2話
日曜日。爽やかな快晴の下、私はバスと徒歩でさようならの預かり所とやらを目指す。
地図アプリは南東を指している。通っている高校を通り過ぎ、紫苑総合運動公園前バス停で降りる。そこからは徒歩で、道を間違えないよう止まってはこまめにアプリを確認し、慎重に進んだ。
農道から住宅街に入って迷路のような路地を通る。
やがて閑散とした無人の商店街に着いた。かつては栄えていたであろうこの場所は、全ての店舗にシャッターが閉められあちこちに落書きがされていた。
まるで別世界に迷い込んだみたいだ。
それから再び真っ直ぐの農道に出る。数百メートル進めばもう山の麓がある。家は点在しているものの、空き家と思わしき建物ばかりでまったく人気がない。自分の住む町の外れにこんな寂しい所があるとは知らなかった。昼間だから良いものの、夜にここを独りで出歩くのは正気の沙汰ではない。千秋は無意識のうちにここまで来てしまったようだが、よく無事に帰れたと思う。
目的地付近に着いて辺りを見回す。建物は路面に面していない坂の上にあり、ちょうど草木の陰になっていて見つけづらかった。地図なしで辿り着くのはほぼ不可能な場所だ。
約一時間半くらいの短い旅だったが、やっと着いたという安堵と倦怠が混じり合う。息を長く吐いてからやや緊張気味で店の出入口まで近づいた。
吊り下がり看板は『さようならの預かり所』と書かれ、風に揺れている。ここで間違いなさそうだ。
ドアを引くと、カランカランとベルが鳴る。来客の音にすぐさま「いらっしゃいませ」と男性の声がした。
店内は不思議な空間だった。話の通り絵画や陶器があるのと、外国の雑貨と植物で溢れている。壁まで隙間なくびっしりと装飾がなされ、ほとんど足の踏み場がない。それでも窓近くには空間ができていて、設置されているハンモックには女性のお客さんが座って寛いでいた。雑貨屋かカフェか誰かのアトリエか、はたまたジャングルか。これまで訪れたどの店より独特な雰囲気だ。
店のものに体が触れて傷つけないよう気をつけて歩く。奥にカウンターが見え、黒いエプロンを着た男性が立っていた。
二十代後半から三十代前半くらいで、中性的な顔立ち。胸元に付いた名札には『
現時点では千秋の言っていたことは本当だ。しかし一番確かめなければいけない真偽はここからだ。
「こんにちは、すごく色んな物がある店ですねぇ」
勇気を出して話しかけると、雨無という店員は黒色で長めの前髪からちらりと私を見て、口元を優しく曲げて微笑んだ。
「異国の文化に触れるのが好きでねぇ。ついつい集めてしまうんです」
「ここは雑貨屋さん、ですか?」
「そうですねぇ、雑貨屋、ガラクタ置き場、ゴミ屋敷、休憩所・・・・・・ここを何と思うかは人それぞれで。ああ、黙ってトイレを借りて行った人もいたなぁ」
公衆トイレ扱いは嫌ですよねぇ、と彼は困り顔で肩をすくめる。
随分語尾を伸ばす話し方だ。でもフレンドリーに加えて落ち着きのある声のトーンはとても好感が持てた。千秋が赤面したのも頷ける。
「ま、来てくれた人が満足するなら何だって構わないですけどね。何か欲しいものが見つかると良いですねぇ」
「あの、私の親友が前にここへ来たことがあって、話が本当なのか確かめたくてあなたに会いに来たんです。もし、事実でないなら笑い飛ばしてもらって大丈夫です。親友の妄想だってことにしますから」
私は千秋から聞いた話を全部彼に伝える。途中、目を合わせながらおかしなことを話すのがだんだん恥ずかしくなって、終いには声も小さくなり下を向いてしまった。
「き、奇々怪々でしょう? 私は失恋したショックで親友の頭がおかしくなったのかと思っています。そんな、記憶を預けるなんておとぎ話みたいなこと、現実じゃ有り得ないから」
小説家か漫画家でも目指しているのかと腹を抱えて笑われた方が楽だった。そうですよねと同調して一緒に笑って、明日学校で千秋をとっちめたらそれで終わり。二度とここへ来ることもない。
だが、彼は笑わずに真剣な顔で私を見る。
「あなたと同じくらいの歳の子が最近来ましたよ。あなたはこぶとりじいさんと似た目的で来たんですか?」
なぜここでこぶとりじいさんの名が出るのか。私は首を傾げた。
「どういう意味ですか?」
「こぶを取ってもらったと噂を聞いて、自分のこぶも取ってもらいたくて来たってことです」
その瞬間、どきりとして一気に心拍数が上がった。悪いことをしたのがばれて、説教を受けている時と同じような、あの嫌な感覚に襲われる。
「いや、別に。私はただ親友の体験が本当かどうか確かめたかっただけです」
額に汗が滲む。平気なふりをするも、彼は見破った。
