第5話

 ぼくは現在、冷房がしっかりと効いた豪邸に来て、寝転がっているワケだが、はたしてどうしてこうなったのか、少しばかり整理する必要がありそうだ。


 順序を大切にして、始まりを公園で起きたあの嫌悪満載の状況からにするとすれば、次に起こったのは、必然的に抗議だった。

 ぼくが「そろそろ辞めてくれません?」と尋ねつつ、身柄の解放を求めると、ホシウリさんは「そうね」と納得の言葉を返して、なぜか膝枕の体勢を戻すのではなく、首に巻き付けていたネックレスを外し、両耳に着けていたイヤリングとを、手品のように合体させ、見事に鍵を作った。

 その鍵で、ぼくの両手を不自由に拘束していた手錠を外し、外れた手錠も腰のベルトのフックに引っ掛けることで、見事なアクセサリーとして機能させていた。

 そんなファッションセンスに溢れているのか、手品師として才能に溢れているのか判らない一連の動作は、ぼくを解放させて、予期せずに不自由から自由になったぼくは、現状の理解に少しの時間を有しながらも、やっと自分の意思で、ホシウリさんの膝元から離れることが出来るようになった。

 だから、一刻も早く離れようと思ったワケだが、なぜかホシウリさんは、体勢を元に戻そうとしているぼくの頭部と肩を抑えて、動けなくさせた。

 どうやら、手錠は解除しても、体勢の解放は許してくれなかったらしい。これは期待以下の結果だった。それで、さっきは期待以上。つまり、プラスとマイナスが対等で、差し引きすれば、本来の期待値である。期待通り、一つしか減っていないし、動けない。

 つまるところ、この世界は、妙に律儀なのだろう。もう少し、大雑把になってくれても構わないよと、今度言ってみよう。そうして、世界が巧く回るようになったなら、ぼくは英雄だ。で、逆にアンバランスになって、幾つもの矛盾によって、ブラックホールでも生まれたら、ぼくは世界の破壊者となるワケだ。


「………」


 ……ふむ。かの『主人公』たちが、どういう世界に居るのか。考えるだけ考えてみたけれど、やっぱり、あんまり面白くなさそうだ。まあ、物事の当事者になるのなんて、“他人嗜好”の真逆を行く行為なのだし、当たり前ではあるけれど。

 だからか、かの『ライバル』であるホシウリさんが何を考えているのか、ぼくにはさっぱり分からない。

 それでも、ぼくの限りなく限りのある知識の中で、考え得る可能性があるとすれば、それは一種の性癖ということになる。現に、ホシウリさんはMでありSであるというようなことを自発的に言っていたのだし、ぼくを屈辱で責め立てるサディスティックの思想と、野外でそれを行うというマゾヒスティックの感性が、彼女をバグらせているのかも知れない。曰く、歯止めが効かなくなった人間ほど、恐ろしいモノはないらしい。


「……一応、言っておきますね。ぼくに、その趣味はありませんよ?」

「そうなの? じゃあ、もしかして、男子同士が好みなのかしら」

「……そっちもありません。多分ですけど、ぼくが欲情するモノがあるとすれば、それはやっぱり、者じゃなく物か、自分自身か。巷には、そういう人間も居るみたいですし、これまで聞いた中で、一番あり得るに近い部類となると、ぼくはそうなります」

「ふぅん。よく分からないけど、いい趣味してるわね」

「いえ、ホシウリさんほどじゃないですよ」

「そう?」

「はい」


 そんな即刻返答に、ホシウリさんは膝の上に固定させた、もしくは拘束したぼくの頭を、両手で頭頂部と顎下を挟むようにして掴んで、さながら需要と供給を履き違え、クリスマスに売れ残った二メートル超のテディベアのように、ズルズルと引き摺って、公園の中を歩き始めた。

 対してのぼくは、せめてもの抵抗のつもりで、表面的には従順を装って、マネキンにでもなったように体を直立不動で硬直させ、踵で地面に進行線を引きながら、空を見上げていた。

