第二話 遅刻 2
「そこの茂みに隠れているやつがいます! 遅刻しておきながらそれを誤魔化そうとする悪行を俺は、許せない!」
「お前がそれを言うか」
教師の呆れた言葉も聞こえていない表裏は、
ニヤニヤと笑いながらそう宣うその姿はとても悪辣なものであった。心の醜さをこれでもかと存分に体現していた。
(絶対に一人で行かせねえ!)
表裏が内心そんなことを考えていると、指差した茂みでカサカサと音がした。思ってもいなかったであろう裏切りに掬央がつい身体を反応させてしまったのだろう。
結果、その音を聞いた教師に掬央は居場所を悟られてしまった。
「ほう、俺の気を逸らすためのでまかせだと思ったが本当にいるみたいだな」
「俺は素直に言ったほうが良いって言ったのですが……。押し切られてしまい……」
「やかましい、ノリノリだったじゃないかお前。どちらにしても誤魔化そうとした時点で同じだ。生徒指導対象だ!」
教師の意識が掬央に向いた瞬間に、好機と思った表裏が責任を掬央になすりつけようとして一蹴される。
そんなことよりと、教師はもう一人の生徒を確認しに茂みへと向かう。
その姿を見た掬央は急いでこの場を離れようと茂みの中をこそこそと移動し始める。教師が近づくまでにせめて、視界から外れることができるようにと。
そうして、掬央がじりじりと慎重ながらも素早く移動し、後少しで逃げることができるとなった時、彼の側を白い何かが通過した。それは壁に当たり、砕いた。
「うお!?」
顔を青ざめさせながら仰反る掬央。そんな彼に教師が語りかける。
「逃げようとしても無駄だ。俺の文房具からは逃げられまい! 諦めて反省文でも書くんだな!」
教師の手に先程の白い物体、チョークが握られる。そして、勢いよく射出された。
それは掬央と注意が逸れた瞬間を狙い、彼を置いて逃げようとしていた表裏に向かう。
「この脳筋教師が! うわっ!? 危ねえ!」
「今のうちに…‥っと。あれ、何これ。ひっ!?」
それぞれが情けない声を上げながらも、掬央はどこからか取り出したスプーンを投げて防ぎ、表裏は向かってくるチョークに手を伸ばして触れる瞬間に進行方向を反転させて防いだ。
「ほう、なかなかやるな。だが、次はどうかな?」
そう言った教師が先程より多くのチョークをその手に握る。
それを見た表裏は一刻も早くこの場を離れようと背を向けて走り出す。さらに、掬央も危険を感じたのか表裏の後を追うようにして茂みから飛び出て駆け出した。
「さあ、掬央どうしようか! このままじゃあのチョークの餌食だ」
「うるせえ! 味方ヅラしやがってこのやろう! お前一人で捕まってたら俺は逃げられたのに巻き込みやがって!」
「なんだとこのやろう! そもそもお前がとろとろしてたから見つかったんだろうが! それに、俺が見つかった時も一人だけ隠れやがって! そこは格好良く、ここは俺に任せて先に行けの一つくらい言ってみせろよ!」
「お前の仇は俺が取る! だからお先にどうぞ!」
表裏と掬央が醜く言い合いながら走って逃げていると前方で破裂音がし、煙が立った。
そして、その煙が晴れると後ろにいたはずの教師がいた。
「げっ!? なんで先回りできるんだ。あいつの不自然アンナチュラルはあのチョークじゃないのか?」
「わからないが、やつはこの学校の教師だ。校内の地図は当然頭に入っているはずだ。近道をしたのかもしれん!」
表裏の疑問に掬央が推測を伝えるが、その答えは教師から伝えられた。
「ふん、俺の不自然アンナチュラルは文房具、チョークなどを武器とするものだ。追いついたのは建物の上を通って走ってきたからだ。そして、俺は筋トレが趣味だ」
「ただの脳筋じゃねえか!」
思わず表裏は悪態をついてしまうが、思い直す。相手の能力がわかったのならば、付け入る隙はあるはずだと。
「掬央、やるしかないみたいだ。相手の能力もわかった。なら、道は一つだ」
「その通りだな表裏。入学式会場に行くための道にはあの教師が立っている。俺たちにできることはひとつだけ」
「「ぶっ倒す!」」
「うおおお!」
「はあああ!」
二人同時に叫ぶと、目を合わせて頷いた。そして、走り出し拳を突き出した。
すると、表裏の拳が見事に顔に突き刺さった。
――掬央の顔に。
「隙ありだ!」
