明日もまた君に会えるのが嬉しい

若菜未来

第1話 プロローグ/15センチほどの試作品


▽▲ プロローグ



 寝る間も惜しんで働いた20代を駆け抜け、大阪に本社を置く老舗家電メーカーへと転職を果たし4カ月ほどが経った頃だった。


 ようやく業務にも慣れ始めた俺は当時半同棲状態だった菜摘恋人にそろそろプロポーズをと考え始めていた。けれどその矢先、彼女から突然別れを告げられることになる。


 それから一週間ほどが経った頃だろうか。

 見知らぬ男と楽し気に腕を組むあいつを街で見かけたのは。


「もっと刺激が欲しいの」


 別れの際、菜摘なつみから言われたその言葉を何度も頭の中で反芻はんすうした。

 けど俺たちは大学からの腐れ縁で、しかも付き合って5年も経った今更そんなことを言われるなんて思ってもなくて。


 というか。

 好きな奴が出来たんなら、はっきりそう言えばよかったじゃないかよ。


 アラサーど真ん中の30歳を目前に控えた10月上旬。


 夜空に向けて吐く息は白くもなく、まだ薄手のコートを出したばかりで。


 どうせならもっと寒けりゃいいのに。


 心も、身体も。


 かじかんでもいない手を軽く握り締めながら、そんなことを思ったのを今でもよく覚えている。



▽▲



 あれから2カ月が経ち——。



 俺、遠賀薫人おがたきとはデザイン開発室と銘打たれた小狭い一室の片隅でひとり働き続ける3Dプリンターを眺めていた。


「あと、5分ってとこか」


 目の前で積層の最終局面を迎えるのは、とある美容機器のデザイン試作品モックだ。


 早朝から製作を開始して6時間ほど、実はこいつの完成を今か今かと待ち構えているのは俺だけじゃない。

 というのも昨日、なんと社内プレゼンの前日に誰かが一部を破損させてしまったらしく、今朝大慌てで再製作の依頼を受けたという顛末てんまつだ。


 完成予定時刻は予め伝えてあり、そろそろ引き取りに来る頃合いだろうか。

 そんなことを考えつつ壁掛けの時計に目をると、案の定視界の片隅に人影が入った。


 両開きのガラスドア越しに目が合うと彼女は礼儀正しく一礼をし、俺もそんな彼女に軽くお辞儀をして応える。

 そして、それを合図に開かれるドア。


 室内に入ってきたのは見目麗しい女性社員だ。


 清楚ロングな白の部分プリーツスカートに上半身のラインをくっきりと映し出すモスグリーンのタートルニットシャツ。


 元からモデル体型なのにパンプスのヒールがさらに腰のラインを押し上げ7、8頭身はあるだろうすらりとした見栄え。

 更には控えめに言ってふくよかな双丘辺りまで伸びたダークブラウンのさら髪が窓から差し込む太陽光に照らされてきらめいている。

 

 にしても——、改めて対峙すると非現実的というかなんというか。

 一部社員の間で『聖女様』などとこれまた非現実な呼称で親しまれているらしいのも頷けるというもの。


「すみません、少し早かったですよね」


 申し訳なさそうに眉尻を下げる彼女の名は四条愛優莉よじょうまうりさん。


 企画課所属で、たしか入社3年目だったか。

 転職組、しかもまだ入って半年にも満たない俺なんかよりずっと先輩ではあるが、よわい6つほど下の彼女を見ていると自分がオッサンに思えて仕方がない。


 まあ実際そうなんだけれど。


「大丈夫ですよ。良かったらお掛けになってお待ちください」


 近くにあった手ごろな椅子に着席を勧めると素直に腰を下ろす四条よじょうさん。


 一方の俺は出来立てほやほやのモックをプリンターから取り出し、表面に磨き加工を施してゆく。

 というのも今回は時間制約があるなかスピード優先で製作したため、積層面が少々荒いのだ。


「ほんとにごめんなさい。私のせいで無駄な作業をさせてしまって」


「いえ。不特定多数が触れる試作品ですから、逆に壊れるくらい触ってもらえてありがたいですよ」


「そう言っていただけると救われます……。でも、すごいですね」


「何がですか?」


 言葉の意味が分からず作業台で首を傾げると、四条よじょうさんは俺の手元に向け存在感抜群のくっきりとした二重の目を向けてくる。


遠賀おがさんの手際てぎわがです。たしか、以前は大手に勤めてらっしゃったんですよね?」


「まあ、はい。大手と言っていいのかはさておきですが」


 瞬時に地獄(煉獄?)の日々が脳内を駆け巡る。

 たしかにあそこで鍛えられたのは間違いない。だが少なくとも礼は言いたくない。その程度にはブラックな会社だった。


 などと談笑している内に粒度りゅうどの細かなサンドペーパーで最後の仕上げを済ませ、俺は掌に乗せた長手15センチほどの試作品モックを彼女の前に差し出す。


「いかがでしょうか?」


「すごいっ。ピカピカです!!」


 受け取るとそれはもう嬉しそうにはしゃぐ四条よじょうさんである。彼女の笑顔を見ているとこちらの頬も自然と緩むというものだ。


「と、時間。急がないといけないんじゃ」


 たしかプレゼン会議は16時からだったか。今回プレゼンターである彼女は資料など事前準備も必要なはずだ。


「本当にありがとうございました。この御礼は必ず」


 大切そうにモックを抱えながら改めて丁寧に腰を折る彼女に向け、俺は首を横に振る。


「仕事ですから御礼なんて。それよりも評価につながりますので、今後も沢山ご依頼いただけると嬉しいです」


「なるほど。じゃあ『遠賀おがさんはすごい』って、課の皆に言い触らすことにしますね」


 そう言うと冗談めかして微笑む四条よじょうさん。


 こちらも「是非そうしてください」と軽く笑顔を返し、もう一度腰を折り今度こそ退室した彼女の背中を廊下で見送ると振り返った。

 

 予想した通り、そこに立っていたのは身長こそ俺同様に一般的な尺であるものの、やたらと体躯の良いシルエット。


「やっぱりいたんですね、アキさん」


「あら、バレてたの?」


 悪びれもぜず首を竦める彼(彼女?)こそは我がデザイン開発室の室長、つまり俺の上司である。


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