかんないけど……」


 犬たちの吠える声が、ここにいたくないという私の気持ちを増幅させていく。

 理由なんて何だっていい。コテージに戻ろう。私はそう決めた。


「ねえ美咲、私ちょっと体調が――」


 その時、また突風が吹いた。先ほどよりも、もっと強い風が。

 焚き火台の火が激しく燃え盛り、再び私を襲った。

 咄嗟に身体を逸らしたけれど、洋服に火が付いた。

 熱いっ!

 私は悲鳴を上げて転げ回る。


「育美! じっとして!」

 美咲がペットボトルの水を私に掛け、火を消してくれた。

「育美、大丈夫?」


「うん。ありがとう、美咲……」

 シャツが少し燃えただけで、幸い火傷はしなかったけれど、私は尻餅を付いたまま呆然としていた。


 さっきと立っている位置を変えたのに、なぜ私にだけ火がつくの?

 こんなの普通じゃない。

 私は心の底から恐怖していた。


「水原さん、ほんとに大丈夫?」

 山口が側まできて、心配そうな顔を向けた。


 それは、作り物の表情。

 私は見た。

 私の服に火がついた時、ほんの一瞬ではあったけれど、山口の口角は上がっていた。


 呪いは、存在するのだ。

 この女は、私を呪い殺せる。

 今、はっきりと、確信した。


「育美、一回コテージに戻ろう」

 美咲が中腰になって、私に右手を差し出した。


「ありがとう」

 その手を握ろうとした瞬間だった。


「きゃあっ!」

 美咲が悲鳴を上げて、固まったかのように止まった。


 美咲の視線は私の後方に向けられている。

 私は尻餅を付いたままの姿勢で、ゆっくりと振り返った。

 視界の下方で、何かが動いた。

 自然と視線が下へ向く。

 そこにいたのは、蛇だった。


 顔を上げた状態で、じっとこちらを見ている。

 こんなところに蛇?


 咬まれたらどうなる?

 わからない。

 この蛇は毒を持っている?

 わからない。

 毒なしなら咬まれても大丈夫?

 何もわからない。


 思考が乱れている中で、鋭い言葉が頭の中に響いた。

 逃げろ! 今すぐ立ち上がって逃げろ!


 意味は理解できた。だけど身体は硬直したかのように動かなかった。指一本、動かない。

 助けて……。

 その一言も、声にならない。

 辛うじて動く眼球が捉えたのは、満面の笑みの山口だった。


 蛇が、動いた。

 そう認識した時には、口を大きく開けた蛇が眼前に迫っていた。

 避けられない。咬まれる。


 覚悟した瞬間、ドンッという音とともに目の前を何かが横切った。同時に蛇の姿は消えていた。

 何かが横切った方に顔を向ける。

 猫が蛇を前脚で押さえつけていた。


「幸丸!」

 私の声に、幸丸が振り向いた。


 直後、地面に押さえつけられていた蛇が顔を上げ、幸丸の前脚に咬みついた。今まで耳にしたことのない、幸丸の悲痛な鳴き声が響く。


 その声を聞いた瞬間、私の身体に自由が戻った。

 立ち上がって幸丸の元に駆け寄ると、前脚を咬んでいる蛇を両手で引き離し、地面に力一杯叩きつけた。


 それでも蛇は逃げ出さない。口を開けて私に向かってくる。

 再び幸丸が体当たりすると、蛇は一回転して吹き飛んだ。

 態勢を立て直した蛇が顔を上げる。

 幸丸は体当たりした勢いのまま突進し、蛇の顔を前脚で思いっ切り叩いた。


 空中に弾き飛ばされた蛇は、鈍い音を立てて誰かの身体に当たった。

 そこに立っていたのは、山口だった。


 山口の身体にぶつかった蛇は、地面には落ちず、まるで彼女の首から生えているかのようにぶら下がっている。

 一瞬事態が呑み込めなかったけれど、山口の首元を見て理解した。蛇は山口の首を咬んでいるのだ。


「ひいぃぃぃ!」

 何が起こったのか、山口も理解していなかったようで、一呼吸置いてから叫び声を上げ始めた。


 山口は両手で蛇を引き剥がそうとする。

 ブチッと千切れる音がし、蛇の牙は首から離された。

 同時に、山口の首から血が流れ出した。断末魔のような叫び声が響き渡り、山口はその場に崩れ落ちてのた打ち回る。


「死ぬぅ! 助けて! 誰か助けてぇ!」

 美咲たちが山口の元に駆け寄る中で、私の脳裏に浮かんできたのは幸丸の姿だった。


 そうだ、幸丸!

 振り向くと、幸丸は地面に蹲っていた。


「幸丸!」

 駆け寄って幸丸の身体を擦る。

「幸丸、大丈夫?」

「ニャアァ」


 咬まれた左脚を見る。出血はしていない。左脚を触ると、幸丸は痛そうな表情をした。

 さっきの蛇はマムシだろうか。マムシなら毒を持っている。

 猫がマムシに咬まれたらいったいどうなるのだろう。

 猫は毒への耐性はあるのだろうか。

 パニックになりながらも、病院の存在を思い出し、私はスマホでタクシーを呼んだ。


「すぐ病院に連れて行くから、もう少し我慢してね」

「ニャッ」

「幸丸は強いから、マムシに咬まれても大丈夫だよね? 毒もやっつけちゃうよね?」

「ニャアァァ」

 幸丸は咬まれていない方の前脚を動かし、力強く鳴いた。


 大丈夫。きっと助かる。私はあらゆるものに祈った。幸丸を助けてくださいと。


「早く救急車を呼んで! 私死んじゃうって!」

 周りにいた人たちやキャンプ場のスタッフが駆けつけて、手当てをしている最中も、山口は錯乱したように叫び続けていた。


 私は幸丸をそっと抱き上げた。

 やはり、幸丸は特別な能力を持っていた。きっとそれは私の危険を察知する力。私が幸丸に助けられたのは、全て必然だったのだ。


「また助けてもらったね。私、幸丸に助けてもらってばっかりだ。ごめんね」

「ニャアァァ」

 幸丸は、私のおでこに頭をくっ付けた。その格好で、私の頭を前脚で撫でる。

 気にするなよ。そんな声が聞こえてきそうだった。


 私は笑った。まるで恋人に慰められている女のようだ。

 山口は発狂したように喚き続けている。

 やがて救急車のサイレンが聞こえてきた。

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