第2話
午前八時十分、作業服から私服に着替えてタイムカードを差してヌルッと帰ろうとしたら声をかけられた。チッ、清掃会社のくせに乱雑な事務所の動線を見極めながら出口までのタイムアタックを毎日小さな楽しみにしているのに邪魔すんな小汚い社長ぉ、という内心はもちろんおくびにもださない。
「立花さん、明日ヘルプ頼めるかな?」
「いつものやつっスね。了解でーすおつかれっシたぁ」
明日は休日と言ったな、アレは嘘だ、ってやつ。別にいいけどね。普段のシフトと違って朝から夕方までって時間帯だけは吸血鬼的にしんどいけど体力絶倫だし、ビルではなく個人宅、いわゆるゴミ屋敷のお掃除もテンション上がって楽しいし。通販番組の洗剤の枠大好き。効果を信じてないから商品は買わない。
ああ立花? ども、改めて自己紹介をば。
俺の名は
いやー、戸籍を作るの苦労した。DVだの夜逃げだの家庭の事情などで戸籍のない日本人はそれなりにいて、法務省がサポートしてくれるらしいけど俺の見た目外国人だから外務省案件だわ。アルビノって言い張ればワンチャン日本人扱いされるかもってレベルで外見に問題アリ。
区役所に行って行政相談窓口に話を聞くと、記憶喪失で身元不明の成人が戸籍を得た例も一応あるらしいから俺も倣ってみた。
もちろん正面からストレートに助けを求めても期待できないからズルした。先の例だって記憶喪失の診断を受けて精神病院に隔離されて数年後に裁判所で手続き完了とか
ここで吸血鬼の特技の出番じゃい。テレレテッテレー、さいみんー。
可愛く言ってもエグい。バレたらコレだけでも迫害される。
俺と目があって「従え」って意思を込めただけで一般人は操り人形と化す。抗えるのはまともな修行を積んだガチの宗教者とか修羅場を潜った組織のリーダーとか、メンタルお化けなタイプくらいっぽい。
エロゲ仕様とか言うな俺も時々疑ってるんだから。今のところ隣人が美少女だの色気溢れる人妻だのって展開はないからセーフ。
暴力と同じく、この能力も濫用しないよう戒めなければマズい。あくまで俺の話を素直に信じて友好的に接するように誘導する、催眠はその程度の使い方を心掛けた。
とりあえず生活保護を申請してなにはともあれ先立つものを手に入れて、銀髪を黒く染めて、カラコンで深紅の瞳を隠してようやく人外から絶世の美青年にランクダウン。
エルフと吸血鬼が男女共に美形というのは有名だけどさ、補正がバグってる。初めて鏡を見た時は美しすぎて逆に吐きそうになったし未だに慣れない。だから前髪伸ばしてメカクレにしている。さらにマスクで安心感倍増。
会社の人達にも薄っすら催眠をかけている。俺は空気のように意識しづらいように。見た目や過去を詮索されるとダルいからこの使い方は便利。
あと斥候タイプを選択したのも効いてるっぽい。我ながら不審者オーラ出てるのに今のところ職質されたことがない。
チャリンコ漕いでコンビニ立ち寄って三十分で帰宅。
しばしマッタリタイム。
料理動画をお手本にアラビアータ作って一口。うーんイマイチ。ニンニク? 普通に食べられるしむしろ好きだぞ。そもそも一番駄目なはずの日光に耐えられるし、どこかのパイセン吸血鬼がやらかして偏向報道されてる説が濃厚だね。
十字架? それこそそのパイセンが元クリスチャンだから罪悪感がどーのってハナシなだけでしょ。全吸血鬼の弱点が十字架だったら漢字の十と厨ニの†で溢れた日本に暮らす俺オワタ。つまりそのパイセンは元人間。ポンと生まれた真祖の俺と違って誰かの下僕ドンマイ。
雑誌を読みながらうつ伏せから仰向けにチェンジするついでに置き時計をチラ見。
そろそろ午前十時。配信というかエナジードレインというかご飯にするかぁ。
さっきのご飯は喫煙みたいなもの。味を楽しむためであって生きるための糧じゃない。あくまで感覚の話だけど何を食べてもカロリー九割カットされる感じ。
配信するまではどうしてたか? 効率が悪くて物足りなさはあるものの、人の多い地域から自然に吸収できて問題ない。なんなら深夜のビル清掃をしながら残留思念ぽいエネルギーも取り込んでるし。ただ生きるだけなら飲まず食わずボーっとしてても大丈夫。棺桶に入って百年千年ボーっとしてるパイセンがどこかにいるかも。
まぁ効率が悪くて物足りない点に我慢できなくて人を襲うパイセンがいたのだろうし、俺は最も賢そうな手段として配信を思いついた。
じゃ、始めますか。
「どもー。痴漢冤罪が怖すぎて電車やバスに乗れないイチゴの入ったシュークリーム、シューク・ベリームです」
[こんシュー、で合ってる?]