 やがて、空を漂う白雲が、緩やかに右上から右下に移動したが、はたしてそれはぼくの視点地点が移動したからなのか、雲が動いてなのか分からない。

 自分がどこに向かって、どこに居るのか判断がつけられないのだから、仕方がない。

 ただ、太陽が大した動きを見せていない点を考えると、やっぱり後者なのだろうと思う。現実的に考えて、前者はあり得ない。ホシウリさんが巨人で、その一歩一歩が、遠近法を無視出来るくらいに、大きいものだったら違うだろうけど。

 そんな、自己以外の視点を持てば、最初から答えが分かり切っているようなちょっとした暇つぶしをしていると、公園の地面に絵かがれた二本の進行線は打ち止めとなった。つまり、進行が止まったということ。

 それを踵からの振動で理解した頃、ぼくの見上げる空に、なぜか変色家の顔が覗き込んできて、その大半以上を筋の通った綺麗な顔で埋め尽くした。

 とたんに、ぼくは眉を顰めた。眩しかったから、目を細めたのではなく、なんなら影に入ってから、嫌悪感を示すために細めているというのが、実にぼくらしいと思える。

 ここで、自己紹介がてら、改めて云おう。

 ぼくは、人間が――嫌いだ。

 勿論、人並外れの尋常でない感性を持っていようと、ホシウリさんもその範疇にある。

 だから、この反応をするのは、当たり前だった。その予想に期待していたのか、ホシウリさんはぼくの怪訝な表情を、まるで精巧に作られた像を観察するかのようにジッと見つめて、吸い込まれそうになる変色の二つの眼に蛇を連想させ、絡め取られる錯覚を覚える。

 最初はたしかに自分の意思で、動かずを保っていたのに、気がつく頃には、意思を超えた本能で、動けずを保っていた。

 間違いない。ホシウリさんの瞳が捉えているのは、ぼくという人間ではなく、ぼくというモノになっている。

 生きた心地がしないというより、自分が生きていないと先に思うような、そんな瞳が合っていて、確信出来る。

 やがて、瞬きと連動するように鼓動が早くなっていって、ワケの分からない汗がジワリと滲み始めた。


「……あの、」

「………」


 返答はなく、無視だった。

 あるいは、気づいていないのか。

 もしくは、ぼくの声があまりに小さかったのか。

 どちらにしても、このままではいかない。

 このままは駄目だ。あまりによろしくない。


 ―――そう、

 脳髄が――、

 親族が――、

 皮膚が――、

 警告を放っている。


「あの、ホシウリさん?」


 震えた声。その呼びかけは、手の内に掴んだ獲物を見つめる化物の眉一つさえ動かすことが敵わず、叶えられない。

 それを理解すると同時に、皮膚にありもしない焼けるような痛みが、鼻先からジリジリと頬へ、顎へ、唇へ、首へと広がっていく。

 なにもされていないのに、たしかに感じる痛いと熱いが、鼓動音と一緒になって、脳を急かす。

 早く、早く、もっと、もっとと語られる脳が加速し、回転率を引き上げ、らしい回答を弾き出す。

 遅れて、口が開き、顎が動き始める。


「ぼく、そろそろ腰が持たないんですけど……」

「ん? あら、そう? それは困ったわね」

「はい。ですから、早急にこの体勢を返させていただけませんか?」

「そうねぇ……」


 やがて沈黙。同じく、沈黙。

 そうして生まれた静寂は、どこまでも広く、耳に心音さえ届けない。――が、どこまでも続きそうに思われたその時、目の前を大きく損なわせつつ、埋め尽くす顔が、緩やかに口端を持ち上げ始めた。


「怖いの? 『人間嫌い』くん」

「怖いです。皮剥趣向さん」

「それはそれは、“らしい”回答ね」


 言って、顔を掴む手が離される。

 その解放と同時に、バランスを崩して、地面に落ちる。

 地面は必然で固く、筋肉は脱力で和らいだ。

 そんな、普通なら驚きと痛みに支配されるはずの脳裏を過ったのは、生きている喜びだった。

 生きるって、素晴らしい。心の底から賛同してみて、咄嗟に上半身を支えていた片手を起点に、一息ついて振り返ってみる。

 と、同時に頭上に何かが乗せられた。


「よしよし。なんて愛おしいのかしら、わたくしの忠犬は」

「………」


 なんてことはない。頭上に乗せられていたのは右手で、乗せていたのはニッコリ笑顔のホシウリさんだった。

 対しての忠犬タニンは、尻尾を振るワケでも、元気よく吠え返すワケでもなく、添えられた右手を振り落とすように立ち上がって、地面に触れていた手の平や尻を軽く叩いて、砂や小石を払った。

