第8話 舌鼓を打つ彼女

「「お疲れ様です」」


 俺はビールを、四条よじょうさんはレモンサワーを。

 互いのグラスをカツンと合わせ、くっと一口目をあおり喉をうるおわせる。


 そっとグラスを口につけながらカウンター席、左隣に座る彼女に目を向けてみる。

 どうやら無理をして酒に付き合ってくれたわけでもなさそうか。


 ちなみにここは千葉にほど近い都内某所の焼き鳥屋。


 モクモクと煙立つ厨房には威勢の良い店主さんが。多くの客で賑わうほどよく狭い店内で四条よじょうさんとふたり串を手にむ。


「ん~、美味しいっ」


 頬を緩めながら舌鼓を打つ彼女の幸せそうな表情たるや、こちらの頬まで緩んでしまうほどだ。


 そんななか、何を思ったのか四条よじょうさんが申し訳なさそうな目を向けてくる。

 

「すみません、私なんかが代役で」


「いえ、そんな。逆に付き合ってもらっちゃって。……こちらこそすみません」


 頭を下げる彼女に向け、同じく以上に頭を下げ返す。

 四条よじょうさんで代役が成り立たないのなら逆に俺を取り替えてもらった方が手っ取り早い解決策というもの。その場合、もはや原型は無くなってしまうが。


 それにしても……、ここのどこが三ツ星レストランなんだか。

 そもそもレストランでもなんでもない。


 残念ながら予約してくれた当の本人は不在。多分驚かせようと思ってのことだろうけど、すんなりと手の内をさらさないところが成田さんあの人らしいなと妙な笑いが込み上げてくる。


「でも、ほんとに秘書って大変ですよね」


 しみじみと零した四条よじょうさんに俺も頷いて応える。


 カフェに突然彼女が現れた時は正直驚いたものだが、逆に作業に集中し過ぎて成田なりたさんからのRINEに気付かなかった俺にしか非はない。


 ちなみに四条よじょうさん、定時後に企画課へやって来た成田さんから予約した店の情報と共に俺との待ち合わせ場所を教えられたらしい。

 というのも常務が急遽外出することとなり、秘書課員である彼女も同行する事になってしまったからだ。


 まあ事前にそういったことがままあるという話は聞いていたから理解はできるものの。だからと言って成田なりたさんが四条よじょうさんを代役に立てた理由にはならないし、それこそ逆に彼女が来てくれた理由にもならない。


 とはいえ律儀な四条よじょうさんのことだ。今朝の御礼のつもりなんだろうが、それでも男性と二人きりなんて気が引けるだろうに。


 ふと今朝彼女のストッキングを破っていたことを思い出した俺はなんとも言えない気持ちになりつつ、同時に耳まで真っ赤にしていた四条よじょうさんを思い出す。


 そんな彼女といまこうやってふたりで飲んでいるなんて。その非現実感ぶりに笑いさえ込み上げてくる。


 それにしても。職場では余計な感情は押し殺すよう気を張っているせいかあまり気にしたことは無かったが、いざこういったプライベートな空間で対峙してみるとその透き通るような白い肌のきめ細かさたるや、息を呑むほどだ。


 加えて長い睫毛やその奥にある二重の奥ゆかしい眼差しもそうだし、綺麗に通った鼻筋にしとやかさと色気を同時に兼ね備えた柔らかそうな唇と、その全てが精巧でしかも絶妙なバランスで配置されている。


 極めつけ、今の四条よじょうさんは可愛らしいワンピース姿。


 眺めているだけで幸せだと感じる感覚はある種自分が最高だと思えるデザインを書けた時の感覚それに似ていて。それになにより一語一句に邪気が無くまるで裏表を感じさせない彼女といると癒されるしかない。


 本当、今後彼女と一緒にいられる男はさぞ幸せなんだろうな。


 俺がもう少し若ければどうだったろう。


 そんなある種感傷にふけりながら、俺はグラスに口をつけるとクイとひと飲み一気にあおった。




 焼き鳥屋ここで飲み始めてから1時間半ほど。

 話題の中心は今日まで数ヶ月に渡り共に進めてきた四条よじょうさんの企画の話や俺が入職する前のデザイン開発室がどうだったかなど、職場でのことが中心だ。


 そんな中、なにより楽しそうに話してくれる四条よじょうさんが可愛くて。

 こんな時間も悪くないな、などと思いながら。


 三杯目を飲み干そうという俺に比べ、現在彼女は二杯目の半分といったところ。

 酔ってはなさそうに見えるが元々肌が白いためかほんのりと頬を蒸気させると、四条よじょうさんは両手で持っていたグラスをコトとテーブルに置き俯き加減、「あのっ」と何かを切り出そうとする。


「余計な詮索というのはよく分かっているんですけど……」


 そんな前置きを挟むと言い淀み、少しだけ視線を彷徨わせる四条よじょうさん。

 俺は無言のまま、彼女に視線を置くことで続きを促した。


「……その、成田なりたさんとはどんなご関係なのかな、と。もしかしてお付き合いされてたり、とか?」


 言葉尻、ちらっと窺うような目を向けられ。

 想定外の質問を受けた俺は一瞬目をしばたたかせるも大袈裟に首を横に振る。


「まさか。そもそも付き合っているなら彼女も代役を頼んだりはしないでしょう?」


「そ、そうですよねっ。分かってました。分かってはいたんです、けど……、ただ、なんというか少し気になってしまって」


 気遣いにけた四条よじょうさんのことだ。成田さんに引け目でも感じたんだろう。


 まあ、どうして今になって? という点はさておき。成田さんと飲みに行くことになった経緯を話さないことには場は収まらないか。


 一拍置き逡巡しゅんじゅんするも、


「実は二カ月ほど前、付き合ってた彼女と別れたんです——」


 そう切り出すと俺は努めて明るく話し始める。


 付き合ってた菜摘彼女と大学からの腐れ縁だったこと。

 当時から彼女とは付き合ったり別れたりを繰り返していたこと。


 そして別れた後すぐ、偶然街で他の男と仲良さげに手をつないでる場面ところを見かけたことと、


 つまりそれが——俺と付き合ってた時から少なからずその男と交際関係があったという事実を示唆すること。


成田なりたさんとは偶然時岡ときおか室長と三人で飲む機会があって。その時そんな話が話題にのぼったものだから、彼女も気を遣って誘ってくれたんだと思います」


 元はと言えば、あきさんがけしかけたからなのだが。


「……そう、だったんですか」


 聞き終えた四条よじょうさんは俯き加減、口をつぐむ。


 どうしたって明るくなるような話でもない。

 半分申し訳ない気持ちでそろそろ場も温まってきたからと話した自分に後悔の念を抱きつつ、俺は切り替えようと四条よじょうさんに笑顔を向ける。


「と言っても、今はもうすっかり吹っ切れてますから。それより飲みましょう」


 そう言って仕切り直しとばかり乾杯を促すと、「は、はいっ」と慌てて四条よじょうさんもグラスに手を伸ばしたのだが。


 その時、誤って彼女の腕がグラスの側面に触れてしまう。


 目の前でカタコトとふらつくグラス。


 俺は咄嗟に手を伸ばしグラスそれを押さえるも、安堵の溜息を吐いたのも束の間——、


 遅れて伸びてきた彼女の両手が俺の手に重なっていた。



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