第4話

 純白な雲が、背景色の水色と混ざりはせずに、見事に溶け込んでいる清々しい晴れの日。

 気温は、それほど暑くはなく、同じくらい寒くもない。だから、心地いい。

 一歩踏み出し、一歩歩けば、みるみると心は澄んでいって、憂鬱な悩みも忘れてしまうには、丁度いい日となるでしょう―――。


 今朝、テレビで流れてた今日の天気予報と、それに加えられた星座占いの言葉は、たしかこんなのだった。そして、それはどれも嘘っぱちだった。

 純白な雲は、ついさっき駅前に建てられた高層マンションの裏に隠れて見えず、背景色とはいかなくなった水色の空に溶け込んでもいない。そして、清々しいとは言葉の綾か、あるいは偏向報道だったのか、蒸し暑苦しく、シャツが肌に引っ付いては、気持ちが悪い。

 つまり、それほど暑くないというのは、虚偽となり、同じくらい寒くはなくというのは、身震いがするほどに、さっきから寒く感じているから、嘘になった。

 加えて、一歩踏み出し、一歩歩くたびに、ぼくの心は憂鬱に翳り、悩みも増していっているので、これも違う。つまり、全部違かった。

 ただ、今ぼくの隣で、緑と青と白に茶色のソフトの追加トッピングをした赤色アイスを食べている人にとっては、どうだろう?

 試しに、訊いてみるのもいいかもしれない。

 なぜ、貴方がここに居るんですかと。


「偶然よ。それ以外に、一体なにがあるっていうのかしら?」


 らしい。

 ニヤつくホシウリさんから、あまりにも簡潔に、それでいて即答で返された言葉に、ぼくは少しだけ口を紡いつつ頭を動かして、犯罪者Hと被害者Bの接点が生まれそうな場面を想像してみた。

 今朝、目が覚めた被害者B。彼は暑さに苦しみながら、目覚まし時計を見なかったために、現在時間が分からないという障害を残しつつ、緩慢な動作で洗面所へ。

 慣れた足取りだった。

 慣れ親しんだ空間だった。

 慣れない手元だった。

 歯ブラシを手に取ろうと伸ばした手は、つるりと、あるいはするりと、そこにあった風だけを掴んで、やはり掴みきれずに霧散し、指先が手の平に触れ合わせた。それに違和感を覚えて、目線を落とす。

 そこには――

 唯一残っているのは、地面と壁と洗面器だけ。以外は、タオルも歯磨き粉もない。

 ここで自分が置かれている状況を思い出した被害者Bは、とりあえず、うがいだけ済ませて、自宅を後にし、タオルと冷気を求めて、一直線でショッピングモールへ。

 そうして、加害者Hとの自称偶然の再会。それが現在。これが経緯。

 ここまでで、場面接点が生まれそうなのは、自宅外。つまり、外出時からに絞られる。そこで、最も可能性が高いのは、やはり自宅を後にした瞬間だろう。

 となると、こうなる。


「……ホシウリさんが、ぼくの家の前で待ち構えていて、そのあとを追って、分かった行き先を先回りしたとかじゃないですか?」

「――ないわね。ヒントついでに、正確に言えば、わたくしはキミの跡をんじゃなくて、キミに跡をのよ。だから、これは必然じゃなく偶然。そうじゃなきゃ、キミは“他人”よりも先に、わたくしの“ストーカー”ってことになるわよ。まあ、そこの判断は、わざわざわたくしが被害者を主張しなくても、街中の監視カメラに、わたくしから十五メートルの距離感で、まったく同じ道を歩くキミが映ってるでしょうから、確認者にお任せするわ。はたして、偶然か、必然か。一体、どっちなのかしらね」


