第2話

言い訳の盆踊り


 盆踊りがあるというので、ハナちゃんからお誘いが来ました。妊婦なので激しい運度は無理でしょうが、夜にお出かけするのは気分転換にきっといいはずですし、絶好の言い訳ともなります。ハナちゃんの旦那様、清様は心配と見て、車での送迎を申し出てくれましたので、お言葉に甘えました。運転手付きの車でハナちゃんが我が家の平家の前まで迎えに来てくださいました。後部座席で二人で座り、少し大きくなったお腹を触らせて頂きました。


「本当に夜に出かけるなんて久しぶりで」


「えぇ。私もハナちゃんと出かけるというお墨付きで許してもらえましたもの」


 二人は車の中でもはしゃいでしまいます。夏休みの間、私は宿題をきっちりこなして、教員になろうと意志を固めて勉強しておりました、と報告しました。


「きっとユキちゃんならいい先生になれるわ」


「そうでしょうか。勉強の面では不安はございませんけれども…。表に立つようなことをしたことが…」


「あら、じゃあ、新学期はユキちゃんが学級委員になればいいわ」


 ハナちゃんの言うことは本当に驚きです。こんな私が学級委員になるなんて、と怖気付きます。


「今のうちに、教壇に立つ練習をしておいたら、きっと大丈夫よ。今は皆さん、いい学友ですから」


「できますでしょうか」と聞いて、学級委員が務まらないような人間が、教員になれるわけない、と思い返し、私はハナちゃんのその提案に挑戦することにしようと思いました。


「大丈夫よ。私ができたんだから…」


 にっこり笑ってくれるハナちゃんのいう通りにやってみようと思います。


「挑戦してみます」


 我が事のように喜んでくれるハナちゃんに私は何のお返しができるのだろうか、と少し思い悩みました。会場に付くと、運転手さんが「九時にお迎えにあがります」と言って、去って行った。


「九時に…」とハナちゃんは呟きます。


 時刻は六時半です。二時間半という時間は私たちには風のように通り過ぎていく時間です。大きな公園の盆踊りの会場には人がもうたくさん集まっていました。屋台も出ております。それでも私はハナちゃんの袖を少し引いて、人混みから離れて、公園の隅のベンチに誘いました。

 ハナちゃんはきっと盆踊りではなく、私と話がしたくて、こんなお誘いをしたのだと、分かっていたからです。車の中では無理にはしゃいだようにしておりましたが、きっと何か私に吐露したい思いがあるのだと、手紙を読んだ時から気づいておりました。


「ハナちゃん…。少しお話ししましょうか?」


「えぇ…。ユキちゃん。もう本当にお腹に子どももいるのに…。私、誰かに聞いてもらわないと…辛くて。旦那様の前では決して泣けなかったから…」


「あの方が…」


「そうなの。亡くなられたの」と言って、手で顔を覆いました。


 最後に会った時はもう大分悪かったと私も聞きましたし、そんな予感がしました。しばらく私はハナちゃんが落ち着くまで背中をさすっておきます。なんという言葉をかけていいのか、あんなに読書をしているのに、どの本の台詞も思いつきません。


「ユキちゃん…ごめんね。こんなことで…呼び出して」


「いいえ。泣ける場所になれるのなら、嬉しいですわ」


「いつもいつも…。でももうこれで本当に最後だから」


「えぇ…。ですからゆっくり泣いてください」


 しばらく辛い涙を流していらしたけれど、ハンカチで涙を拭って、私に言いました。


「ねぇ…死んだら会えるかしら?」


「そんな…」と私は息を飲みました。


「そうよね。変なことを言って、ごめんなさい。お腹に大切な赤ちゃんもいるのだけれど、堪らなく会いたくて…。一目でいいの」


 どうかその願いを叶えて差し上げたいと思いました。私はゆっくりハナちゃんの目を見て言います。


「きっと死んだら、お会いになれます」


 ハナちゃんの目に何とも言えない煌めきを見た気がします。


「ですが、それはお楽しみに取っておかれたらどうでしょうか」


「お楽しみに?」


「はい。いつか、お会いできる時までのお楽しみに…。きっと今行っても、その方、ハナちゃんに会ってくれないと思います。たくさんの思い出を抱えて、お会いになられたら良いかと」


「たくさんの思い出…。そうですわね。そうでなければ…きっと叱られてしまいますわね。…それに今は…恋人とお会いしていらっしゃいますね。では…ゆっくり参ります。ごめんなさいね。変なお話」


「いいえ。誰にも言えないことを…言って、気持ちが楽になるのなら…」


「ユキちゃん…本当にいい先生になるわ。私…だと思い付かないもの」


「じゃあ、私がもしそう言ったら、ハナちゃんはどうお答えになるのですか?」と聞くと、目をくるくると動かして考えられておりました。


「死んでは…いけません…でしょうか。ありきたりで…。でも私もユキちゃんには死んで欲しくありません」と言って、学級委員長としての答えですねと少し自嘲のような笑顔を見せられました。