思わぬところから受けた一撃に掬央は吹き飛ばされる。そして、受け身も取れずに倒れ伏した。
それを見て表裏は満足げな表情で頷き、拳を掲げる。
「よし。作戦成功」
「何が……だ、この……やろ……う」
「ちっ、まだ意識があったか」
「……お前たちは何がしたいんだ?」
教師の理解できないとった言葉を無視して表裏は掬央に近づく。そして、合掌しながら意識を刈り取ろうとする。しかし、その瞬間に教師がチョークを構えるのを表裏の視界が捉えた。
すぐさま表裏はその場を離れるため足を動こうとする。
(何だ? 足が……)
だが何故か足が動かなかった。
表裏が足元に視線を向けると表裏の足をがっしりと掴み、ニヤケ面をした掬央と目が合った。
「……お前一人で行かせるかよ。仲間だろ」
「離せ! 仲間なら、助け合いだろ!」
「何を言っているんだ。困難があったら共に立ち向かうのが
「おい待て、離せ。悪かったから、生贄作戦は中止だ! 中止! ほら、あの先生が持ってるチョークの数がさっきよりも明らかに多い! 対処しきれねえ!」
「先生今だ!」
「仲間割れか何か知らんが離すんじゃないぞ!」
「おう!」
「おう! じゃねぇ! やめっ、まじで! うぼあっ!?」
「よし!」
「よし……じゃ……ねえ」
「……俺が言うのも何だがお前たちはそれでいいのか?」
心ない掬央のせいでまともにチョークを食らってしまった表裏であったが何とか地面に手をつきながら立ち上がる。
「観念するんだな。入学式当日からの問題児どもめ」
一歩また一歩と教師が距離を詰めてくる。表裏はちらりと掬央を見た。掬央も教師にやられたのかふらつきながらも立ち上がっていた。
しかし、このままでは逃げられないことも事実である。
諦めてしまってもいいんじゃないか。そんな弱気が表裏の心の中に顔を出す。どうして、自分はこんなことをしているのかだろうかと自問自答をする。
そして、表裏は思い出した。自身の望むものを。
――俺はこの学園に入って、女の子とイチャイチャするんだ!
思いの丈を叫んだ表裏は力強く地面を踏みしめ、教師を見据える。負けてたまるかと。モテたいという純粋に不純な動機で。
「キャッキャッウフフな生活が目前なんだ。こんなところで、教師にやられたぐらいで諦めていられるかよ! そうだろ、掬央!」
「ああ、俺は教師にやられたわけじゃないが、そうだな。俺は大事なものを見失っていたのかもしれない。だけど、もう大丈夫だ!」
「いくぞ! 生贄作戦なんてことはやめて正面から乗り越えるぞ!」
「そんな作戦は少しも聞き覚えがなかったが了解だ!」
表裏と掬央の二人で並び立ち、目の前の乗り越えるべき壁を見据える。
「でも、実際どうする? 明らかに俺たちの方が分が悪いぞ」
「俺たちは教師にやられてボロボロだが、あっちは体力が有り余っている。だから、倒すのは無理だ。俺たちが会場に着くまでの足止めをする」
「俺はお前にやられたんだ、カス。ちっ、まあいい。それで何をすればいい?」
「あいつの気を引きつけてくれ。そして俺が合図をしたら――」
表裏が後ろに控え、掬央が前に出る。そして、教師の気を引きつけるために、掬央は通常よりも何十倍も大きいスプーンをどこからか取り出して構えた。
「お前どっからそんなの出したんだ」
「備えあれば憂いなしだろ。いつでもスプーンは仕込んでる」
教師も掬央を迎え撃つようにチョークを取り出し、これまたどこから出したのか一メートル以上ある定規を構えた。
「俺に向かってくるとはいい度胸だな。そのまま反省文をたらふく書かせてやる!」
「くたばれ! 脳筋!」
チョークによる攻撃を警戒した掬央は距離をつめた。お互いの得物がぶつかり合う。
何度か交錯したのち、スプーンが大きく弾かれた。掬央はなんとか手を離さなかったものの隙ができる。それを見逃さずに教師が定規を振り下ろす。
「重っ!? なんて力をしているんだ! この筋肉人!」
それを掬央はスプーンの両端を持ち支えながら頭の上スレスレで受け止めた。
「能力だけが全てじゃない。時に筋肉はそれを凌駕する!」
さらに力を込められて掬央は押し込まれる。
「うぐぐっ!? この……やろっ!」
掬央はなんとかスプーンを傾け、相手の定規を逸らして、教師の体勢を崩すことに成功した。そして、片手をスプーンから手放して、空いた手を大きく振った。
