第3話 統括者と役目

 シスターの悲しい事件から一週間後のこと、ヒグレはある一軒家に赴いていた。


 霧に覆われた小高い丘に建つ木造の家。一見、廃墟のような雰囲気を漂わせている深閑しんかんとした家だが、出入りが極端に少ないだけでヒグレのよく知る者が住んでいる。


 その家に、ヒグレは家主に呼ばれている。

 ヒグレはためらいなく玄関を開けると、中は外観と違って生活感に溢れていた。


 アンティークの家具と装飾品と、物が多くごちゃごちゃとしている印象だが、不思議な懐かしさが漂う空間をヒグレは進み、待ち人がいる部屋に入室する。


 部屋は、大きな窓と暖炉があり、落ち着きのあるレコードの音楽が流れていた。


「こんにちは。メイドルーツ。遅くなってしまった」


 大きな窓の近くでゆらゆらと動く椅子の前でヒグレは挨拶をする。


「やあ、待っていたよ。相変わらず時間にはルーズのようだね。ヒグレ」


 メイドルーツと呼ばれた人物は、ゆっくりとした口調でそう返答した。


「すまん。急用だったなら謝る」

「いいさ。我々に時間など意味のないものだからね。とりあえず来てくれただけ嬉しいよ。最近の魔狩人まがりびとは呼んでも来ないからね」


 メイドルーツは椅子から立ち上がり、ヒグレのほうを向く。

 日本領界域にほんりょうかいいき。魔狩人の頂点に君臨し、組織全体をまとめる存在。それがメイドルーツ。


 歳は二九歳。歳を感じさせる口調とは裏腹に、若々しい肌を保った端整たんせいな顔立ち。癖のある灰色の少し長めの髪。黒い布で両目を隠し、暗めのテンガロンハットを目深に被り、すすぼけた黒を基調とした軍服のような装束しょうぞくを着込んだ男だ。椅子の隣には、愛刀である二本の刀が雑に立てかけてあった。


「さて、ヒグレ。君を呼んだのはほかでもない。仕事を頼みたいと思ってね。ところで、カルネアもいるのかね? 先程から見かけないようだが?」


 不思議そうに答えるメイドルーツ。確かに彼の視界にはカルネアの姿はない。だが、本人は傍にいる。見えないだけで気配は確かに存在している。


「すみません、メイドルーツさん。ずっと姿を消してました」


 カルネアと呼ばれた少女が、なにもないところから光とともに現れた。

 肩と鎖骨の中間まで伸びた明るい金髪。惹きつけられるような澄んだ碧眼。華奢で細身の体躯。童顔で若干の幼さを残す容姿のため十七歳くらいの印象を受けるが、その容姿とは裏腹にたいへん長寿だ。明確な年齢は不明だ。


 書類上〝精霊人せいれいびと〟という種族ということもあり、あまり年齢という概念は持ってないため、永遠の一六歳とか一八歳ぐらいの少女と受け入れたほうがいい。


 そして、カルネアを今まで観測できなかったのは゛精霊人せいれいびと〟の固有能力。自らを不可視化の存在になる能力である。見えず、触れられず、そんな能力。その特殊な能力を巷では゛幻想化〟と呼ばれている。その力を解くまでカルネアはヒグレの近くにはいた。


「そこにいたんだね。それじゃ、私の目を通しても見えないね」


 含みのある言葉を発しながら笑みを浮かべるメイドルーツは息を吐き、


「どれ、役者が揃ったところで仕事の話をしようか」


 そう口にすると同時に、一人の女性が現れる。

 プラチナブロンドの髪。無表情でミステリアスな雰囲気を漂わせるヴィクトリアンメイドの美人は礼儀正しくヒグレたちに静かに会釈した。


 彼女はメイドルーツの身の回りの世話をしている専属メイドである。三年ほど面識のあるヒグレだが、何気ない会話を嗜むほどでもない間柄だ。ただなにかと縁がある。


「エル。例の物を」


 エルと呼ばれた女性は「かしこまりました」と会釈し、壁に密接する縦長のテーブルに向かってなにかの仕掛けを動かした。瞬間、殺風景だった壁一面にどこかの色付きの世界地図が浮かび上がった。