 らしかった。

 いつも常々に、どうも可笑しい人だとは思っていたけれど、ここまでの変人ぷりには、もはや敬意と恐怖さえ覚える。対して、肝心なぼくは、肝心な部分が隠された出題だったとしても、自分の頭を使って、それなり自信を持って言い尋ねたことを、初手全力で否定され、自分が馬鹿なんじゃないかと思い始めつつ、そんな冤罪からの脅迫も厭わない意地悪人間とは、関わりたくないという欲求が鰻登りで上昇し始めた。それは幸いなこと、必然なことだ。

 もしかすれば、ここで拍手をして、敬礼をしてみたら、ぼくは解放されたりしないだろうか。何事も挑戦に限ると云うんだし、試してみるのはありだろう。でも、そのためにはまず、この両手に持たされた平均一メートルの長さを謳うキングソフトクリームを、どうにかしなくてはいけない。

 そうなると、特に重要なのは、平均一メートルと銘を打っているところだ。平均、と敢えてわざわざ言っているということは、平均以下、あるいは平均以上でも、二つ並べると、どちらかが劣るということだ。で、ぼくが選ばなければいけないのは、劣るほう。片手でもいいから、手は空けなくてはいけない。

 しかし、仮に選び、劣る低いほうの選択に成功したとしても、一日一食おにぎり二つで十分のぼくには、どうにかできる気は、まったくもって、これっぽっちもないというのは、後々の自己採点に悪影響を及ばせないため、先に言葉にしておこう。

 そして、呪うのなら、食べ残したぼくではなく、食べ切れない量を与えた人間にして頂こう。

 まあ、こんなことを言葉にしなくても、さすがの食育の神様も、そこところは、多少なりともの融通を効かせるくらいの懐は持っているだろうけれど、一応。それこそ、性分というのか、性質というのか。誰が悪いのか、はっきりさせたいタチなのだ、ぼくは。


「ところで、ホシウリさん。ぼくとしては、そろそろ説明をしてほしいんですけど」

「ん? それは、わたくしが、キミが立ち寄ったショッピングモールで、キングソフトクリーム二つを持って立っていた経緯? それとも、キミがわたくしの後を追って、ここに来るようにさせたっていう言葉の意味?」

「……できなくとも、両方ともお願いします」



 ◇


 物事は、突発的に起こるものではない。これは、絶対だ。

 もし、この決定を否定すると云うのなら、凡ゆる法則を打ち破り、下さなくてはならない。

 で、そんな実力も、度胸も、知識もないぼくは、物事の法則に倣ってそう思うワケだけれど、ホシウリさんがしたことは、そのまま摩訶不思議など使わずに、実に単純なことだったらしい。

 思い返してみれば、昨日のホシウリさんはただ単に、ぼくの自宅にあるありと凡ゆる物を持ち去っただけではなく、壁に鉛筆の芯程度の小さな穴を空けて、監視カメラと盗聴器を設置していた。

 その至るところに設置された監視カメラにも、たしかに目が覚めたぼくが、暑い暑いと言い溢す様子が写っていただろうし、聴けていただろう。

 そして、そうなることを想定するのは、あまりに容易い。この真夏の時期の朝に、エアコンがないのだから、暑いのは当たり前。

 そこで、ぼくは茹で上がらないように、必然的に家を出るワケだが、そのタイミングさえ測ることが出来れば、あとはぼくがエントランスを抜け、家を後にするタイミングより、少し早めに家前を通り過ぎ、冷房が効いた場所へ向かえばいい。

 たったそれだけで、見事に“他人”を冤罪で“ストーカー”に仕立て上げることが出来てしまう。証拠が残り、真実は不確かで、立件が可能だなんて、まったく恐ろしい世の中だ。いや、この場合は、ぼくの隣で、ソファーに寝転がり、うつ伏せの状態で、なぜか両手であごを支え、上目遣いで見上げてきているホシウリさんが恐ろしいのかもしれないが、その微笑みの本人から種明かしをされたぼくは、さっそくガムテープと綿と防音板を購入しようと決めるに至った。


