怪獣の季節
宝力黎
第1話 怪獣の季節
ホームは大混乱となった。警察官が駆けつけた時、百人に近い野次馬が取り囲み、その中で大乱闘が繰り広げられていた。警察官は必死に間に入り、両者を引き離すのに十分以上掛かった。
「何が原因だ!」
怒りの口調で警察官が問う。人混みから《テレビとは違うな》の声が聞こえたが気にしている余裕はない。八名もの警察官が、ケンカの主二人を引き離し、押さえつけていた。一方は既に静かだが、もう一方の興奮は収まっていなかった。
「向こうが先に手を出してきたんだ!」
するとまた人混みから声が聞こえた。
「おまえが痴漢してたんだろうが!」
警察官は静かになった若者に尋ねた。
「それは本当か?」
大人しそうな若者は頷いて答えた。
「はい。女の子が泣いていたので、そいつにヤメロと言いました」
「先に手を出したと言ってるが?」
「それは本当です。やめなかったので、駅で引きずり下ろしました」
「暴行傷害だ!」
痴漢をしていたという男は叫んだ。警察官は頭を掻いた。
「詳しくは署で聴くが、それが本当なら手を出すもの問題だよ。裁くのは法が――」
「その間、女の子は泣いていればいいんですか?」
「そうは言ってないだろ?警察官が駆けつけるまでの間はさ――」
「逃げますよ?それに、持っていた傘で威嚇してきたのは向こうです。それをじっと見ていたらよかったんですか?警察は三秒で来ますか?逃げたら誰が裁くんです?また女性が何処かで泣けばいいんですか?それが警察官のご家族でもそれでいいんですか?」
警察官は答えに窮し、顔を見合わせた。
「だめだな、署へ行こう」
スマホで撮影する野次馬から声が湧き上がった。
「そのお兄ちゃんは何も悪くないぞ!」
「そうよ!その痴漢の馬鹿と同じに扱わないで!」
「何だとこの野郎!」
痴漢と野次馬の応酬になった。警察官は無言になり、男と若者を連れて所轄署へと向かった。
昔なら、そんな小さな出来事はニュースにもならない。その場に居た者以外、普通なら知り得ない。だが、ネット社会は違う。あるアカウントがその際の様子を動画付きで詳細にアップした。すると数万の《いいぞ》と、コメントが集まった。ほぼ全員が若者への擁護的意見であり、犯人に対しては《二度と犯行が出来ないように公共交通機関への出禁を科せ》という過激意見まで見られた。
さらに事態は深刻に過激化した。犯人の名前、住所、勤め先も暴露されたのだ。本来であれば粛々と法が対応したであろう案件だが、異次元の結末が待っていた。それは犯人の自死だ。
マスコミはこぞって《ネットの暴走》《やり過ぎ》を報じた。だがそれにも反論が湧き上がった。
《そういう自分や家族、友人や恋人が同じ目に遭っても見捨てるわけか?》
《アナタも何もせずに見ているわけよね?そういうことでしょ?》
《犯人が何を考えて何を選ぶかまで斟酌出来るか!みんなそんなに暇じゃ無いんだよ!》
《嫌なら人への迷惑行為を自分がしなければいいだけでしょ?》
溢れ出る意見達は他の事件までも引き合いにしての大濁流と化した。
サイト運営は、自粛を呼びかけるが、関係スレは消しようも無く乱立する。中には過激に過ぎるという趣旨の反対意見もあったが、流れの中にあっては少数派だった。
正しいと信じることを主張して何が悪いのか――という意見が大勢を占めた。誰もが、自分の感じる正義が《閉じ込められる》その事を不当と感じ、忌避した。
《言って何が悪い!》
《正しいことの何が悪い!》
そのうねりは次第に大きくなりながらも、奇妙に目立たなくなっていった。それが普通――と受け取られ、あえて言うほどでも無い、という共有が進行したのだ。
悪は断罪されて良い。法が間に合わないなら、誰かが裁くしか無い――その思考が驚くほどの短期間で、驚くほど多数の中に浸透し、それを止めるすべが官憲には無かった。ただ呆然と流れを後追いし、諫める言葉も聞こえない群衆に向けて吐くだけだった。
そんなある日、怪獣が出現した。
どこから、何故やって来たかも判らない巨大な怪獣は街を破壊していく。誰にも止められない。平和に暮らす人々が日々懸命に働いて作り上げた住居や幸福を踏みにじり、怪獣は進んだ。
当然自衛隊も対応したが、通常の火器で怪獣を仕留めることは出来ないと判明した。米軍が協力を申し出たが、使用する兵器の内容に驚愕して政府は二の足を踏んだ。怪獣は倒せるかも知れないが、街どころか、都市全体もただでは済まない規模の攻撃を米軍は考えていた。
誰にも何も出来ない中で、それは起きた。
どこから、何故やって来たのかも判らない巨大な、人に似た姿のそれが怪獣と闘い始めたのだ。人々はその巨大な者に《正義の味方》と名付けた。正義の味方は必死に戦う。怪獣に飛びつき、殴り、不思議な光線まで駆使して。
やがて怪獣も弱り初め、倒れてしまった。正義の味方は怪獣に向けて仕留めるかのように光線を発した。怪獣は破壊され、飛散した。
満足げな正義の味方が飛び去ると、人々は呆然と我が街を見た。何もかもが踏みにじられ、跡形も無い。恨みの怒声を上げる者も居たが、これは仕方が無かったんだという者も居た。もしも正義の味方が現れなければ、怪獣の被害はもっと大きかったはずだと。特にその言葉は、被害の無かった近隣の都市から湧き上がった。
《小さな被害で大きな被害を食い止めたんだ。何が問題だ》
小さくは無いその声で、被害地域は沈黙した。誰に賠償請求も出来ず、泣き寝入りするしか無いのだと社会は断じたのだ。
被害地域の人々は思った。
「本当の怪獣は――」
怪獣の季節 宝力黎 @yamineko_kuro
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