第3話 少しだけ面白くなるかも?


「綺麗にしてもらえると嬉しいよね」


 そう言ってプリンターの天面あたまをポンポンと優しく撫でる四条よじょうさん。 

 その愛らしい姿は癒し以外の何ものでもなく、正直いつまでも見ていられそうであるが——。


 残念ながらそろそろ切り上げなきゃならない。

 というのも、納期の近い副業仕事をまだたんまりと残しているのだ。

 

 少々の名残惜しさを感じながらデスクに戻りPCの電源を落とした俺は、よっとリュックを片方の肩に掛けると先に出入口へと向かう。


「機能試作の詳細が纏まったらまた教えてください。あと、次のステージからは室長が担当することになると思います」


「え。担当、遠賀おがさんじゃなくなっちゃうんですか?」


「ええ、多分そうなるかと。でも本気で商品化を目指すなら室長に預けた方が安心ですよ。あの人、こと設計に関しては本当に凄いので」


「そうですか……。って、長々とごめんなさい。私が居たら鍵、閉められませんよね」

 

 慌ててこちらに向かってくると、四条よじょうさんは俺が手で抑えたドアの隙間から廊下へと出る。


 すれ違いざま、もう定時を過ぎているというのにまだ艶やかな髪がサラサラと揺れ、仄かに甘い香りが鼻先をくすぐった。




 四条よじょうさんに別れを告げオフィスを出た俺は、空を見上げながらふっと息を吐き出す。


 未だ白い息こそ見えないものの、十二月に差し掛かろうという空は既に夜の匂いを漂わせていた。


 本当、日が落ちるのも早くなったものだ。


「さて、どこで片付けるかな」


 さすがに副業を社内でなんてことははばられるものの、かといって家に帰るとやる気が無くなるのが困りだね

 静かに腰を置けるいい場所とこがあればいいんだけどな。


 前職では禁止されていた副業。というかそもそもそんな時間なんて無かった。

 でも今、業務終了後の俺はある意味社長だ。


 飲食費は必要経費として——。


「今日はダトールにしとくか」


 いつの時代も経費削減、利益率優先だ。



▲▽



 翌朝、寝不足の眼を擦りながらマンション自室のドアを開けると丁度お隣さんと鉢合わせた。

 二十歳はたち前後。おそらく大学生の、かなり綺麗めな女の子だ。


 そう言えば、いつの間にこの年代の女子を女のだなんて思うようになったんだろうな。などと考えながら。


「どうも。おはようございます」


 軽く頭を下げるとお隣さんも「おはようございます」と涼やかに返してくれる。

 どうやらゴミ出しを終えたばかりらしく、まだ部屋着のようだ。


 ちなみに引っ越してきてから半年ほど。

 引っ越しの挨拶を除けば何度か顔を合わせたことがあるだけで、面と向かってちゃんと話したことは一度もない。


 もちろん今日も例に漏れず。

 そう思い挨拶もほどほど戸締りをしていると「あのぉ」と珍しく声を掛けられた。


 振り向くと、迷いながらといった表情かおとかち合う。


「いえ、大したことじゃないんです。ただ、お知らせしといた方がいいのかなぁと思いまして」


「お知らせ、ですか?」


 意図が掴めず小首を傾げる俺に彼女は頷いてみせる。


「もしかするとお気付きかも知れませんけど。実は一昨昨日さきおとといから同居人が住んでまして」


「ああ。そういえば引っ越し業者さんが来てましたよね」


「そうそう、それです」


 日曜だったか。

 あの日もしかしてお隣さんこの子が出てったのかと思ってたら、結局翌日にも見かけておかしいと思ってはいたんだけど。


 なるほど、同居人が入居してきたってことなら納得というものだ。


 彼氏だろうか。なんて詮索は無用だな。


「すみません。まだご挨拶にも伺えてなくて」


「挨拶だなんてそんな。俺もたいがい平日は家を空けてますし、それに今ので理解出来ましたから。お手間でしょうし、お気遣いなくで大丈夫ですよ」


 物騒な世の中だ。

 お互い表札も掲げていない中、こうやってまともそうな人と思えるだけでも十分だと言える。


 そういえばこの子の名前——。

 引っ越しの挨拶の時に一度聞いたはずなんだけどな。正直よく覚えていない。


「そう言って頂けるのはすごく助かるんですけどぉ」


 苦笑いのような、なんとも言えない口調で彼女は続ける。


「きっとあの人のことだから、この週末にでもお伺いしちゃうかなぁと思いまして。ですので一応お知らせしておこうかと」


「……あぁ、そういう——」


 あの人、つまりこの子よりも年上ということなんだろう。

 兎角とかく、声を掛けられたのはそういった理由があったわけか。


「今どき律儀な方なんですね。分かりました、多分土曜の午前中なら家にいると思いますので。もしお越しになるならそう伝えていただけますか?」


「ありがとうございます。必ず伝えるようにしますね」


 その後、互いに会釈をし合いその場を後にしようとしたのだが、また「あっ」と呼び止められる。


 そろそろいつもの電車を逃しそうな頃合いだ。

 と言っても遅刻にはほど遠いが。


 そんな俺に向け、彼女は少しだけ言いにくそうに口を開いた。


「すみません。すごく失礼なことだとは思うんですけど——」




 マンションのエントランスを出た俺は駅に向け歩を進めていた。


 もうそろそろコートを出さないとな。

 最近、特に朝の冷え込みは厳しいものがある。


 結局あの後——。


——「お名前、忘れちゃって。もし良かったらもう一度教えてもらってもいいですか?」



「今更名前なんて。それになんで今になって急に」


 挨拶に来るという同居人に予め伝えておきたかった、とか?

 

 せっかくだから俺も聞いておけば良かったかな。

 ま、どのみち挨拶に来るんだ。その時に聞けるだろうけど。


 と、路地を曲がった時だった。


 直後、目に飛び込んできたのは地面に転がる……折れた、ヒール?


 ……なんでこんなとこに?


 そう思ったのも束の間、俺は更に目をしばたたかせることになる。


 というのも少し先でコンクリートの塀にもたれ掛かっていたのは——

 


▽▲



「……やっぱり、そうだった」


 失礼なことを聞いた直後だ。

 それ以上失礼がないようにと見えなくなるまでお隣さんの背中を見送りつつ、久瑠羽くるはは小さく呟いた。


 元々記憶力には自信のある方じゃない。

 実際、昨日までは記憶の片隅に追いやられてもいた。


 ただ珍しい名前だったから、昨晩姉から嬉々ききとしてその名が出た瞬間ときにピンときたのだ。


「と言ったって。同じ名前だからってね」


 そんな偶然、ドラマや漫画でもあるまいし。


 でももしそうだったら——。

 少しだけ面白くなるかも?


 四条久瑠羽よじょうくるははちいさく首を竦めるとくるりと反転、


 肌寒くなってきた両腕を抱きかかえながら自室のドアノブに指を掛けた。




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