「とりあえず、ホシウリさんが、ぼくを冤罪にわせた手段は分かりました。ただ、その理由が不透明なままです。なので、どうぞ自白してください」

「うん。自白するとね。所謂、キミと鉢合わせするためだったのよ」

「鉢合わせ……ですか。意図しての必然で行われる対面は、決して鉢合わせとは言わないですけど。ホシウリさんが、ぼくとその鉢合わせとやらをしてしたかったことは、やっぱりこのキングソフトクリームを食べさせて、ぼくを生き苦しめることですか?」

「んー? なんで、そうなったのか、わたくしには分からないけど、違うわね。それは、ただの足止めよ。ほらっ、キミってどうせわたくしを視野に捉えたら、逃げるでしょう?」

「――はい、逃げます。人を掻き分け、海を掻き分け、ざっと対面の陸地に辿り着くまでは、必死に懸命に」

「でしょ。そこで、どうもキミには良心というのがあるみたいだから、それを逆手に取ってみたの。だから、キミは今も動けていない。まあ、わたくしとしては、万々歳の結果ね」

「そうですか。ぼくとしては、最低最悪の状況ですけどね」

「あら、気が合うわね」

「いえ、どこをどう受け取っても合ってませんよ。さながら、天と地、白と黒、ぼくとホシウリさんほどに」


 と。

 拒絶の意思を込めに込めた台詞を、ぼくが素直に率直で言うと、ホシウリさんはいつもの変な笑い方で、苦しそうにソファーを叩いた。どうやら、爆笑するほどに面白かったらしい様子を横目に、ぼくはなんとか四分の一は減らせただろうソフトクリームに、早くも限界を感じて、視界を沈ませた。

 今更、なにを隠す必要はなく、ぼくの腹具合は、もう既に満腹となっている。

 対して、手元に存在するのは丸々一本と残り四分の三という事実に、とてつもない億劫が押し寄せて、自分の良心に自己嫌悪さえ覚えた。

 それと同時に、改めて思う。

 やはり、“他人”と関わるとロクなことにならない。


「あ、言っとくけど、片方は残しといておいて。わたくしも食べるから」

「…………」


 即時、前言撤回。

 たまには、“他人”と関わってもいいのかも知れない。

 けれど、そう思う反面で、その“他人”がぼくに苦悩を与えてきた人物であるという点は、やはり見過ごせない。いや、見過ごしてはいけないと言うべきだろうか。

 どっちにしろ、ぼくは反復横跳びの要領で、撤回の撤回を測る。

 相手が誰であろうと、相手を殴っておいて、殴った相手を心配したからいい人になる程、この世の中は甘くないというワケだ。

 で、少しばかりは気も片手も楽になったけれど、この四分の三が残ったソフトクリームは、どうやって処理すべきか……。

 不運なことに、家に持ち帰ろうと、保存用のタッパーも、保存先の冷凍庫もない状態のワケだけど。


「となれば、やはり」


 やはり、食べるしかないのだろうか?



 ◇



 ひどく憂鬱な感情は、これまで感じたことがないくらいに腹一杯で、今や腹部破裂寸前のぼくに畳み掛けてきている。

 そして、隣からは鼻歌混じりの変色家が、その奇抜で奇妙な理解し難い感性で、さながら古いヤンキーを思わせるが、実際にその姿をとっていた人物など、皆無と今でも言える見事なまでの三角のグラサンを掛け、手錠で両手を不自由にされたぼくの肩に腕を回してきていたりする。

 ぼくとしては、一刻も早く、“他人”らしく、この場もとい、この隣人から離れたいワケだけど、そうもいかないのが、現実の非情さだ。

 そんな現在げんじつの状況を、実に簡潔に、分かりやすく言うと、となる。

 なお、ホシウリさんの許可なく人質を脱した場合、ぼくは手錠をそのままで、東京湾に投げ捨てられるらしい。ただし、打ち上がってくる死体には、皮が残されているらしく、それがホシウリさんなりの申し訳なさの現れなのだとのこと。

