第2話 馳せる思い
廃墟と化した要塞都市。
人々から忘れ去られた場所。大陸のどの位置にあるかも不明で、分厚い壁は遥か遠い昔の名残である。都市内の家屋は半壊し、苔むした石造りの建造物を突き破って木が生え、繁茂する草花が風の力を借りて揺られている。
そんな都市、要塞の上で座って眠る男がいた。
黒を基調とした
頭部には、目元がぱっくりと開いたような、西洋の兜と似せた形状の兜を被っている。
そして、男の横に武器一式が据えている。
「ヒグレ、起きて」
身内の声の主に肩を叩かれ、ヒグレと呼ばれた男は浅い眠りから目覚める。
横には誰もいない。本当なら肩を叩いた女性がそこにいるのだが、姿はない。
察したヒグレは一息つき、ずっと手に持っていた冷え切ったコーヒーを飲み干し、気怠い体をほぐしながら立ち上がり、風が吹く要塞を歩き始めた。
「風が気持ち良いね」
背後から少女の声が聞こえた。
「危ないから出て来るな、って毎回言ってるだろ」
ヒグレは振り返ることはせず、平坦な声で後ろの少女に注意する。
「安全だとわかってるから出てきたんだよ。ちょっとくらいなら良いでしょ? ずっと不可視化状態でいるの退屈なんだもん」
「仮にも〝
「精霊人でも直に風を感じたいよ。せっかく遠い土地に来たんだから」
一番魔物に襲われたら危ない人物の発言とは思えず、注意する気も失せたヒグレは溜息交じりに歩く。彼女も後ろに続きながら要塞の内側を眺める。
「ここも魔物にやられちゃったんだよね。どんな町だったのかな」
「かつては交易が盛んだった都市らしい」
「どんな暮らしをしてたんだろうね。笑顔で溢れていたのかな?」
「消えてしまったからわからん」
少女の言葉に都市の素性に興味のないヒグレは素っ気なく返す。
「魔物さえ出なければ普通に街中を歩けたのかな。こんな町がいくつも、ほかの異世界にまで広がってるなんて考えたくないね」
二人の会話は淡泊で、悲愴を感じているにしてはどこか乾いていた。
「考えなくても、今もどこかで増えてるさ。こんな景色が」
「冷たい言いかただね」
「手が届かないと知って無意味に伸ばす奴はいない。それに俺たちは救世主じゃない」
「そうだね」
少女は短くそう言った。声もどこか物寂しげというよりも平然として、ありのままの現状を受け入れている様子で廃墟の都市を眺めている。
「私が生まれる前から続く魔狩りの物語。世界の崩壊後も、生き残った世界は魔物の脅威に晒されてる。誰も思わなかったよ。厄災が形を変えてやってくるなんてさ」
「だな」
「ほんと、気が遠くなる話だよね。それが手の届かないところでも起きてるんだから。今も誰かが物語の一ページを綴ってる」
「作家にでもなりそうな口ぶりだな」
「それもいいかもね。ヒグレは異世界モノは嫌いじゃないでしょ?」
「まあな」
異なる次元に存在する世界を、異世界という、漫画でも小説でもファンタジー作品には必ずと言っていいほど登場する言葉だ。ヒグレのいる世界も、その一つと言っていい。
ただヒグレの知る異世界とは違っていることは、少女が話したようにどの世界も壊れていること。太古の昔に起きた〝世界の崩壊〟がすべての始まりとされる。
なにが起きたかは、知る者は少ない。
「ヒグレなら、すごい物語を綴っていきそうだね。世界を救う大作になりそう」
その言葉にヒグレは少しの間だけ空を仰いだ。
「どうだかな。強い目的があって
「自分のこと責めちゃダメだよ。君の悪いところだよ」
その言葉にヒグレは答えず、襟首に触れる。
「夜通し魔物を狩り尽くしたもんね。みんなを弔うために」
「俺はそんなんじゃない」
「はいはい。わかってます」
会話をしている間に、シスターが住んでいた教会跡地へと赴いていた。廃墟と化して人工物を緑が浸食していても、ここに人がいた、という生活感が漂っていた。
重い足取りでヒグレは敷地内に入った。草花の緑が映える石畳は、次第に引きずられ、飛び散り、広がったシスターたちの真新しい血で描かれた、凄惨なものへと移り変わる。
血まみれの半開きの大扉から横に逸れ、彼女たちがいる前に立った。
「
「逃げた。彼女たちを置いて」
「そっか。酷いね」
「手を合わせてやってくれ」
シスターもまた、
初めてヒグレが出会った頃から気にかけていたが、悲惨な結果で終わった。
簡素な十字架の前に一つの小さな骨壺。ヒグレは屈んで人数分の線香を上げ、手を合わせる。それに倣って少女も手を合わせた。
束の間の沈黙。小鳥の囀りが聞こえる環境は非常に穏やかな世界が広がっていた。昨晩の出来事が嘘だったかのように、確かな平穏が存在していた。
「帰ろう。みんながいるところに」
墓参りを終えたヒグレは線香の火を消し、目の前の小さな骨壺を大事に抱えた。
忘れ去られているような世界にはいさせない。これからヒグレが連れていくところは組織が所有する墓地。仲間が眠っている場所だ。
ヒグレは、もう二度と来ることのない教会跡地を一瞥してその場を後にする。
しばらく苔むした石畳の道を歩いていると、人と黒い物体が融合したような化物が体を引きずってヒグレたちに向かってきた。
「タ……助、けて…………オ願い、しマぅ……」
その化物は喉から絞り出すように助けを求めてきた。
恐ろしい存在なのは胴体から膨張した黒い物体を見たら明白だが、人の部分は見知っていたこともあってか、ヒグレたちは大して驚きもしなかった。
「あっ、逃げたのに帰ってきたね。生きてたんだ」
「八割がた死んでるようなもんだけどな」
逃亡した
そもそも、あまり仲良くはなかったこともあり、関心のない相手がどうなろうと、どうでもよかった。それに、シスターの件もあって同情の余地がない。
「たす、けて……」
「……簡単に言うんだな、それ。お前の思い人が一番叫んだだろうに」
魔物となったモノに、ヒグレが抱く感情は怒りを通り越して呆れだった。ヒグレは重い溜息をつきながら、隣にいる少女に視線を送る。
「お前は観客席に戻ったらどうなんだ?」
「うん。そうする。彼女たちは私が預かっておくね」
「頼む」
少女は骨壺を受け取り、後方へ下がると同時に姿を消した。
「ホント、世の中どう転ぶかわからないよな。でもまあ、ちょうど八つ当たりしたい気分だったんだ。憂さ晴らしくらいにはなるかな」
ヒグレは獲物を引き抜き、魔物となった同胞に飛び蹴りを入れた。
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