第2話 沢山頑張ってくれたんだね

 前職でも上司だった彼は時岡秋ときおかあき。35歳。

 俺をこの会社に誘ってくれた恩人でもある。


 センター分けのボブカット、精悍せいかんな見てくれではあるものの果たして現在性別上は彼なのか、はたまた彼女なのか俺にも分からない。

 ちなみに顎髭ほか頭髪以外のあらゆる部位は永久脱毛済み。一応本人曰く両刀バイらしいが副業はゲイバー勤務。


 まあ、それはともかく。


「実はずっといたんでしょう。どうして入って来なかったんですか?」


「だってぇ。あの聖女様と二人きりになるチャンスよ? 邪魔しちゃ悪いじゃない」


「ですからそういう気遣いは無用ですって、前から言ってるじゃないですか。というか……、そもそもさっきふらっと出ていったのも——」


 俺の言葉にアキさんの顔色が変わる。

 この顔、確信犯だな。


 ほんと、この人は。

 俺が別れたと知るや、やたらと恋愛そっち方面のお節介を焼いてくれるんだが。正直過剰な面が否めない。


「まあまあ、そんなに怒らないでよ。私だって罪悪感を感じてるんだから」


 ドリップコーヒーにお湯を注ぎ終えたアキさんが作業台に立つ俺へと歩み寄ってくる。


「だって遠賀おがちゃん、うちに来てから菜摘なつみちゃんと別れちゃったじゃない? それってやっぱり――」


「偶然タイミングが重なっただけですよ。そもそも振られたのは俺の至らなさが原因ですし、少なくともアキさんのせいではないです」


「そうは言うけど、やっぱりねぇ。あっ、話は変わるけど今週だったわよね? なっちゃんとの食事」


 なっちゃん。

 秘書課の成田なりたゆなさんのことだ。


 この前、偶然アキさんの働くバーで出会い、なぜかそういう流れになったのだが。


「だから、どうしてそんなに嬉しそうなんですか……。それと勘違いしないでください。彼女とはただめしに行くだけで、そもそもあの時アキさんがけしかけたりなんかするから成田なりたさんもノリで仕方なくですね――」


「それはどうかしらねぇ。どんな理由にせよ、なっちゃんが誰かを誘うってだけでも珍しいことだし。あ、待って。つまりもう本命は四条よじょうさんってこと? そうならそうと早く言ってくれれば」


「だからアキさん」


 ついぞ大きな溜息を吐いてしまった俺に向け、アキさんが大袈裟に肩をすくめる。


「ま、それはそうと。今日、定時までは待ったげなさいよ? あの律儀なの事だからまたきっと会議の後、御礼を言いに来ると思うのよね」


「それは俺も思ってました。というか、その時アキさんはいないみたいな口振りですけど。またどこかに行くつもりですか?」



▽▲



——「こう見えて室長って何かと忙しいのよ。じゃ、今日は戸締り宜しくね」


 そう言ってまたふらりと出て行ってしまったアキさん。


 残された俺は本日の業務を終えた3Dプリンターの手入れをしつつ、壁掛けの時計を見遣る。


 もうすぐ定時だ。

 さすがにそろそろ会議も終わっている頃合いだろう。


 などと考えていると、廊下からこちらを覗く人影に気が付いた。 


 予想した通り四条よじょうさんだ。

 ほんとになんというか、礼を欠かさない律儀な人である。


 と、少し開かれたドアの隙間からちょこっと顔を出す四条よじょうさんであるが、全面ガラス製のドアだ。隠れているはずの身体も透けてしまっているのが妙に微笑ましい。


「すみません、定時間際に」


 入室した四条よじょうさんは改めて丁寧に腰を折り、そんな彼女に俺も作業台から軽く会釈を返した。


「大丈夫ですよ。それよりプレゼンのほうはどうだったんですか?」


 少々緊張の面持ちで訊ねると彼女はこくりと頷き、その表情かおがにこやかな表情それに変わる。

 つまり望むべき結果を得たのだろう。


「おかげさまで。機能試作に進めることになりまして」


「そうですか。それは良かったですね」


 機能試作に進む。それは次ステージに向け、一定の予算が下りたことを意味する。


「はいっ。といっても商品化にはまだまだ遠いですけど。でもほんとに、遠賀おがさんにはなんてお礼を言っていいか。朝からバタバタとご迷惑をお掛けしちゃって」


 今朝始業早々、四条よじょうさんがこの部屋に飛び込んできたことを思い出す。


 正直あの時はこっちも焦った。

 時間制限有り、一発勝負の3Dプリント製作だ。途中でイレギュラーがあれば即ゲームオーバー。そういう意味では運も味方したと言える。


「礼なら3Dプリンターこいつに言ってやってください。今日一番働いたのは僕じゃなく彼ですから」


 四条よじょうさんは俺の立つ作業台まで歩み寄ってくると、揃えた膝に両手を乗せながら中腰でプリンターをじーっと覗き込んだ。


「そっか、今日は君が沢山頑張ってくれたんだもんね。ほんとにありがとう」


 御礼の言葉を口にしながら、慈愛に満ちた優し気な眼差しをプリンターにへと向ける四条よじょうさん。

 なるほど、たしかにその姿は聖女様と重ならなくもない。


 そんなある種感心の想いで眺めていると、今度は不思議そうな眼をこちらに向けてくる彼女に気が付いた。


「どうかしましたか?」


「いえ。この子、男の子なんだなぁと思って」


「え……」


 そういえば。

 たしかに俺、さっきプリンターをこいつとか彼とか呼んでたか。


 どうしてそんな風に言ったんだろう……。

 自分でも不可思議に思い小首を傾げていると四条よじょうさんが口許に手をやりながらクスっと微笑んだ。


「無意識だったんですね。でも、それって遠賀おがさんが人だと認識するくらいそれくらいこの子のことを大切にしてるって事なのかもしれませんね」


「まあ……そうかもです。実はこいつ、前職で使ってた機種と同じで。そういう意味では短くない付き合いですし、それにこいつが機嫌良く働いてくれないとこっちも仕事してないのと同じですから」


「だからかぁ。実は私、遠賀おがさんが入社してからこの部屋に来るたび思ってたんです。作業台の上がいつもピカピカだなぁって」


「え。そんな風に見てたんですか?!」


 不意を突かれ慌てる俺を見て四条よじょうさんがまたクスっと笑う。


 ほんと油断も隙も無いとはこのことだな。小まめに掃除してて良かった。



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