 そんな様子を眺めているホシウリさんは、未だどこか楽しそうで、ついさっきの行為なんか、さもなかったかのようにしていた。

 ただ、その行為に生じた恐怖は、ぼくが生み出した感情に過ぎないため、なかったようには出来なかった。

 着々と、万全の状態に戻るように勤しむぼくとしては、あの恐怖があって、より一層と、さながら高層ビルで云うなら、百六十三階の地点レベルで、未来永久に無関係を決め込みたい欲が上昇していた。

 そうして、万全を再確認したぼくは、ベンチに座る鬼にお辞儀をして、そのまま踵を返し、駆け出し始めた。

 が、踏み出し一歩のところで、背後に構える鬼が、なんとも聞き捨てならない言葉を放った。


「キミ、このまま帰るのなら、殺されるわよ」


 と。

 どうやら、ぼくは殺されるしまうところだったらしく、意味不明な言葉に動きを止めて、素直にぼく殺人事件の第一容疑者である変色さんの隣に、二人分の空席を空けて、ベンチの端に座った。


「……どういうことですか?」

「どうもこうもないわ。このまま帰ったら、殺されるってだけよ」

「一応、聞いておきます。その死体には皮膚はありますか?」

「うん。ないわ」


 などと、語尾に(ハート)と付けられそうな言い方で、物凄いことを言い放っている容疑者に、未来の皮剥行為の被害者であるらしいぼくは、また一つと席をズラして、別のベンチに座り込み、一席分の距離を離した。

 物理的な距離は、決して心の距離だとは云わないけれど、この場合に限っては、確実に心の距離だと言えた。ただし、そう表現するには、いささか物理側の距離が足りない気がするので、実際はどうなのかは、分からない。分からないが、実現可能な範囲で移動するとしたら、エベレストの頂上とチャレンジャー海淵くらいの距離が必要だろう。なお、実行するかは、現在検討中である。


「そこで、キミに一つ提案よ」

「提案……?」


 もしや、家に帰る時間が勿体ないから、今すぐ死んでくれとか。他殺は、皮剥ぎという行為は、否が応でも付属してくるから、自殺してみたらいいんじゃないかとか。そんな、提案だったりするのだろうか。

 ならば、答えはノーだ。そして、それはないだろう。前言撤回をする間もなく、ぼくはハッキリと言えた。

 思い返してみれば、なんてことのない当たり前。必然。前提。

 そう、前提。前提で、ホシウリさんこと長谷部斗市は、決して殺人を愉しんでいるワケではなく、また死体を増やすことを悦んでいるワケでもない。

 彼女はただ、皮剥ぎという行為を楽しんで、喜んでいるだけに過ぎず、だからこそ、皮剥ぎが付随しないのならば、殺したりはしない。そういう人間だ。とっくの昔から、ぼくはそう思っていて、認識して、理解していたはずだ。

 なのに、あまりに似た概要のせいで、惑わされていた。間違っていた。忘れていた。


 長谷部斗市は、どんなに転がしても、どんなにひっくり返しても、皮剥嗜好であったのだと―――



 ◇



 ホシウリさんの提案は、実に単純なもので、実に人間らしいものだった。

 故に、ぼくも頷き返して、こうして、ホシウリさんの自宅で寛いでいる。

 で、肝心な部屋の主であるホシウリさんは、現在汗を掻いたとかで、シャワーを浴びていて、風呂場と思わしき扉の向こう(確認はしていない)から、水の音が聞こえてきている。

 恐らく、メイクが落ちているのだろう。爪に塗ったマニキュアも落ちるんだろうか。アレはたしか、エタノールで落とすのだったっけ。いや、エタノールではなかったような……。まあ、どちらでもいい。どうでもいい話だ。