「本当にそうですかねぇ。わざわざ時間をかけて、それも親友と一緒にじゃなくて独りで来たところを見ると、何か特別な理由があるんだと思ってしまいますよ。例えば、誰にも言えない悩み事がある、なんてね」
今しがた出会ったばかりの人間に、自分のことを見透かされたのが不愉快だ。何か言い返してやろうと唇を動かした。しかし、言葉は出てこず口の中から空気が漏れただけだった。
彼は「ちょっと待っていてください」と言ってカウンターの向こう側にある、アンティークな木製の収納ボックスの扉を開けてごそごそと中身をいじる。
テーブルの上に次々と陶箱が並べられていく。黄、緑、深緑、青、紺、紫、赤、橙・・・・・・柄はなく色がついているだけでシンプルだが、艶があって宝石のように輝いていた。
「これは、ヨーロッパ中央にあるラトビアという国へ行った時に、現地のおばあさんから頂いたものなんですよ」
「ラ、トビア、ですか。聞いたことありません」
「ヨーロッパの中央に位置する国です。世界で最も美しい国と言われています。自然、文化はもちろん、人の心までもが美しかった。足を挫いたおばあさんをおぶって、家まで連れて行っただけでこんな素敵なものをもらえるんだから。君もお金が貯まったらぜひ行ってみると良いですよ」
「はぁ」
生返事をすると、熱弁していた彼は気まずそうに咳払いをして陶箱の説明を始める。
「すでにご存じの通り、陶箱は別れの記憶を閉じ込めるもの。なぜ一個じゃないのかと言うと、これは感情事に色別してあるからなんです。黄は喜び、緑は信頼、深緑は恐れ、青は驚き、紺は悲しみ、紫は嫌悪、赤は怒り、橙は期待を現します」
「・・・・・・プルチックの感情の輪みたいですねぇ」
プルチックの感情の輪は、人間の感情の分類が色の分類と似ているという考えで作られ、感情を色相環のように分類したものだ。たまたま道徳の授業で習っていたので覚えていた。
「おばあさんはまじない師だったのかな。何にしろ、強い想いを込めて作られたのは間違いないでしょうね。僕は陶箱をもらってから人の感情の色が見えるようになりました。そして、箱の役割も理解しました。来客達からお別れの話を聞いて、その感情の色に合わせて箱を用意する。あとは箱に記憶を閉じ込めてお預かりする。以上です」
彼はほとんど息継ぎをせずに話し終えた。不思議な力を手に入れたことがよほど誇らしいのだろう。きっと今までも同じ話を数多くの来客にしてきたに違いない。
「あなたといい親友といい、やけに冷静ですねぇ。大抵のお客さんは不気味がって逃げたり、信じられないと嘲笑したりするのに」
陶箱に目を奪われていた私は、はっと我に返って首を左右に振る。
「いやいや、驚いて硬直しているだけです。作り話にしてはよくできているから・・・・・・でも正直まだ半信半疑。実際に記憶を預ける瞬間を見てないし。・・・・・・親友は、失恋して傷ついた子なんです。辛くて仕方がないから、怪しくても何でもいいからすがりたかったんでしょうねぇ」
千秋は単純で能天気で疑うことを知らない性格をしていた。傷ついて弱っていれば尚更騙されやすく、悪徳商人の格好の餌食だ。しかしここに来たことがプラスになっているなら、それに越したことはない。
「ひどい失恋をしたら大体は怒りや嫌悪の感情になるのに、あの子は紺色だった。悲しくてたまらなかったんですねぇ。よほど相手のことが好きだったんだろうな。帰る頃には泣き止んで笑顔になっていましたよ」
「その、預かるってことは、いつかは本人に返すんですか?」
「うん、あくまで預かっているだけなので。中には預けた翌日にやっぱり返してって人と、預けたまま二度と現れない人もいます」
「返してって自分からお願いする人がいるんですねぇ。嫌な別れの記憶なんて、忘れたままでいた方がいいのに」
「別れのエピソードは人それぞれでしょう? 善し悪しももちろん違う。誰にも明かせないロマンスな別れも預かっているかもしれませんよ」
彼は並べた陶箱を収納ボックスへ片付け始める。
不思議なこともあるんだな。それも意外と近くの場所に。
話をしてくれた礼にと籠に入った可愛らしい民族人形を一つ買おうとした。
これください、そう言って彼に人形を渡そうとした時、テーブルの上にまだ一つ陶箱が置かれていることに気がついた。
深緑の陶箱。他の鮮やかな色の陶箱と並べられている時には気にもとめなかったが、こうして単体で見るとドロリとした沼を連想させる。見つめるほど深い沼の底に引きずり込まれそうだ。
なぜ、これだけ置かれているのか怪訝していると、彼は宥めるような口調で私に尋ねる。
「あなたは、深緑色です。恐いお別れがありましたか? それとも、これから訪れるとわかっているんですか?」
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