第三話 屋上の景色
あの後、生徒の恐怖の象徴である部屋に連れられた
どうしてこうなってしまったかなんて考えが表裏の頭に浮かぶ。入学式の日程を忘れていたこと、忍びこもうとしたこと、あのヒト科に見つかってしまったことなど様々な原因を上げていく。その中で最も大きな原因だと断言できるものに目を向けた。
それは表裏と同様に鉛筆を持ち、死んだ目をしながら手を動かしていた。後、何か口から魂が抜けているような気もする。
そんな
「書いてみな」
表裏に促され掬央が再び作業を始めるとすぐさま先程までとの違いを感じたようだった。黒鉛を紙につけて文字の形を作ろうととしても、ぐにゃりと曲がりまともに書けない。
「書けるもんならな」
優しげだった笑みは心の汚さを表したかのような醜悪なものへと変わっていた。
そして、素知らぬ顔をして手をすらすらと動かしている表裏に向かって投げた。
鼻歌を唄いながら書いていた表裏はこつんとスプーンが当たった衝撃に一瞬手を止めるが、気にせず再開しようとする。しかし、何かに阻害されたかのように手が動かなかった。
「お前が書くことに匙を投げた。諦めて効果が切れるまで待っておくんだな。俺は先に抜けさしてもらう」
ここは神聖な生徒指導室。こんな悪行が許されても良いのだろうか、なんてことを思い表裏は机を挟んで向かいに座っているとんでも身体能力を持った教師の方を見た。とんでもない棚上げ野郎である。
「いや、お前が最初にしたんだろう。何故、さも自分は何も悪くないみたいにできるんだ」
あの教師は生徒を公平に見ないダメ教師だ。そう思い助力を諦めた表裏は掬央の方を見ると、掬央が新しい鉛筆を持ち出し、ほぼほぼ書き終わって後少しというところになっていることに気づいた。これはまずいと表裏は掬央に負けないように書こうとするが、まだスプーンの効果が切れてないようで書けない。紙の上に手を持っていくことができるのだが、先をつけることができないのだ。それならば再び妨害しようとするが、鉛筆は新しいものになって意味がない。
思わず机に手をついた表裏。それを眺める掬央の顔にはここから抜け出せるという余裕が浮かんでいた。そして、掬央がラストスパートだ、と力強く書こうとした時、丸まった先端が薄い白を貫いた。はっと気づいた掬央が目の前の机に触れると、一切の抵抗もなく、手のひらの形に沈んだ。
「机の硬さを裏返した。これでこの机の上では文字を書けない。お前一人で行かせてたまるか!」
掬央が机に伏せていたはずの表裏を見た。
「ほーれほれ、良い触り心地だ」
柔らかくなったことを強調するかのように表裏は何度も指で机に触れて遊んでいた。
その挑発する表裏の態度に掬央は大きく息を吐いた。そして、冷静になったように思えた瞬間大きなスプーンを構えた。冷静になるどころか、むしろ怒りが爆発したようである。
「お前のせいで終わらないじゃないか! ぶっ飛ばしてやる!」
得物を取り出した掬央を見た表裏も望むところであると構える。
「どっちが先に出るか決めようじゃねぇか! 二度と反省文が書けないようにしてやる!」
先に抜け出すのは俺だ、と言わんばかりの勢いで二人がぶつかると思われた時、二人が思わぬところから横やりが入った。
「お前たち何のための反省文だと思っているんだ。何が勝った方が出ることが出来る、だ。なら、俺が勝ったらお前たちはどうなる?」
横やり、教師の腕が表裏と掬央の顔に伸びて掴んだ。そして、宙吊りにして語りかけた。二人は思わぬところであると考えたが目の前に教師がいたのだ。当然のことであった。
「ごめんなふぁい」
「すみまへんでひた」
瞬く間に二人は宙に浮いたまま情けない声で降参した。しかし、依然として手が離れることがなく二人は焦り、冷や汗をかいた。そこに教師がさらに問いかけた。
「反省文は反省するために書くんだ。余計なことしてないでさっさと書け!」
二人はまた情けない声で返事をした。
◆
あれから、睨み合いながらも見違えるほどのスピードで二人は反省文を書き終えた。
しかし、互いの無駄な行動によって時間を食ってしまったことや入学初日ということもあったため、新入生たちはもう帰宅の時間となってしまっていた。
まだ、二人は自身のクラスすら知らないが他の新入生はもう仲を深め始めたのだろう。多くの生徒がそれぞれの集団を作り話しながら歩いている。
そんな中、二人はと言うと帰路につくことなく校舎の屋上にいた。
高い校舎の屋上は門から出る生徒たちがよく見えた。
「どうしてこんなとこに来たんだ? 俺たちも早く帰った方が良いと思うんだが」
どうして屋上に連れてこられたのか掬央が表裏に問う。その返答に表裏は舌をうざったらしくリズミカルに鳴らし言った。
「ここなら他の新入生がどんな感じかよく見えるだろ。俺たちは最初の一歩から出遅れたから、周りのやつを知っとかねえと」
「見るだけでそんな分かるもんか? それに細かいとこまでここからだと見えないだろ」
「備えはある。ほらよ」
そう言って掬央が表裏から渡されたものは黒光していてレンズのついたもの、双眼鏡であった。
「安物だが、このぐらいならよく見えるはずだ。よし観察するぞ!」
「うわっ……お前」
あまりの準備の良さにそこまでやるのかと盛大に引いている掬央をよそに表裏はノリノリで人間観察を開始した。
表裏は双眼鏡を夢中で覗いていたが、掬央は興味がないようで壁にもたれて座っていた。