「おぉ、オープニングから返されるの珍しっ! こんシューだのおつベリーだのってアレでしょ。Vtuberとかいうやたらコラボしたがるインドア陽キャのミームでしょ? 見るのは好きだけど真似はムリー。せめてガワ作ってからにしてつかーさい。作る予定ないけど」
ガワとはアバターの絵のこと。実は自分で絵を描いてVtuberになろうか悩み中。まだ何も決めてないから内緒。
「まぁこんシューも含めて自由にコメントおなしゃース。今日はMMORPG、
RTA、リアルタイムアタックに迷いは禁物。オープニングCGはスキップ。キャラクリも高速。ステータスはSTRとAGIに全振り。スキルはパッシブの剣術と索敵を取って見た目イジリは十秒。獣人族? リアルなグラフィックでヒョロガリのリス顔ってまあまあキモいけどこれでいったれ。
「あ、
広場にプレイヤーキャラ出現。周りに他プレイヤーが三十人くらい。ウインドウが開いて説明文が見えたけどボタン連打で早送り。
いったん周りを確認する。高い壁で囲まれた大きな街。遠くに城が見えるからファンタジーな世界の王都スタートかな。
アナログスティックを使った移動は簡単だけど買い物するつもりで武器屋らしき建物に入って主人のNPCに話しかけようとしたら斬ってしまった。
なんか画面が赤く点滅しているから逃げようサイナラ。
衛兵ぽいNPCに追われながら街の外に出ると点滅は消えた。
「出入り口で検問なしとかいかにもゲームだねぇ」
街道をダッシュしながら頻繁に現れる雑魚敵に斬りかかる。進んだ先に何があるのか分からないけど単調になったから雑談するかぁ。
「Vtuberて面白いよね。気付けば五人くらい推してる。人気が出る背景、文化の推移を考察すると一層面白い」
なんか洞窟に入ってもうた。次の街ちゃうんかい。初期装備だから詰みそうまぁいっか。
「大前提として、今ある文化のルーツは数百年前、江戸時代には既に生まれている。会いにいける地下アイドルもセンターを決める総選挙も握手券欲しくてグッズ爆買いも江戸時代に始まってる、は流石に言い過ぎかも。当時は江戸トップの茶屋の看板娘決定戦が開催されていて、江戸中のオタクは瓦版で推しの
[マ?]
「ま。なんなら外国は知らんが日本は千年前には既にSNSがあったよ。奈良平安時代の和歌が大量に現代に残ってる意味分かる? 現物ではなく情報、内容のみとはいえAさんがBさんに宛てたラブレターが千年残るなんてミラクルなのに大量にあるって異常なことだと思わない?」
ラッキー、良さげな剣ドロップ。プレイヤースキルで敵の攻撃を回避できる仕様とはいえコッチの攻撃弱すぎて戦闘時間長引いてたから助かる。
「奈良時代はまだ規制は緩そうだけど、平安時代の上流階級は未婚の男女が対面してコミュニケーションをとることが難しかった。そこで、AさんはBさん宛ての
おー、ストレスフリーでサクサク進む。攻撃力って大事だな。でも移動速度がちょっとずつ上がるAGIのほうが重要だからレベルアップする度にボーナスはそっちに全振りする。
「そのやりとりを見て察した視聴者は
[うそだろオイw]
[目からウロコ]
[ヤベ ちょっと感動]
「紫式部は妄想好きの腐女子だし清少納言はひょっとしたら世界初のあるあるネタ芸でウケたインフルエンサー。人間のすることなんて百年千年変わらないよー。でも一つ忠告を。歴史は諸説アリを肝に銘じてないと不健全になる。今の話は千ある説のひとつ、その程度に聞いて受け流してねー。さっきは勅撰和歌集と書いて切り抜き動画と読むハナシ。勅撰和歌集と書いて牡丹燈籠と読む怪談や勅撰和歌集と書いて日本補完計画と読むねるふなハナシもできるぞ?」
中ボスかな。メカニックなダチョウが突撃してきた。かわして斬ると雑魚とは違う甲高い音。わー、あるある。物理無効、魔法で攻撃しなさいってヤツでしょナメんな。
魔法は使えないから雷属性の攻撃アイテムを始めに使い切って他も景気よくバラまいて撃破。ドロップは今使っている剣より攻撃力は低いけど雷属性ついてる短剣。メッチャありがちー。次のボスで有効だったらありがちすぎて萎えそう。
「Vtuberのルーツはどこまで遡れるかなぁ。一つ前は動画配信者、と思いきやビミョーなんだよね。俺の見立てによると、Vtuberの人気の理由の一つは声優業界の変革にある」
洞窟の中、薄暗いマップからキンキラ輝く水晶だらけの通路をひた走る。はいはいライトニングダガーを装備しまーす。
「需要があってそういう時代の流れだから声優に文句はないし批判する気もないけれど、かつてのアニメキャラはテーマパークのマスコットと同じ立ち位置だった。中の人などいない。夢を壊さないためにそう言い張らなければいけない」
お、BGMが変わってプレイヤーの数倍巨大な芋虫登場。あれ? 鉱石ゴーレム系じゃない。流れをぶった斬る展開、嫌いじゃない。
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