第6話 狐落とし 前編

「実莉……!」


 見つけた後、藤田が一目散に少女に駆け寄る。少女は土筆に吠えられ、怖がっているのか頭を抱えたままピクリとも動かない。

 藤田が土筆を抱きかかえ、やがて吠えるのも収まると、やっと俯いていた顔を上げて見る。


「……ぁ」


 実莉と呼ばれた少女は藤田と抱えている犬を見て、そして市禾と正文の二人へと交互に視線を映す。

 まるで敵意を顕にしているかのように思える、ギーっと吊り上がった瞳。服装も派手で露出が高く、へそ出しの赤いシャツにホットパンツを着用していた。

 これだけで判断するにはまだ早いが、反抗期真っ只中の不良といったような、第一印象は良く思えないような外見だ。


「……こんな所にクソ犬を置いてどっか行きやがったと思ったら、なにそいつら。どういうつもり?」


 無言のまま立ち上がり、自分の祖父であろう藤田に向き直す。なにか喋ったかと思いきや、圧を感じるようなトーンの低い声で問い詰めてくる。


「み、実莉……そんな口の悪いことを言わんでくれ……」

「なんで? あたし、ここ嫌いって言ったよね。なんで?」

「そ、それは……」


 藤田は詰め寄ってくる孫にたじろいでしまう。元々温和な人物だと知ってはいたが、その甘さが仇となってしまっているようだ。特に孫相手に強く出れないのだろう。

 心做しか実莉の目がますます吊り上がっているように見えてくる。

 

「御二方、それまでに――」

「うるさいなあ!!」


 見ていられなくなったのか、正文が一歩踏み出す。しかし、すぐに凄みを効かせたような声を出して押し戻されてしまう。あからさまに機嫌を悪くしているが、それは『孫と祖父としての問題』を邪魔されたとかではなく、単に嫌っているような雰囲気だ。


「どいつもこいつも……」


 凄んだあとに小言を呟き、またも再開して詰め寄るのかと思いきや、突然ふらっと生気が無くなったかのように雰囲気が変わる。

 爪をガリガリと噛み始め、目の焦点が合わなくなる。よくよく見てみれば、深爪になっている上に指がボロボロで、癖になっているのだろう。

 すっかり縮こまってしまった藤田は勿論のこと、市禾は恐怖心を抱いてしまっていた。


「お、お父さん……」

「……気を抜くな。『こいつら』は精神の弱い者を狙う。こんなので怖がっていたら、こいつらの思う壷だ」


 正文が一歩踏み出して実莉に近づく。大人しくなった所を捕まえるようで、仕事着の袖口の中に手を入れては袂落としを引きずり出しては、何かを一枚取り出す。



――――瞬間



「アアァァァァァァァァ!!!!」


 突然金切り声をあげる。虚ろだった瞳がかっと見開き、発狂したかのように振る舞われる。髪を掻き乱し始め、喉が枯れるのではないかと思うくらいの声量だ。耳が痛くなる。

 正文も驚いたようで、ポトッと手に持っていた物を落としてしまった。それを見てみれば、『靭夜神社』と狼が書かれた御札であった。


「大人しくしてくれ……!」

「死んじゃう! 嫌! 誰か助けて! おじいちゃん!」


 怪我をしかねないと思ったのか、正文が実莉を羽交い締めにして止める。荒々しい掻き方で何本か抜けてしまったのだろう、実莉の手には長い髪が数本纏っていた。

 誰かに助けを求めるその姿は、先程までの精神異常者でなく、唯の少女のように思える。発狂してしまったのは、恐らく御札に対する拒絶反応のようだ。


「実莉……!?」

「騙されないでください! 市禾、その札をこの子に貼り付けてくれ!」

「は、はい!!」


 藤田は助けを求める孫の声に反応するも、正文に止められてしまう。

 大声を上げて暴れ出す実莉を必死に止めながら、市禾に協力を要請する。傍から見てもその構図は異常で、成人男性である正文を簡単に振りほどきそうな程、実莉の方が力が強い様子。止めるのに必死で拾いに行く余裕もないのだろう。