 どうでもよくないのは、ぼくの右足首が、部屋の中央に鎮座するバカでかいソファーの脚に、鎖が異様に長い足枷で繋がれているということか。


「これじゃあまるで、本当に忠犬じゃないか」


 一応、言っておくと、ぼくにホシウリさんの忠犬になった覚えはない。タニンという魅力的な名前も、実を言えば、ぼくの名前ではない。けれど、ホシウリさんがしているのは、その対象と同レベルの所業である。

 もしかして、ぼくを“他人”の部屋に転がり込んで、シャワー中に覗きをする変態とか思っていたりするんだろうか。なら、心外だ。不服という言葉が、ここまで似合うのかというレベルで、ぼくは嫌悪を示す。

 仮に、足枷がなかったとし、部屋の主からの認識外に居るとしても、ぼくがすることと云えば、精々のところ、部屋の散策と、いざとなった場合の武器と、脱出経路を探すくらい。それくらいでとどまって、部屋を後にするというのに。ただ、後にして、全力で逃げるだけだというのに。

 そうして、処遇の改変の所望を試みて、電話越しからの脅し文字に、心底ビビって、自らの足で、部屋に戻るというのに。さながら、忠犬のように。忠犬タニンを遂行するだけなのに。


「……ふむ」


 それじゃあ、どのみち現状にあまり変わりはない。いや、変わりようがないとするべきか。逃げられないのだし、なぜなら、そういう一連の抵抗をして、結果として、こうなったのだから。

 要するに、足枷はどうやら、一度起こった手間を再度行わないために付けられているモノで、そのお陰で、ぼくの心の中から、吐き気みたいに湧き上がってくる逃げ出したい欲に、体が動かされても、どうしようも出来ずに居る。あるいは、居れるとすべきか。

 まあ、こうして、部屋の中に留まることが出来ているワケだ。留まって、なにをしているのかと云えば、実に簡単で単純。ただ、我が身可愛さに死にたくないと思って、避難して来ているだけ。

 だから、時間を潰せれば、それだけで避難は遂行されるということになる。なお、ぼくがさっきした対応改善の所望行為は、そのの他ならない行為だったと、我ながら後になって、ハッキリと言えた。

 つまるところ、要は冷静は制動からやって来るということらしい。後々役に立つことがあれば、思い出し、思い返してみよう。ただし、実行出来るかは、分からない。


「あら、仰向けになんかなって、耽っちゃって、大人しくしてた?」


 ガチャリという扉の開く音がするのと、殆ど同じタイミングで、バスタオルで長い髪を器用に一纏めにし、頭の上にまるでサンプル品のパスタみたいに盛り上げた入室者こと部屋の主人は、フローリングの地面に寝転がるぼくを見て、そう尋ねてきた。

 その平穏な時間の終わりとなった瞬間に、ぼくは心底嫌そうに、ため息まで吐いてみせる。


「……ええ、大人しく出来てましたよ。忠犬らしく」

「それはよかったわ。うん、それは賢明な判断よ、『人間嫌い』」

「ですか。まあ、健全ではないですけどね。他の誰かに見られたりしたら、一体どう思われるのか」

「あれ? “他人”から、どう思われても、キミはどうでもいいんじゃないの?」

「はい。どうでもいいです。くだらないし、つまらない。だから、ぼくはどうなってもいいとしても、ホシウリさんは違うでしょう? たとえば、隣人さんとか、大家さんとか、彼氏さんとかが相手だったら、面倒になりますよ」


 主にぼくが。

 それに、公園の時みたいに、らしい会話をするのは、バランスが危うくて、難しい。誰だって、普段は一々気にしないのに、急に体全体を意識して歩こうとすれば、同じことを思うはずだ。

 だが、ホシウリさんはぼくの意図を気にしないフリをするかのように、目を大きく見開かせては閉じたりを数回こなし、巻き上げたタオルを解いて、風呂場から持って来ていたらしいドライヤーを起動させた。


「なに? 心配してくれてるの? なら、大丈夫よ。隣人も大家も居ないわ。いや、居るけどれど、その大家自身がコトを起こしているんだから、心配のしようがないと言ったところかしら。隣人も同様ね。この階層と上下は、わたくしのモノなのよ。だから、大家も隣人もわたくしになるわ。あと、彼氏は募集していない感じね」

