第6話 言えば良かったな


 なにやら物音が聞こえたような気がして、ベッドで寝ころんでいた久瑠羽くるはは上半身を起こすとヘッドフォンを耳から離す。


「もしかして。お姉ちゃん?」


 逆にお姉ちゃんじゃなければもしかしなければ非常事態だ。

 

 でも出て行ってからかなり経ってるし、忘れ物を取りに帰って来たにしては少し遅過ぎる気も……。


 一瞬背筋に走るのは紛れもなく恐怖心。


 もしもの不審者に備え、久瑠羽くるはは恐る恐るといった感じでそろり自室の扉を開けると少しだけ顔を覗かせる。


 するとリビングから聴こえてくるのは慌ただしい物音、玄関に目を向けるとやはり姉のパンプスがあった。


 ホッと胸を撫でおろしつつリビングに足を踏み入れると、姉は着替えの真っただ中だ。


「お姉ちゃん。帰ってきてたんだ」


 一方、声を掛けられた姉は「あ、久瑠くるちゃん。ただいまぁ」といつもの愛らしい笑顔を向けてくる。

 

「それはそうと。なんで着替えてるの?」


 なぜかブラジャー姿の姉は丸くぷりっとしたお尻を突き出すように腰を折り、せっせとストッキングを脱いでいるところ。


 相変わらず女性も羨むほどのスタイルに久瑠羽くるはは息を呑む。


 もしかしてまたおっきくなった? 

 前屈みのため、今にもブラから零れ落ちてしまいそうなそのお胸に同じ両親から生まれたはずの妹として深い嫉妬心を覚えながら、同時に久瑠羽くるははある違和感に気付いた。


「というかストッキングそれ、どうしたの?」


「これね。途中で溝にはまっちゃって」


 破れたストッキングをつま先から剥ぐと、姉は苦笑いを見せる。

 脛には大判の絆創膏が貼られているようだ。


「大変だったね。大丈夫?」


「うん。実は偶然同じ会社の人に会ってその人が手当てしてくれたの。でね、久瑠くるちゃん聞いて。その人すごいんだよっ」


 ギアが入ったのか、嬉々として話し始める姉に「そうなんだ」と相槌を打ちながら、だけどどうしてすんなりと話が入ってこない。


 というのもなぜか全身鏡の前、今度は姉がああでもないこうでもないと衣装選びを始めたからだ。


 破れたのならストッキングだけ履き替えればいいのでは? 

 そんな当然の疑問を抱きつつ、


「お姉ちゃん、今から会社に行くんじゃないの?」


 問いかけると「どうして?」と当たり前だと言わんばかりの表情かおを返してくる。


「どうしてって。服選んでるじゃん」


 そもそも普段こんな風に洋服選びで悩む姉など見たことがない。


 一方、指摘されて気付いたのかハッとした表情かおを見せる姉。

 どうやら無意識だったらしい。



 その後も急いでいる風なのに前髪を入念に整えたりと奇妙な行動を取り続ける姉ではあったが、支度を整え終えるや今度はせわしなく玄関に駆けてゆく。


久瑠くるちゃんごめん、今日の夕飯は適当にしてもらえる? もしかするとお姉ちゃん、外で食べてくるかも知れない」


「そうなんだ。分かったー」


「あと冷蔵庫のお肉、もし使わなかったら冷凍庫に入れておいてね。それと——」


「分かったってば。と、いうか急がなくて大丈夫?」


「あ、ほんとっ。じゃあいってくるねっ。あとカギ、ちゃんと閉めてね。最近不審者が多いみたいだから」


「はいはい、分かったから早く行きなよ」


 ひらひらと手を振りながら見送ると、ようやく閉まるドア。


 と、そこで一つ伝え忘れていたことに気付く。


「そういえば、遠賀さんお隣さんの話……。せっかくだから言えば良かったな」




 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る