 ぼくとしては、まず殺さないでほしいし、今すぐに手錠を外してほしいのだけれど、これはきっちりしっかりと却下された。


 で、そんな現実味のない命と隣り合わせの二日目を、現実の実体験として過ごすぼくは、公園の日陰の下のベンチで、なぜか公園の反対側のベンチで、女子に囲われている男子大学生を観るように言われているワケだ。

 そのことから分かるように、どうやら、ホシウリさんの要件は、彼にあるみたいだし、それを解決しないことには、ぼくの平穏と両手の自由はないものとされるに違いないだろう。

 ただ、そんなのを幾ら観ても、人間好きではないぼくには、面白味に欠けるし、あのどこにでも居るような大学生たちがしている談笑に何かがあるように思えず、下手に関わりたくないからと紡いでいた口を、関わらないために開くという矛盾を許可するしかなさそうだった。


「あの、ホシウリさん?」

「うん? なぁに?」

「ぼくにあの無意味な光景を観させて、一体何に巻き込まれているのか、教えてほしいんですけど……」

「あら、あの『人間嫌い』が人間に頼るの?」


 ぼくの無関係の諦めを喜んでいるのか、ニヤリと笑って、さながら煽るようなことを口にするホシウリさん。

 『人間嫌い』でも、“他人嗜好”のぼくを煽っても、“他人”の戯言として流されるから、意味がないことを知らないのだろうか。

 まあ、そんなことは今はどうでもいいことだし、そのうち判ってくれるだろうから、ここは放置するに限る。


「はい。ホシウリさんが、何を勘違いしてるのか知らないですけど、『人間嫌い』でも限界があるんですよ。それにぼく、人間が嫌いだからって、人間観察を趣味にするような性格してませんから」

「そう? まあまあ、惜しいところまで行ってたのに」

「惜しい?」

「ええ。だって、彼らのあの行為に意味なんてないって判っていたじゃない」

「………?」


 首を傾げる。

 ホシウリさんは、一体なにを言いたいのだろうか。考えてみても、意味が分からない。ヒントが足りないというヤツだ。

 それでも無理矢理、言葉の辻褄を合わせるとすれば、やっぱり哲学を語っているとなるワケだけれど、あのホシウリさんが哲学を語るとは思えないし、そんなことが出来るなら、元々からホシウリさんは、ホシウリさんたらしめず、ぼくに関わっても意味がないことくらい分かるはずだ。

 となると、右はどっちかを聞いて、時と相手によって変化するのに、わざわざ箸の持つ方と答えるような、捉え方が無数にある優しさが希薄な回答に意味があるのだろうか。

 そうとすれば、ホシウリさんが語ったのは、やっぱり、彼らを観た上で、理解出来る回答とするべきだろう。

 つまり、どのみち、ぼくは“他人”と“他人”の馴れ合いという、つまらない、くだらない、面白くないの三拍子が揃った様子を、まだ観なくてはいけないらしい。

 なんというか、普通に嫌だ。

 ただまあ、そうは思っても、ソフトクリームで埋め尽くされた腹の様子からして、あと十分以上はマトモに動けないことが確定しているので、ホシウリさんに引き摺られて、目的地まで連れられる体験が、一日で二度も発生させないためにも、仕方がないことではある。



 ◇



 で、十分、二十分、三十分と過ぎて、さしあたり、このまま四十分も視野に入りつつあった頃、動きがあった。

 一応、言っておくと、腹の動きではない。それはとっくの昔から起こっているし、この頃となると落ち着きを取り戻し始めつつある。

 ここで、ぼくが言っている対象は、例の男子大学生たち。……いや、この場合は、男子大学生以外とした方がいいのか、あるいは男子大学生一人とした方がいいのか、少し判断し兼ねるけど、とりあえず、監視していた彼らのことだ。


