1話
___情緒不安定って、こういうものなのかしら。
私は親友である
千秋は大好きだった彼氏に突然振られてしまい、つい昨日まで学校を休んでメソメソと泣きじゃくっていた。しかし今日は打って変わってニコニコと笑っている。千秋の性格上、未練が吹っ切れるのはあまりに短時間過ぎるのだ。
午前の体育の授業はバスケではハツラツと体を動かして何回もゴールを決めていたし、国語の授業でも指名されたらハキハキと文章を朗読した。かつてないほどに絶好調なのだ。
そして弁当は全部たいらげて、昼休みの今は友人達と談笑している。これは明らかにおかしい。
「ねぇ千秋、学校に来られるようになったのは良かったけど、大丈夫なの?」
他の子に聞こえないようこっそり耳打ちをする私の心配よそに、千秋はきょとんと首を傾げた。
「大丈夫って、何が?」
「何って、長電話して一晩慰めた私の立場はどうなるの。それだけでここまで立ち直れるって、おかしいじゃん? そりゃあ元気になって良かったとは思うんだけど、かえって心配っていうか・・・・・・」
幼い頃から一緒にいたのでわかる。千秋は嫌なことをいつまでも引きずるタイプで、奈落の底まで落ち込んだら這い上がるまで相当な時間を要する。なのでこうして明るく笑顔を振りまいているのはヤケクソになっているのではないかと不安で仕方がないのだ。思い詰めているのを隠して無理に笑っていたらどうしよう、と。
千秋はまるで他人事のように笑い飛ばした。
「ああ、実はさ、あいつと別れた時の記憶を預けたんだ」
理解不能な言葉を聞いて、変な汗が流れる。
記憶を預けるとはどういうことだろう。
「えっと、それって頑張って忘れるって意味の比喩表現? 妄想?」
「違うよ、預かり所に預けたんだってば。だから別れた時のこと全然覚えてないんだ」
ふざけているわけではなく、真面目な顔でそう言った。
私はついに我慢ができなくなった。千秋に配慮して、大勢いる教室から廊下へと連れ出した。そして、千秋の両肩を強く掴んでしっかり目線を合わせて助言する。
「ねぇ、千秋。私達まだ高校二年生じゃん? まだまだこれから出会いがあるしねぇ、あんな野球だけしか頭にない男は前々から千秋に相応しくないと思ってた。忘れるのは正解だよ、まぁ隣のクラスだから嫌でも目に入ることがあるだろうけどねぇ。でも、いくら辛いからって現実逃避して妄想に飲み込まれちゃだめ。気をしっかり持つの」
親友をこっぴどく振って傷つけた上に、思考を狂わせるなんて絶対に許せない。あの坊主頭に油性ペンで思い切り落書きをしてやりたいくらい私は怒った。
自分を誤魔化す千秋を見ていると泣きそうになる。しかし助言も虚しく、未だ千秋がきょとんとしているのに焦りを覚えた。
「あのさ、推し活しよ。推し活。最近面白い漫画があって近々アニメ化するんだけど、出てくるキャラでめちゃくちゃ良いのがいて・・・・・・」
「ちょ、ちょっと待って
千秋はスカートの中から三つ折財布を取り、中から一枚の紙を出した。
そこには以下の通りに書かれていた。
『記憶預かり証』
住所_○○県○○市紫苑町○○丁目○○番地
氏名_
令和6年6月15日
記憶内容_
上記記憶をお預かりいたしました。
(本証はお返し時の際必要ですから大切に保管してください)
○○県○○市紫苑町○○丁目○○番地
TEL_○○○ー○○○ー○○○○
さようならの預かり所
聞いたことも見たこともない証明書を、血眼になって読む。千秋と証明書を交互に見てから恐る恐る尋ねる。
「これ、千秋の自作?」
「まだ言うか! ちゃんと存在する店です!」
記載された住所を携帯電話で調べると、確かにそれはこの紫苑町に存在した。
千秋はさようならの預かり所という謎の場所に行き着いた流れを話し始めた。
失恋で傷心してなかなか寝付けなかった夜に、気晴らしのため散歩に出かけた時のこと。下を向いて泣きながら歩いたため、家からだいぶ離れて見慣れない道まで来たことに気づくのが遅くなり、引き返そうとしたところで件の店を見つけたという。
その店は郊外にあり、少し山に入った場所に建っていた。ペンションのような、洋館のような可愛らしい外装。古い石畳の庭園に囲まれ、ステンドグラスの窓からは心が落ち着く淡い光が漏れていた。二十時近くなのに店はまだ開いているようで、出入口には『さようならの預かり所』と書かれた吊り下げ看板があった。
カフェやケーキ屋なのだろうと思い、千秋は好奇心に駆られ店の中に入ってみた。そこには、静かなクラシック音楽が流れ、美しい陶器や絵画がそれはもうたくさん飾られていた。
いらっしゃいませ。
そして、店主と出会った。二十代後半か、三十代前半くらいの男性で、中性的な顔立ちに笑うと口元が優しく曲がる。話し方は落ち着いており、品のある物腰が印象的だったという。
「とても素敵な人だった」と話の途中で千秋は頬を赤くする。
私は内心、これも妄想ではないかと疑ったが、黙って話を聞き続ける。
店主はおもてなしに紅茶とクッキーを出してくれた。そして赤い目をした千秋に何があったのかを尋ねてきた。
大好きだった彼氏に振られて、その時の記憶がこびり付いて辛いのだと話すと、店主は奥から紺色の綺麗な陶箱を持ってきた。
「でね、その陶箱にあいつと別れた時の記憶を閉じ込めてくれたの。そしたらすっかり忘れて眠ることができたんだ」
「記憶を閉じ込めるって、どうやって?」
「あたしもよくわからないんだけど、おまじない的なものじゃない?」
適当な答えに釈然としない。催眠術にでもかけられたのではないか。千秋の身に起きたことが本当かどうか確かめる必要がありそうだ。
「証明書、返す時に必要だから大切に保管してだって。こんなもの、もういらないね」
千秋は証明書をビリビリに引き裂いて廊下にあるゴミ箱へ捨てて、両手のひらを叩く。
その表情は清々しく、蟠りが一切消えて幸福に見えた。
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