 市禾は金切り声によって足が竦んでしまっていたが、父からの声により我に返ると落とした札を拾って実莉の胸元に貼った。


「イヤ……ァ……あ……」


 貼られた瞬間に、全身が脱力して気絶してしまった。市禾も正文も、大人しくなった目の前の少女を見て胸を撫で下ろす。


「み、実莉!!実莉は大丈夫なのか!?」


 気絶してしまった孫に咄嗟に駆け寄ってくる藤田。頬や腕に手を添え、心配しているような素振りを見せる。


「お狗様の札です。退治した訳ではありませんので、また目が覚めると先程のようにはなるでしょう」

「そ、そうか。こ、これからお祓いをしてくれるんだな!?」

「ええ、こちらに」


 藤田は老体ゆえに実莉を抱えることは出来ないため、代わりに正文が背負って境内に向かって歩き始める。

 市禾も藤田もその後を着いていき、長い長い階段を上がっていく。




「ま、孫は……実莉は……本当はあんな子じゃないんだ……」


 登っている途中で、藤田がポツリと呟く。


「儂が何か買ってあげようとしても謙虚に断るし、儂の肩を叩いてくれるいい子なんだ……それが、ある日突然、あんなふうに変わってしまって……。他の人に迷惑をかけるわ門限を破ってまで夜な夜な外に行っているわで……」


 続けてゆっくりと話す。とても可愛い孫だと思っていたからこそ、未だに現実を受け止め切れていない様子だ。

 正文と市禾は、それを静かに聞きながら共に歩を進めていた。


「……今日来たのは、儂が昨日神社に行った事で実莉が怒ってしまったんだ。さっきのを見て分かるとおり、実莉は此処を嫌っておる。だから来ないように……」

「だからそれで……」


 よく考えてみれば、市禾は確かに早朝で常連である藤田をよく見かけるのに対し、ここ最近は見なかったような気がした。時期的にやはり、孫が狐憑きの症例が出てきてからなのだろう。


「そのうち治る、と考えたのが浅はかだった。もっと早めに来ていれば……」

「しようもない事です。神職である私が言うのもなんですが、お祓いを考える事は多くないでしょう。だがその中でこうして相談して、来てくださった。その信頼に、私たちは力を尽くすだけです」


 話しているうちに後悔が出てきてしまったのか、俯いて声色が震えている。それに対し前を歩いていく正文が、宥めるように声を掛ける。

 このご時世、お祓いを行事的な物と見て興味が沸く人は多いだろうが、真に受ける人自体は少ない。いくら孫が可笑しくなったとはいえ、周りからも大袈裟だなと感じられるだろう。その中でも治る事を期待し、相談に来てくれたのは大きな信頼の証だ。そう正文は考えているのである。


「……ありがとう」


 心が少しでも軽くなったのか、俯いていた頭を上げる。気づけば目前に階段の終わりが見える。鳥居を通れば、すぐに拝殿だ。



――――



 市禾と正文は除霊のお祓い準備に専念していた。

 実莉から追い払った狐にまた乗っ取られないよう、藤田とは境内に居ながらも離れさせ、拝殿の中を使って儀式をする。中には相変わらず気絶したままの実莉もいた。


 一度市禾は山駆け修行による土のついた白衣から、白い小袖と緋袴の巫女装束へと着替える。曰く、「穢れがあるとすぐに取り込むから」だそう。そうでなかったとしても、汗だらけで気持ちが悪いので着替えられられて良かった。


 用意する物は、米、清酒、塩、水といった、一般的な祈祷に使用する物と変わらない。ただ、他と違うのは弓と破魔矢も数本用意している事だ。

 扉には結界として作用する札を何枚か貼っており、中からは出られないような仕組みにしている。


「いいか、除霊は気をしっかり保たなければならない。さっきも言ったが、憑き物は心の弱い者に取り憑く存在だ。たとえ何か唆されたとしても、真に受けないように」

「はい」


 用意を済ませ、父子で会話する。

 市禾は初めての除霊で、内心緊張ではち切れそうになっているが、それを表に出さないようにして精一杯だった。何より、除霊時には完全に隠し通さなければならないのが、一番難しく感じるのではないだろうか。


「…………」

「……? どうかしましたか?」

「いや、なんでもない。油断しないように」

「は、はい。行ってきます」


 緊張しているのがバレたのか、冷や汗をかきながら無言になった父に声を掛ける。何か言いかけそうにしていたが、それを言うことはなく再び注意をされてしまう。


 深く呼吸をして、扉を開けて中に入る。中には実莉という少女と、狐と、市禾の三人のみ。大人が居ないだけでこうも不安になってしまうものかとビクビクとしながら、扉を閉めた――――。

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