することもなく手持ち無沙汰になり空を見上げている掬央をよそに表裏は人間観察を進めていく。
「これからの学園生活はどうなるか……」
掬央はぼうっと思いを馳せたように軽く息を吐いた。
「あいつは……違うな。ちっ、男か。次はなるほどなるほど、可能性あり……っと」
だが、そんなものは関係ないと言わんばかりに表裏はあちらこちらと視線を動かす。
「とりあえず、こいつと距離を取ることが必要事項だな。……お前は本当に何を見てるんだ?」
次々と判断を下している表裏が何を基準に見ているのか気になったのか掬央が言う。
掬央は首を傾げるばかりだった。表裏は男子生徒だとわかると明らかに見る対象を変えていたのだ。
「何ってスカートの長さだよ」
「そんなに見ても都合よく風は吹いたりしないぞ、クズ」
下心しかない表裏の言葉に掬央の目が冷たくなる。それに焦った表裏は慌てて弁明した。
「違う! 俺は下着が見たいんじゃない! いや……見たくないわけじゃないが。今回に関しては俺の理想を探しているだけなんだ!」
「理想? 何のだ」
「アニメや漫画には魅力的なヒロインが付き物だろ? そこで俺は考えたんだ。ヒロインに共通点はあるのだろうかと。そして、気づいた。ヒロイン、特に学園モノのヒロインはそのほとんどがスカートの丈が短いんだ。お前にもわかるだろ? 清楚なキャラがどこが清楚なんだってスカート丈で過ごしているの!」
そこで表裏は一度言葉を切り、大きく息を吸って言った。
「だからこそ、俺は俺の
「そうか、応援してるぞ。頑張ってくれ。じゃあな」
「待て待て! より良い学園生活を送るためには華やかさが必要だろう? お前も一緒に探そうぜ!」
あっさりと踵を返し、早足で去っていく掬央。表裏はそれを慌てて力の限り引き止める。
生徒指導室にぶち込まれた時に先生から向けられた呆れの目とはまた違った蔑む目で掬央が表裏を見る。
そして、その視線の圧に押されながらも表裏が続けた。
「ここの制服はスカートが短い。ヒロイン候補がたくさんいるぞ!」
表裏はそう言い掬央を誘う。しかし、掬央には響かなかったようで顔をしかめるばかりだった。そして、掬央はその表情のままさらりと言い放った。
「高校生じゃ五年は遅い。俺が幸せにすべきはより小さな子だ。俺はそんな子達の成長を見守っていたい!」
表裏と同じように上から生徒を見て掬央はそう断じた。心底興味がない様子の掬央に表裏は冗談ではなく本気で言っているのだと悟ると、全力で掬央から距離を取った。
「悪いな掬央。たった一日の付き合いだがお前のことは忘れない。面会には行くからな。塀の中でも元気でな」
悲しげな表情でどこかに連絡しようとスマホを取り出した表裏。犯罪者を出さないように今のうちに刈り取っておこうと涙を呑んで決断した。
「お前にもわかるだろう、表裏。無垢な瞳、ころころ変わる表情、楽しげな高い声。その全てが心を明るくしてくれる。だからこそ、それを曇らしてはいけないと! それに、俺のこの思いは純粋なものだ! 仮に向こうから俺に好意を寄せてくれていたとしても、絶対に傷つけないようにやんわりと断る! 俺はただ、お兄ちゃんになりたいだけだ! だからその手を離せ!」
表裏がスマホを持つ手にスプーンが直撃した。それによって手からスマホが転げ落ち、通報が失敗した。そこで彼は別の手段に出ることにした。
直接この場で叩き潰そうという強行手段に出るために彼は距離を詰める。
「これが法で裁けない悪か……! それなら、俺が代わりに裁いてやる! 少なくとも五倍は年上じゃないと目に入らないって感じに更生させてやる!」
「そんな地獄は嫌に決まってるだろう! お前にも若さの魅力を教えてやる!」
互いの手を掴み合い拮抗している中、表裏は一瞬力を抜き掬央の体勢を崩した。そして、掬央の身体の向きを変えて、下の景色がよく見えるように掬央の目に双眼鏡を後ろからあてがった。
「やめろ! 顔がへこむ!」
「よく見ろ! 素晴らしい景色を!」
「見えてたまるか! 俺の心は誰にも変えられない!」
「無駄にかっこよく言い切りやがって……!」
そうして争っていた二人だったが、突然掬央が動きを止めた。その様子を見た表裏はここの制服の良さが分かったのかと喜ぶが、特に反応がないことを訝しんで声をかける。
「どうした? あまりにも魅力的すぎて気が抜けたか?」
返答はなかったが掬央は双眼鏡を掴み表裏に強引に覗かせた。
「何をすんだバカ。俺はこれ以上ないほど魅力を理解してる」
「そんなことじゃない、クズ。いいから早く見ろ」
掬央にそう言われて見た。そして、素晴らしいスカート丈だと表裏は感動した。
「どこを見てやがる。もっと先の方だ」
視線を上げ、門から出てくる生徒たちから先、路地裏の方を見る。普段ならばあまり目につかないように思える場所であったが上からならよく見えた。特にこれといったものもなく、あたりを見渡していると表裏の目はあるものを捉えた。
表裏たちと同じ星見学園の制服を着た生徒が他校のガラの悪そうな生徒に囲まれていた。絡まれたであろう不幸な生徒は顔を青くして、身体を小さくして怯えている。
「行くぞ、掬央」
「おう」
すでに準備を始めていた掬央に表裏は声をかけた。そうして、二人は屋上を後にしたのだった。
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