「…死ぬことはそんなに悪いことじゃないと…私は思います」


「え?」


「いろんなことから解放されますから…。でも…その前に生まれてきたことの意味をもう少し分かってから…と思っております」


 私が言うとハナちゃんは感心したようにため息を吐かれました。


「生まれてきたことの…」


「えぇ。遅かれ早かれ、どんな貧乏人でも、金持ちでも死だけは平等に訪れます。その時まで…焦らずに自分の人生の意味を見つけたいと思っております」


「まぁ…。ユキちゃんって…」


「変でしょうか?」


「いいえ。とっても立派で…。女性にしておくのは勿体無い気がしました」


「あら、そうです。私も実はそう思っておりました」


 そう言うと、ハナちゃんが明るく笑うので、私も笑いました。そして、あの方がハナちゃんに会えたことが、生きた意味だと言ってくれた、と教えてくれました。とても素敵な話を私にこっそり教えてくださってので、何だか申し訳ない気持ちを少し持ちました。


「とても素敵な恋をされたのですね」


「えぇ…。本当に」と言って、ハナちゃんは空を見上げます。


 人が死んだら星になると言うのは気休めでしょうが、その綺麗な嘘が慰めにもなりましょう。


「また生まれ変わって…ってこともあるかもしれませんしね」と私は言いました。


「死んで会えて、また生まれ変わって…会えて…。そう思うと、少しも寂しくないのかもしれません」


「生まれ変わって…その時は好きな人同士で結婚できるといいですね」


「そんな時代が来るのかしら?」


 二人で空を見上げながら、遠くの未来を思います。


「では…私はユキちゃんと前世でも付き合っていたのかしら?」と不思議そうな顔で私を見ます。


「…そうかもしれませんけど…初めましてかもしれません」


「私ね…。ユキちゃんに声をかけたくて…かけたの」


 初めて聞く話に私は驚いて、ハナちゃんの顔を見ました。ハナちゃんはまだ空を見上げてらっしゃいます。


「静かにいつも本を読んでいらして…。私は体を動かすのが好きだから、とっても気になって…。ご迷惑かなって思いながら声をかけたの」


 クラスのリーダーシップを発揮するハナちゃんから声をかけられた時のことを今でも覚えています。心臓が跳ね上がりましたの。


「…あの…その本は…面白いのですか?」と突然言われて、私は驚きました。


「えぇ? あぁ、まあ、面白いの種類が違うかも知れませんけれど…」


「私は少女雑誌は好きなんですけれど」とハナちゃんが困ったような顔でおっしゃいました。


「私も少女雑誌は定期購入しております」と勢い込んで言いますと、ハナちゃんも喜んで話をしてくださいました。


 私は小説も好きですが、あの少女雑誌の挿絵も大好きで、色合い鮮やかなイラストは切り取って眺めていたりしておりました。そこから仲良くなれたと思います。不良少女が読むものだと言われておりましたが、女学生は買ってもらえなくとも、貸し借りして誰しもが手にとってました。私もハナちゃんも例外なく。女学生の憧れや夢が詰まっておりました。


「ユキちゃんが少女雑誌を読むなんて思ってもみなかったから、すごく嬉しくて」


「イラストも素敵ですし…」


「そうそう」


 夢しか詰まっていない雑誌、夢しか見たくない私たち…。その世界が次第に壊れていくのを感じておりました。ハナちゃんはもうその世界から出ております。お腹に赤ちゃんもいて、旦那様もいて…、やはりすごい方だと思います。そのようなことを言うと、ハナちゃんはそれよりも私や櫻子先輩がすごいと言ってくださいました。


「神戸で通訳されてるんですって」と櫻子先輩の近況を教えてくださいます。


「さすがですわ。女学校一の才女であらせられますもの」


「私も…何かの、誰かのお役に立ちたいと心の底では思ってますけれど…なかなか」


「旦那様のお役に立派に立ってるではありませんか」と私が言いますが、ハナちゃんは少し悲しそうに微笑みました。


「私は優しくして頂いているだけで…」


「そんなこと…。旦那様にできないことを立派にされてます」


「できないこと?」ときょとんとした顔で聞き返します。


「赤ちゃんを産むことは、どんなに旦那様が頑張ってもできることではありません」と言うと、少し想像して、二人で笑い出しました。


「本当ねぇ。旦那様は産むことはできませんわねぇ」


「えぇ。こればっかりはどんな努力をしても」


 笑い合って、しばらく落ち着いて、ようやく夜店を見たりしました。そして思った通り約束の時間はすぐにやってまいります。お迎えの車が来ておりました。私たちを見つけるとドアが開いて、旦那様まで降りてきました。


「仕事帰りがちょうどよかったので」と相変わらず清々しいお顔でいらっしゃいます。


 私たちは挨拶を交わしました。


「お疲れでなければ…アイスクリームでもご馳走しますよ」とおっしゃってくださいましたが、これ以上遅くなると、私の父の機嫌も悪くなりそうです。


 そう言って辞退させて頂きました。きっと私を家まで送り届けた後、夜のカフェに二人で行かれることでしょう。スマートにハナちゃんをエスコートする様が目に浮かびます。今日、私はハナちゃんに会えてよかったと思います。きっとこれでハナちゃんは恋を心に仕舞って、いいえ、時々は蓋を開けては眺めることもあるでしょうが、それでも前に進んでくださることと思います。


 私の家に車がつきました。辛い時はいつでも頼ってください、と心の中で言いながら別れの挨拶をします。

 そして私はハナちゃんに「学級委員に立候補してみます」と約束しました。


「ええ。必ずよ。今日は本当にありがとう」


 言外の意味が私には伝わります。悲しみが少しでも薄れたのなら…本当によかった、と思いながらお見送りをしました。黒い光沢のある車が夜の道を去って行きます。どうかどうかお幸せに、と私は願いながら、きっとあの旦那様ですから、と星に語りました。

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