 一連の流れを、ぼくが観たままに言葉にするなら、一人の男子を囲んで、実に楽しそうに談笑していた中の一人が、ぼくとホシウリさんに気付いたらしく、そのことをなぜか一番近くに居る人間ではなく、数歩の距離がある件の男子に耳打ちしたかと思うと、今度はその男子大学生がぼくとホシウリさんの方に視線を向け、それに続けて、違和感を覚えたらしい女子だけの他の数人が、こちらに気づいた。

 かと思えば、その数人がさながら城を守るガーディアンのように、ぼくとホシウリさんと、件の男子大学生との間を遮るように立ち、怒りの塊みたいな表情で睨みつけてきて、歩き出したかと思えば、その人壁によって見えなくなっていた男子大学生が、耳打ちした女子になにかしらの合図を送ったらしく、合図された女子が慌てた様子で、ガーディアンの前に移動し、体全体で立ち止まれのジェスチャーをした。

 そうして、素直に立ち止まったガーディアンたちは振り返り、そこに居るはずの男子大学生と会話をしたらしく、数回の会話の末、ガーディアンは二手に分かれて、守る対象だった男子大学生とぼくとホシウリさんの間に、遮る障害をなくさせ、微笑みの表情でベンチから立ち上がり、囲っていた女子たちを置き、こちらへ向かって来始めた。


 そんな動きがあって、ぼくが自分の置かれているこの状況を、彼にどう説明したものかと考えていると、ぼくが何を話しかけられても、無視をしていたからか、つまらなさそうにして、ぼくの頬をついてみたり、膝に頭を置いてみたりしていたホシウリさんが、二十分が過ぎた辺りから閉じていた口を動かした。


「さて、『人間嫌い』。とびっきりのを頼むわね」


 と。

 言われた言葉に、ぼくが疑問を持ち、意味を聞き返えそうとすると、その前に例の男子大学生が、ぼくとホシウリさんに、まるで友達だったみたく、親しみのある表情をして、大きく手を振ってみせた。

 ぼくは勿論、“他人”らしく反応しなかったが、なぜかホシウリさんは、彼に笑顔を見せ、小さく手を振り返していた。

 それで、もしや知り合いなのかなと思ったが、男子大学生から放たれた第一声が、「はじめましてー。何してるんですかー?」だったことから、それは検討違いだと判明した。そうして、なぜわざわざ反応するのかという疑問。

 判明して、疑問を覚えるのは、これで何度目だろうか。ホシウリさんと関わると、その回数が多い気がする。

 まあ、ぼくがホシウリさん以外と、判明するまで、疑問を覚えるまで関わっていたかと問われたら、問答無用、素直率直、一瞬間いっしゅんかんに関わっていないと言えるので、奮闘を小さく決意した。勿論、それはホシウリさんと関わらない奮闘であり、決して、ホシウリさんを理解しようとしているワケではない。これは、とても重要なことで、前提的なことだ。さながら、地球は回転しているというレベルで。


「ただの散歩よ。ただ、今は休憩中ね。ソフトクリームは体に毒だって、さっき気づいたの」

「ソフトクリーム……って、もしかして、キングソフトクリームですか?」

「そうよ。あと、別のも一つね。流石に、向こう一年間までは、見るのも拒否したいわ」

「え!? アレを一人で食べたんですか? アレってたしか、一つで四人前だったはずですけど」

「あら? そうなの?」

「そうですよ。まさか、食べちゃうとは」

「ざっと四人分……いや、この場合は五人分ね。わたくしの胃袋は」


 カラカラ、ケタケタと笑う二人を横目に、四人前を食べさせられたらしいぼくは、素直率直に自分を褒め称えつつ、正面に控える離れた場所にガーディアン達と耳打ち子さんが、未だにぼくとホシウリさんを睨みつけながら、各々が会話にしては、同じタイミング過ぎる不揃いのペースで、口を動かしている様子を見ていた。

