2話




「いらっしゃいませ」


カランカランとドアを開ける音と共に、店主の挨拶が耳に届いた。


雑貨の森を通り抜けた先、彼は相変わらずカウンターでアクセサリーを作っていた。


「こんにちは」


「やぁいらっしゃい。元気でしたか?」


「・・・・・・私のこと、覚えていてくれたんですか?」


「もちろん。一ヶ月前に来た子ですね。買ってくれたイヤリング、付けてくれてありがとうございます。似合ってますよ。サクラちゃんは元気ですか?」


たった一度しか来ていない私に、サクラのことまで覚えていてくれた。嬉しくて顔が熱くなるのがわかった。本当にこの人は人の心を掴むのが上手い。


「三日前、サクラが旅立ちました」


そのことを告げると雨無さんは作業を止め、私の方に体を向けて切なそうに微笑んだ。


「そうですか、よく頑張りましたね」


サクラに向けてか、私への労いか、もしくはどちらもなのか。その救いの言葉に目頭が熱くなったけど、泣かないよう下唇を軽く噛んだ。


「それで、お別れの記憶を預けに来たんですか?」


「いえ、記憶は預けません」


キッパリ否定すると、雨無さんは予想外だというように目を丸くした。


「どうしてか教えてくれますか?」


「だって、あんな可愛い寝顔、忘れるわけにはいきませんから」


三日前の朝、起きてすぐにサクラの様子を見た。一目では眠っているようにしか見えなかったけど、明らかに息をしていなかった。私は取り乱さず、至って冷静にサクラの体に触れた。まだ暖かさが残っていて、つい今しがた命が終わったのだとわかった。


誰も気づかないほど静かで、眠ったみたいに旅立った。今までサクラの終わりを何十回も想像してはひどい苦しみに襲われた。苦痛に満ちたあの子の最期の顔が、頭の中に一生こびり付いたまま生きていくのだと思っていた。しかし実際は全くそんなことなかった。


「もちろん、平気じゃありません。サクラがもういない事実に、気を緩めると泣きそうになります。でも、絶望だと怖がっていたお別れが、大切な思い出の一部になるとは思いもしませんでした。サクラの体を撫でながら、両親と叔父さんとあんなことがあったねぇとか、こんなことがあったねぇとか、楽しく話をして見送ることができたんです。・・・・・・始まったからには終わりが来るのは必然で、終わりだけ目を背けるのは卑怯だって、気づいたんです」


生き物を飼う責任は、その子が死んでしまっても続いていく。思い出はどんなことでも一分一秒覚えていてあげたい。


黒い体にピンク色の鼻。まるで夜桜みたいだね。周りをパッと明るくさせてくれる、そんなかけがえのない猫だった。


見てごらん、本当に気持ち良さそうに眠っているみたい。


沙都子ちゃん、最期までこの子を可愛がってくれてありがとう。


叔父さんは私にそうお礼を言った。お礼を言うのは私の方。サクラと巡り会わせてくれてありがとう。私はあの子との出会いとお別れまでの時間を決して忘れない。


次にサクラと巡り会えた世界が朝の来ない夜だけの場所だったり、お互いに姿かたちが人や猫とかけ離れた生き物になったりしても、私はまたあの子と生きたい。今度はもっと長い時間を一緒に過ごしたい。


「良いお別れをしたんですね。何よりです。そうすると、わざわざそれを報告しに来てくれたんですか?」


「はい、どうしてもお礼を言いたくて。ここに来なかったら後悔だらけで立ち直れなかったはずですから。それで感謝しているのは雨無さんともう一人いて・・・・・・」


名前を言わなくても雨無さんはもう一人が誰なのかわかったらしく、「ああ」と納得して壁掛け時計を見た。あの日止まった秒針が再び音を立てて動いている。


「そろそろやってくる頃かも」


カランカラン。ドアが開き、重みのある足音は、大切な人とのお別れの記憶を思い出すために近づいて来る。




「よっ、大将。今日も頼むぜ」

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