「ありがとう」


 エルは静かに会釈して一歩後ろに下がった。瞬きをした時には音もなく姿を消していた。近くにはいるのだろうな、とヒグレは思い、壁の世界地図を見た。


「これが今回の異世界か?」

「そうだ。これから君たちに向かってもらう異世界だ。人間とエルフが大半を占め、八つの大陸と七つの大森林が存在する世界だ」

「緑が多い世界だな。人間の領域がどこだかわかんね」


 乾燥地帯はあるようだが、元の世界と比べて圧倒的に緑の面積が多い。一つの大陸に七割の森だとして、三割の人口がまばらに散っているという感じだ。


「すでに魔狩人を派遣して魔物撃破に専念してもらっている」


 説明を受けながら、魔物が多いのかな、とヒグレは思いながら世界地図を眺める。

 魔物は本当に狩っても狩っても湧き出てくるミントの根と変わらないしぶとさだ。一度世界に出現したら最後、世界が終わるまで永遠に湧き続ける。それが奴らのシナリオだ。


「現状、わかってることは?」

「魔物が出現と同時に異常な速度で増殖したことと、その同時期にエルフが減少傾向にあるということだけだね。エルフだけで半分以上の数はいなくなった」


 その言葉に、ヒグレはメイドルーツに視線を向けた。


「なんだその異常な減りは。この世界のエルフはそんなにも脆弱(ぜいじゃく)なのか?」

「そうでもない。この異世界のエルフはどの人間よりもよっぽど強い」


「……元は発見当初から魔物が出現していなかった珍しい世界じゃなかったか? ここ。この場合、人間の仕業だったりするのか?」


「詳しいね。断定はできないが、可能性としてはある。一ヵ月という短期間でエルフの数が急激な減少。エルフ単体でこの不自然な減りかたは問題視しなければならない」


 断定できないもどかしさに唸るヒグレの隣で、同じく考えていたカルネアが口を開く。


「この現状はこの世界の人族は知ってるのでしょうか?」

「どうだろうね。数百年前まで戦争やってた仲だ。水面下ならともかく、あまり交流はなかったはずだ。まあ、痛い目に合いたくなければエルフには極力接触しないほうがかもね」


 もしそれが事実なら魔物を狩って帰還する、そんな単純な話ではなくなっていく。魔物を討伐してお土産を買って帰ろう、とか呑気に考えていたヒグレの脳が活発になった。

 それが世界規模で起こっているとなると長期間の依頼となる。

 考えれば考えるほど、ヒグレの脳内に不安要素が溢れ出る。


「人間の因縁か。ただの偶然か……闇深そうな世界だな。面倒くさ」

「こら、ヒグレ」


 溜息交じりに本音が漏れ出るヒグレは、カルネアに軽く怒られる。

 メイドルーツは「君は正直だねぇ」と呟きながら言葉を続ける。


「だが、私たちにしかこの務めは果たせぬよ。誰かがやらないといけない」


 メイドルーツは揺らしていた椅子を止め、肘掛けを使って頬杖を突いた。


魔狩人まがりびとの仕事はおもに魔物討伐と世界の維持だ。壊れた世界は創世の力を失い、新たな世界が生まれることはなくなった。残った世界を存続させていくためにも、湧き続ける魔物を駆除していく必要がある。我々にできることはかぎられている。やれることはやっていかないと。まあ、結局のところは君の判断に任せるのだがね」


 誰かがやらないといけない。ごもっともな話であるとヒグレは思う。


 魔物を放置すれば壁に映し出されている緑一色も一瞬にして灰色へと変わる。それは阻止しなくてはいけない。残ったものだけでも守らないと。それに魔狩人まがりびとのヒグレは断る気はない。頼られたし、仕事だし、と割り切っている。


「そうだな。この依頼は受けることにする。だから何人か声をかけてくれないか?」

「すでに手配している。君とは長い付き合いだからね。あとはいつもどおりに」


 最初から依頼を許諾すること見越してたのかのように手が回っていた。


「準備が良いことで。それじゃ――」

「武器、だよな。ヒグレ」


 声が聞こえたと同時に、ドアを勢いよく開けて見知った顔の男が侵入してきた。その男は荒々しく遠慮のない足音を鳴らして、テーブルの書物や小物を薙ぎ払って荷物を置いた。


「やあ、ヴェルド。君は相変わらずだね」

「お前もお前で元気そうだな。ガーーーーハッハッハッハッハ!」


 ヴェルドと呼ばれた男は豪快に笑った。

 身長はヒグレより高く、がっしりとした体つき。癖のある色素の薄い黒髪。ロングコートとソフトハットで着飾った服装。中年らしく老けた顔にサングラスをかけている男だ。


「ヴェルド? どうしてここに?」

「決まってんだろ。前に頼まれてたのを作ってきてやったぜ。ヒグレ」


 ヒグレもよく知っている、というより世話になっている男は口角を上げる。


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