第3話 すっげえ、気持ちいいんだな
僕と熊谷はボールが百球入った籠を持って、打席へ戻ってきた。
これからいよいよボールを打つのかと思うと緊張するが、楽しみな気分でもある。
これまでゴルフなんて一度もしたことないけど、まさかの出会いがあった。
あんなことでやる気になるなんて僕もどうかしてると思うが、もうこの気持ちはおさまりそうにない。
ただ、そんな僕に熊谷は呆れた様子だ。
「やる気になっているとこ悪いが、まずは準備運動からな。ゴルフは簡単そうに見えて、身体を痛めることもあるスポーツだから、最初と最後の準備運動と整理運動は必ずしろよ」
「えっ、そうなの?」
「当然だろう」
それは初耳だった。
でもスポーツなんだから、多少の怪我は付きものなのだろう
まあ、怪我はしたくないけど……。
僕はちょっと不安になったが、熊谷がしっかり準備運動さえすれば大丈夫というので安堵した。
彼の指導で準備運動を行い、充分に身体を解してからクラブを握る。
教えられたのはグリップの握り方だけで、あとは自由に素振りをしてから打て、と言うことだった。
「えっ、それだけ? 振り方とか、あるんじゃないの?」
驚いて聞き返してしまったが、理由を聞いて納得。
「いいか、翠川はゴルフに関して言えば赤ちゃんだ。そんな奴に、いきなり高等な計算問題を教えたところでどうなる?」
「そんなのわかるわけないよ」
「だろう。俺たちは小学校で算数を習い、中学、高校と順に難しい計算式を覚えて行くんだ。それと同じで、今日初めてクラブを握ったヤツに、スイング理論なんか教えてどうする」
「あ……」
「まずはクラブを振ることに慣れ、それからボールに当てることを覚え、そのあとようやく基礎を教え始めることができるんだ。今日のところは気持ちよくクラブを振って、打てばいい。それと、最初からガッチガチにスイング理論を詰め込むと、考え過ぎてしまって逆効果だからな。むしろ、好きにさせた方が上達は早いぞ」
僕はその言葉を素直に受け入れた。
言われた通りに何度か素振りをした後、マットにボールを置く。
「打ってみる」
熊谷へそう宣言してから、クラブを振る。
ブ~ン。
どこかで蚊が飛んでいるかのような、情けない音が聞こえた。
マットに置いたボールは一ミリも動いておらず、僕の手にも当たった感触は無い。
どうやら空振りしたらしい。
「恥ずっ」
うっかり僕が声に出すと、熊谷はそれをキッパリと否定する。
「何が恥ずかしいもんか。最初からそれだけ振れたら、大したもんだ」
「どういうこと?」
「ああ、初めての奴ってのはな、ボールにクラブを当てようとして縮こまったスイングをするんだ。それを、あれだけ思い切り振れる奴は珍しい。翠川は才能あると思うぞ」
それがお世辞だってことくらい、僕にもわかっている。
けど、だからといって悪い気がしないってのも人の
「そ、そうか」
「ああ、俺が保証する。翠川は上手くなるって」
その言葉で、僕は調子に乗った。
たぶん熊谷は、褒めて伸ばすタイプなんだと思う。
僕はまんまと彼の策略に嵌ってしまったわけだが、後悔していない。
だって、最初こそ空振りしたけど、次のボールでカスリ、その次で前に転がった。
その後も何度打ってもボールは上がらないが、ライナー性の当たりはそこそこ出ている。
僕は考えた。
どうやったらあんな風に上がるんだろう。
熊谷の説明では、ゴルフクラブにはロフト角とフェース面があるわけだから、その通りに当てることができれば、ボールは上がるはずだ。
それを意識して振ってみたが、また空振り。
「くそー」
どこがおかしい。
当てに行こうとするから、体が硬くなってるのか?
熊谷はさっきなんて言っていた?
『気持ちよくクラブを振って、打てばいい』
それだ。考えすぎてた。
ゴルフだって他の球技と変わりないんだから、ボールを最後まで見て、気持ちよく振ればいい。
それが答えだった。
バシッ
当たった。それに上がった。
「きもちいい」
「おっ、わかったようだな」
「ああ、上手く当たると、すっげえ気持ちいんだな」
「だろう」
こうして僕は、ゴルフにのめり込んでいくのであった。
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