 まるで、一人一人が独り言を溢しているような光景は、遠目に居るぼくの肌をチリチリと痺れさせる。

 おそらく、彼女達が口にしているのは、悪意の結晶――謂わば、悪口というヤツだろう。それも、純度百%と表現して、差し支えない純粋な悪意。さながら、向けられる対象者の周囲にさえ、その悪寒を覚えさせるだろう。

 だからこそ、そんな久しぶりの感覚に、ぼくは違和感を持てた。ただ、その違和感が、はたしてどこから起因したモノなのかは判らない。

 故に、この場合では、理由、原因、認識と理解がなければ、どうにも本質を掴めそうにない。

 そして、ぼくは“他人”。理由とか原因とか、そんなのを目の当たりにして認識はしても、わざわざ理解しようとまではいかない。だからきっと、これからも判らないだろう。でも、それでいい。下手に関わらないに越したことはない。曰く、“他人嗜好”は、これくらいが丁度いいのだ。

 なんて、ボンヤリ眺めながら思っていると、それまで笑っていた男子大学生が、笑顔をそのままで、ぼくの方に意識を向けた。


「で、彼は?」

「ああ、この子は、わたくしのペットよ。忠犬タニンと云うの」


 などと相手に合わせて、変わらずの笑顔で返しながら、返答をするホシウリさん。その隣で座っているぼくは、どうやら、自分の知らぬ間に、ホシウリさんの忠犬タニンくんになっていたらしい。

 実に、いい響きの名前ではあるけれど、その説明を聞いて、ホシウリさんの忠犬になった覚えはなく、また人間が嫌いだからと、犬になった覚えもないぼくの手元を見た男子大学生は、「へ、へぇー……」と、明らかに困惑気味の引いた反応をしていた。

 ただ、それでも、笑顔を崩さなかった彼に、ぼくは感心を覚えた。

 所謂、出来る男と云うヤツなのだろう、彼は。女子の人気も、それなりに高いはずだ。


「ふふっ。わたくしの忠犬は、賢くて芸達者なの。だから、その気になれば、会話も出来たりするわ。ただ、人並みには劣るってところだけど」


 可愛いというより、やっぱりその顔立ちから綺麗と表現されるだろうキラキラと光るような笑顔をして、ぼくこと忠犬タニンのコミニケーション能力を、人並み以下だと説明するホシウリさん。

 やはり、困惑を隠せない男子大学生は、ホシウリさんからぼくの方に、戸惑いの目を向け、少し考えた後、地面に膝を着け、ベンチに座るぼくと目線を合わせた。


「こ、こんにちは」

「……どうも」

「今日は暑いよねー。大丈夫?」


 言いながら、ぼくの手に触れる男子大学生。彼の大丈夫? という確認が、暑いからではなく、この手錠と忠犬として扱われているということに関してなのは、なんとなく察しは付いたが、前述でしっかりと釘を刺されているぼくは、無論今にも頷いて出したいSOSを我慢して、「はあ。まあ、それなりには……」と返す。

 すると、ホシウリさんがぼくのシャツの襟元を引っ張り、横に倒れたぼくの頭を、なぜかその膝に置いて、母性愛に溢れた様子で撫で始め、「あらあら、なんて可愛いのかしら。流石は、わたくしの子だわ」と慈愛の言葉を放った。

 そんな異常で、異様な様子に、男子大学生は震え出した手を必死に抑えて、「じ、じゃあ、邪魔しちゃあ悪いので、戻りますね」と言い、逃げるようにして引き返した。

 その、以降から一度も振り返らなかった彼の後ろ姿を、ぼくはどこまでも死んだ目で、言いつけどおり、まさしく忠犬らしく、ガーディアン達に囲まれながら、公園から去るまで監視していた。

 さながら、裏切り者を観るように。

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