「へー、お金持ちなんですね。羨ましいですよ。大地主ってヤツですか?」

「大きさはどうでも、元々から地主じゃないわ。大金持ちであるのは、否定しないけれど」

「大金持ち……ですか。なんとも、親に生かして貰っている貧乏学生としては、その収入源が気になるところですが、聞かないほうがよさそうなんで、辞めておきますね。赤の“他人”なんで」

「そうね。それがいいかしらね。赤の“他人”で居たいのなら、そうするべきね」

「なら、そうします。これから先、どんなことが起こったとしても、決して聞きません」


 ぼくが宣言すると、ホシウリさんはドライヤーを切った。まだ、濡れ滴っているけれど、エアコンの点く部屋なら、大した問題にはならないんだろう。現に、ぼくの足首に着けられた枷と繋がっていて、ホシウリさんが座ったソファーは、エアコンの送風地点に直面するため、微風のドライヤーの代わりにはなれると思われる。

 また、ぼくみたいな、体温が上昇する理由がない人間からしては、そこはかなり寒い場所だが、シャワーで暑くなったホシウリさんからすれば、かなり心地よい場所だったに違いない。だから、ドライヤー代わりとして、そこに座ったのかは分からない。つまり、世間一般的には、髪は女の命だと云う言葉があるけれど、ただただ、ホシウリさんがそういうことを気にしない人間なのかも知れないというワケだ。

 まあ、そんなのは、まったくもってどうでもいいことだ。関係ないし、興味がない。多分、分かったとしても、関心しない。ホシウリさんのバスタオル姿には、納得する。

 加えて、ホシウリさんは、いつもの芸術家みたいな袖と首周りが広いシャツからは確認出来なかったが、胸のある人物らしい。アレが、大人の魅力というヤツなのだろうか。見る人が見れば、少年心を沸かし、興奮することだろう。ただ、それがぼくだと、一抹なりともの申し訳なさを覚える。ホシウリさんにも、読者にも。だが、褒めるにも、貶すにも、いい例えが浮かばないのだから、仕方がない。とりあえず、ぼくは悪くない。数あるだろう文句は、ぼくの語彙力に言うべきだ。


「ところで、ぼくって、いつまでこうしてればいいんですか? “他人”とか関係なしにしても、いつまでもこのままってワケにはいかないでしょうし。出来れば、ぼくの肺に穴が空く前に解消したいんですけど……」


 勿論、足枷があるという意味でもあるが、同時にこの部屋で過ごすという、いや、この場合は、ホシウリさんと共同生活をするということに大しての言葉でもある。

 はたして、ホシウリさんはどっちの意味と意図で受け取ったのか、ぼくには分からないが、心底興味なさそうな冷めた表情を浮かべた。

 それは、まさに犬が語る言葉を聞いた人間のような反応。――つまり、意味が判らない。或いは、判ろうとしていない様子に、ひどく似ていた。


「ふぅん。まあ、わたくしなりに善処はするけれど、ハッキリ言うなら、分からないわね。もしかすれば、明日かもしれないし、明後日かもしれない。もしくは、そのもっと先とかかも。つまり、相方の出方次第よ」

「で、ホシウリさんは今日がその時だと?」

「ええ。今日、あの時、キミが家に帰ってから始まるはず


 そう。はずのだ。

 だが、それをホシウリさんは予見し、予言し、予感した。曖昧から始まる確実に最も近い感覚で、ホシウリさんは、これから死に行こうとしていたぼくを移動させた。

 いつかは辿り着く、障害そのものの壁であった『皮剥ぎ死』という運命のレール上から、いとも簡単に、実に容易く、脱線させたのだ。

 だからこそ、ぼくは倒れている。

 無数の抵抗虚しく、行き場を失って、倒れた場所を居場所としてしまっているのだ。運命に流され、流れ着き、行き倒れたのだ。


 ただし、死にはしない。

 死ぬ運命からは逃れられた。


 そのため、昼間の公園で女子たちに囲まれ、囲んでいた男子大学生――早瀬はやせ隼人はやとは、今日の晩、に、ナイフとピーラーとロープを持って足を踏み入れる一部始終を、壁の中の監視カメラから、殺すつもりだった獲物ぼくに観られていたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

人間嫌いの他人推理 高松 庚栄 @emiyahana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