第6話
彼氏だろうか。なんて詮索は無用だな。
「すみません。まだご挨拶にも伺えてなくて」
「挨拶だなんてそんな。俺もたいがい平日は家を空けてますし、それに今ので理解出来ましたから。お手間でしょうし、お気遣いなくで大丈夫ですよ」
物騒な世の中だ。
お互い表札も掲げていない中、こうやってまともそうな人と思えるだけでも十分だと言える。
そういえばこの子の名前——。
引っ越しの挨拶の時に一度聞いたはずなんだけどな。正直よく覚えていない。
「そう言って頂けるのはすごく助かるんですけどぉ」
苦笑いのような、なんとも言えない口調で彼女は続ける。
「きっとあの人のことだから、この週末にでもお伺いしちゃうかなぁと思いまして。ですので一応お知らせしておこうかと」
「……あぁ、そういう——」
あの人、つまりこの子よりも年上ということなんだろう。
「今どき律儀な方なんですね。分かりました、多分土曜の午前中なら家にいると思いますので。もしお越しになるならそう伝えていただけますか?」
「ありがとうございます。必ず伝えるようにしますね」
その後、互いに会釈をし合いその場を後にしようとしたのだが、また「あっ」と呼び止められる。
そろそろいつもの電車を逃しそうな頃合いだ。
と言っても遅刻にはほど遠いが。
そんな俺に向け、彼女は少しだけ言いにくそうに口を開いた。
「すみません。すごく失礼なことだとは思うんですけど——」
マンションのエントランスを出た俺は駅に向け歩を進めていた。
もうそろそろコートを出さないとな。
最近、特に朝の冷え込みは厳しいものがある。
結局あの後——。
——「お名前、忘れちゃって。もし良かったらもう一度教えてもらってもいいですか?」
「今更名前なんて。それになんで今になって急に」
挨拶に来るという同居人に予め伝えておきたかった、とか?
せっかくだから俺も聞いておけば良かったかな。
ま、どのみち挨拶に来るんだ。その時に聞けるだろうけど。
と、路地を曲がった時だった。
直後、目に飛び込んできたのは地面に転がる……折れた、ヒール?
……なんでこんなとこに?
そう思ったのも束の間、俺は更に目を
というのも少し先でコンクリートの塀にもたれ掛かっていたのは——
▽▲
「……やっぱり、そうだった」
失礼なことを聞いた直後だ。
それ以上失礼がないようにと見えなくなるまでお隣さんの背中を見送りつつ、
元々記憶力には自信のある方じゃない。
実際、昨日までは記憶の片隅に追いやられてもいた。
ただ珍しい名前だったから、昨晩姉から
「と言ったって。同じ名前だからってね」
そんな偶然、ドラマや漫画でもあるまいし。
でももしそうだったら——。
少しだけ面白くなるかも?
肌寒くなってきた両腕を抱きかかえながら自室のドアノブに指を掛けた。
明日もまた君に会えるのが嬉しい 若菜未来 @wakanamirai
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