すると、掬央の制服の袖から通常サイズのスプーンが飛び出て教師にこつんと当たり、消えた。
何が来るのかと警戒していたらしく教師は拍子抜けしているようにも見えたが、すぐに気を取り直して大きな定規を構えた。
追撃するでもなく距離を取った掬央には焦った様子もなく、何かを確信した様子で後ろにいる表裏の方をちらりと見た。
「舐められたものだな。そのような消極的な姿勢でどうにかなると思われているとは」
「舐めてなんかいない。あんたみたいな脳筋と力比べはごめんなだけだ」
「だが、逃げたとしてもそれが出来るとは限らんぞ」
教師のその言葉に対して不敵に笑いながらも掬央は答えた。
「逃げるんじゃない。逃がさないんだ!」
「よっしゃ! 今だ掬央! 思い切り跳べ!」
表裏の合図と共に掬央は手に持つスプーンも使って表裏の方へと跳んだ。当然教師も逃がさないように後を追うように地面を蹴ろうとするが、力が空回り上手く蹴ることができなかった。
目を見開いた教師が足下を見ると硬く支えてくれていたはずの地面が軟らかく、自身の身体を支える機能を失っていた。
「地面の硬さを裏返した。これで、あんたは俺たちを追ってこられない。力だけじゃないんだ。俺たち人類には考える頭があるんだよ!」
柔らかくなってしまった地面の中に身体の半分ほど沈んでいる教師を見ながら表裏が言う。
「何が俺たち人類だ! 俺も人だ! こんなものすぐに抜け出してやる!」
教師がそう言って抜け出そうと身体を動かす。そして、飛び出そうと手に持った定規を支えにした。
「まだ諦めてないのか!? 早く逃げるぞ掬央!」
「安心しろ表裏。やつはあそこから今すぐ出ることはできない。俺はやつが上に跳ぶことに匙を投げた。つまり、やつはしばらくの間上に跳ぶことができない」
教師の執念に慄く表裏とは反対に掬央は腕を組み、慌てる様子を見せなかった。
「じゃあこれで完全に抑えることができたってことだな」
「ああ、けど匙を投げた効果は長くは続かない。じきに切れる。今のうちに行くぞ」
「おう!」
「待て、問題児共! このまま逃げられると思うなよおぉ!」
教師の叫びを背に受けながら表裏と掬央の二人は入学式会場へと向かって走り出した。
◆
その後何の障害もなく二人は式が行われている場所に着いた。
近づくと中からは偉い人であろう声が聞こえ、式が始まってしばらく経っていることが窺い知れた。また、生徒たちの声が聞こえないことから多くの新入生は静かに座っていることも想像がついた。そのため、ドアから堂々と入ったとしたら目立ってしまうと考えた二人は話し合う。
「正面から入るのはやっぱ無理か。他の入口は……っと窓しかないか」
「あんな高い位置の窓にどうやって入るんだ?」
「屋根に登ってそこから……ほら、窓のところ突き出たとこがあるだろ。そこから行こう」
「なるほど了解した」
表裏は会場である体育館を見回しながらそう提案し、それに賛同した掬央と屋根の上まで備え付けの梯子を使ったりするなどしてなんとか登ることに成功した。
「よし、早く行くぞ」
「おう」
二人は屋根の上を落ちないよう慎重に移動し始めた。ゆっくりであるが着実に窓の方に向かって進んでいると、表裏の耳が何か式以外の音を捉えた。
「何か音がしねぇか?」
「それはするだろ。こんな近くで入学式をしていれば」
「いや何かそれ以外の音のような気がする」
「何? 空耳じゃないか?」
掬央には聞こえていない様子であったので、表裏は確かめるために耳をすましてみた。すると、やはりどこからか音が聞こえ、徐々にそれが近づいてきているのを表裏は感じたのだった。
「やっぱり聞こえる。ほら、誰か近づいてきてるんじゃねえのか!?」
表裏に倣って掬央も耳をすましてみると、確かに誰かが息を切らしているような呼吸音が聞こえたようで周囲をきょろきょろと確認し始めた。
「誰だ。まさか……あの教師か!?」
「あの状態から抜け出せると思えないが……あの身体能力だ。奴が上に来るまでに早く行くぞ!」
二人が我先にと窓がある方へ向かうその背後で呼吸音の持ち主が現れた。
「ハァ……ハア……よくも……ハァ……やってくれたな、この問題児共。絶対にとっ捕まえてやる」
