第7話 お疲れ様です


 四条よじょうさんの所属する企画課と俺の所属するデザイン開発室は同フロアにはあるものの、中央のエレベーターを挟んだ廊下の端と端だ。


 だからお互い遠目に見かけることはあれど、エレベーターを利用する際や偶然社員食堂で居合わせる時を除けば用件もなく顔を合わせることはまずない。


「失礼します」


 軽くノックをすると、ノートPCを脇に抱えながら企画課のガラスドアに手を掛ける。


 すると「お待ちしてました」と倉庫程度のD&Dうちなんかもよりずっと広いフロアを歩いて来るのは江藤未希さん依頼主


 ちなみに今は9時半を丁度過ぎたところ。

 どうやら四条よじょうさんの姿は見えない。


 まあ一度帰ったわけだし。まだ来てなくて当然か。


「誰かお探しですか?」


「あ、いえ……」


 愛想笑いを返すと、江藤さんが何かを思い出したようにポンと手のひらを叩いた。


「そうそう、誰かで思い出したんですけど四条よじょうさん。彼女、昨日大喜びで。遠賀おがさんはすごいって課のみんなに言い触らしてたんですよ」


 よほどだったんだろうか、思い出し笑いの止まらない様子の江藤さんにこちらも苦笑いを返しつつ、まさか本当に言い触らしてくれていたとはと、正直むず痒い。



 その後、打ち合わせを終えた後も結局安否は確認出来ないまま、やっと四条よじょうさんを目にしたのは昼の休憩時きゅうけいどきだった。


 エレベーターから降りる際に鉢合わせになると、四条よじょうさんが「あ、遠賀さんっ」と嬉しそうにこちらへ駆けて来る。

 見るに怪我の痛みもそれほどではなさそうでこちらもホッと一息つきつつ。


 どうやら黒のタイツに履き替えたらしい。怪我の所在はしっかりと覆われ、パンプスも今朝履いていたのとは違うもののようだ。


「今朝は本当にありがとうございました」


「いえ、実は僕もヒールが折れてやしないかと少し心配してたので。無事が見れて安心しました」


「おかげさまで。本当にその節は——」


 ダークブラウンのさらさらの髪を振り乱しながら何度も頭を下げてくれる四条よじょうさん。と、その姿に俺は首を傾げる。


「あれ。もしかして着替えました?」


 たしかにスカートも少し汚れていたとはいえ……、ともかく少しオフィスカジュアルから外れそうなほどの可愛らしいワンピース姿だった。


 すると四条よじょうさんは「あ、えっと」と恥ずかしそうに指先で前髪を弄び始め、その後キョロキョロと辺りを見回すと今度は破壊力抜群、大きな二重の目を俺に向けてくる。


「あの、遠賀おがさん。今晩なんですけど――」「あ、遠賀おがさんだっ」


 同時に重なる声。振り向くと、声の主はなっちゃんこと成田なりたゆなさんだった。

 

 四条よじょうさんと同じ入社三年目だったか。

 いつも愛想の良い元気な笑顔を振りまく彼女は、常務お抱えの秘書ということもあり四条よじょうさんと同様に社内でもかなりの有名人だ。


成田なりたさん。どうしてこのフロアここに?」


「少し時間が空いちゃったんで。あきさんに借りてた本を返しに」


 秘書らしいシックな色味を基調とした制服に身を包む成田なりたさんは一瞬デザイン開発室の方へ目を向けると、今度はささっと俺の傍ににじり寄ってくる。


「今晩は楽しみにしててくださいね。実は普段は予約出来ない三ツ星レストランをなんとコネで—―」


 と、そこまで言って四条よじょうさんの存在に気付いたらしい。

 成田さんは俺たちを交互に見るとこくり小首を傾げる。


「……あれ。もしかして私、今お邪魔しちゃってたりします?」


 そんな成田さんにすぐさま反応したのは四条よじょうさんだ。


「邪魔だなんてっ。じゃ、じゃあ遠賀おがさん、私はこれでっ」


 深々と一礼するや四条よじょうさんはさっと身を翻し企画課の方へ駆けていってしまった。

 

 あれ? エレベーターに乗るつもりじゃなかったんだろうか。


 それにさっき今晩って。何か言いかけていたような。





「今日は楽しんでらっしゃい。なっちゃんあの子ノリがいいから、もしかしたらアンタたち明日には付き合ってるかもねー」


 定時を過ぎ、帰り支度を整えた俺にあきさんがにたにたと含みのある表情かおを向けて来る。


「だから俺たちはそんなんじゃないですって」


「ふふ。ま、明日の報告を楽しみにしてるわ」


 聞いちゃいない。




 その後、さすがに社内での待ち合わせは憚られ(というか俺が断った)、近くのカフェで副業に勤しみつつ時間を潰しているとテーブル脇に人影が。


「あのぉ」


 恐る恐るといった感じ。声を掛けられ、成田さんかと思い顔を上げた俺はいったい今日何度目だろうか、目をしばたたかせることになる。


 というのも、「お疲れ様です」と窺うような眼を俺に向けて来たのはなぜか——


 四条よじょうさんだったからだ。



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