額からは汗が流れ、膝に手をついて息を整えている様子から見るに教師は明らかに疲弊しているようだった。しかし、それでも表裏と掬央の二人を見る姿には確かな迫力があった。
思わず息を呑んでしまう二人であったがすぐに気を取り直して教師と相対するように構えた。
二人はアイコンタクトを取り頷き合った。そして、次の瞬間教師に背を向けて走りだした。
「こんな足場の悪いところで相手してられっか!」
「作戦を一つ思いついた! どうだ表裏、生贄作戦って言うのだが!」
「お前が生贄になるってんならやってやるよ! 作戦決行だ!」
「お前が生贄に決まっているだろ! 指導されて真人間にしてもらえ!」
ほとんど二人同時にスタートしたが、日頃の卑劣さが出たのか表裏が身体一つ分ほど前を走り、その後ろを掬央が追う形になっていた。
「今度こそ逃さん!」
そう言って教師がチョークを構えた。そして、前にいる表裏に向かって放った。
教師の手から離れた白い弾丸に走りながらも気づいた表裏はスピードを上げようと足により力を込めた。
しかし、その軌道は疲労によるものなのか狙いがずれていた。表裏を直接狙っていたはずの軌道がその少し前、表裏の一歩分先の屋根に直撃した。
「うおっ危ねえ、当たるとこだった。疲れてやがるな。ゆっくり休んだらどうだ? 俺を見逃してな!」
「疲れなどどうでもいいわ! お前たちを捕まえれるのならな!」
「やれるもんならやってみやがれ! 俺に当てられるのならな! じゃあ俺は先に行かせてもら――」
教師が疲労でまともに狙いを定められていない様を見た表裏は勝利を確信し悠々と一歩踏み出した。
しかしその瞬間、バキリという音と共に表裏の足は空回った。咄嗟に表裏が下を向くと、あるはずのものがなかった。
屋根に穴が空いたのだ。
それによって、調子に乗って強く踏み出した表裏の身体は完全に空いた穴へと投げ出されていく。
「へっ――」
情けない声を上げて落ちていく表裏。
その最中、後ろにいた掬央が目に入った。
表裏と違い掬央は後ろにいたため落ちることがなく、落ちていく表裏を見ているのみであった。
表裏は掬央に手を伸ばし助けを求めた。
そして、なんとか掬央に手を届かせることができた。
「あぶねえ! 落ちる! 掬央、離すなよ!」
「ああ、もう無理だ! 諦めていいか!」
「ダメに決まってんだろ!?」
「うぐぐっ、このままじゃ俺まで落ちる。なら……作戦決行だ! 周りの注意を引きつけてくれ! じゃあな!」
そう言うと掬央はにこやかな表情で表裏の手を離した。
その結果、表裏は再び落下し始めた。しかし、表裏の頭を占めたのは落下に対する恐怖ではなく、怒りだった。手を離された時に見た掬央のにやにやとしたムカつく笑みが表裏に力を与えた。
手を伸ばす。遠のいていく空に向かって。諦めきれないと表裏は落下しながらもその手に掴もうと必死にもがく。時間の流れすらもゆっくりとしたものに感じられたその刹那、確かに表裏はその手に掴んだ。そして、思いっきり引っ張った。
掴んだものは――掬央は――突然の力に耐えられるわけもなく、同じように落ちていく。
「お前も一緒に落ちようぜ! 親友!」
「やめろぉおお! 何が親友だ、このくそやろう! 一人で落ちろおお! うわあああ!」
二人が落ちた場所は新入生が座っているところと舞台の間であった。
舞台の上では学園のパンフレットにも載っている人が、ちょうど話し始めようとマイクの前に立っているところだった。
いきなり落ちてきた人に新入生がざわついている中、その人は動じることなく話し始めた。
「諸君、入学おめでとう。この学園は不思議な力、
そう言うと一度言葉を区切り、取っ組み合っている表裏と掬央に目をやって、静かに聞き入っていた新入生たちに言い放った。
「このように規律を乱すようなことは認められるということではないのでな。しっかりと指導していく所存だ」
いがみ合っていた二人も周りの注目に気づいたのか周囲を見渡し、舞台の方を見ると話していた人物と目が合った。
焦った表裏はどうにかしようと考えのまとまっていない頭で言い放った。
「何とか入学式に間に合いました! ギリギリセーフですよね!?」
――二人は入学初日から生徒指導室に連れて行かれることになった。
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