第26話
春色の空
中田さんは自分で言った通り、掲載された記事で賞をもらった。私は特になんの賞をもらうことはなかったけれど、穏やかに過ぎていって、クリスマスを中崎家とママで過ごして、年末年始をパパの実家で過ごした。ママのお腹は立派になって、もういつ生まれてもいいと言われているらしい。
「足がむくんでるー。歩くと痛いー」とママが言うから、私とパパはおろおろしていた。
陣痛というものがいつ来るのか、どんな感じなのか分からなくて、みんながそわそわしていた。出産予定日前後に合わせてパパも仕事の調整をしているけれど、そうは言っても長期で休みを取る訳にもいかない。
「ママ、学校に連絡してね。私、すぐに戻ってくるから」と言うけれど、ママは「コトちゃんはお勉強、頑張って」と言う。
毎日毎日、そう言って、家を出る。こうしている間に陣痛がくるんじゃないかと不安になる。光君にも陣痛がいつくるのか分からないらしい。中田さんは「満月の日とか、台風の日とか気圧の変化で生まれやすいんだって」と教えてくれた。
「満月かぁ」と私はいつが満月になるのかチェックしたりしていた。
その日はすごく寒くて、雲が厚く空を覆っていた。
「雪になるかも知れないね」と私は光君に言う。
「うん。そうだね。降ったら…積もりそうだね」
そんな風に二人で空を見上げた。一年近くで光君はさらに背が伸びた。
「コトちゃん…。今日かな」
「え?」
「多分、今日生まれる気がする」
その瞬間、私は不思議と曇り空がキラキラした気がした。
「そう…なの?」
「多分ね」と言う横顔を見ていると、雪がちらちらと落ちて来た。
「あ、雪」
雪が朝日に反射していたのだろうか。不思議な気持ちで眺めた。きらきらと世界を彩るような雪だった。
そしてその日、終わりのホームルーム後に私は担任の先生に呼ばれ、ママが出産したことを教えられた。
「え…。生まれたんですか?」
「生まれたそうよ。今は病院でお父さんがいらっしゃるみたいだけど…お父さんがすぐにお家の方に戻るらしいわ」と私に教えてくれた。
廊下で待っている光君に告げると、ほっとしたような顔で笑ってくれた。
「妹…。早く見たい」
光君の自転車があるから、私の家に二人で戻る。マンションの下で私は光君を見送っている時にパパの車が止まった。
「コト…乗って」
「うん。ママは大丈夫?」
「大分疲れてたけど…大丈夫だよ。コトが学校に行って、すぐに陣痛が来て、それでパパもたまたまいたから病院まで送っていって…」と状況を教えてくれる。
「わー。良かった。二人とも無事で」
「うん。あまり面会時間は長くないけど…」
「パパは見た? 可愛かった?」
「うん。可愛かった。…コトの時のことを思い出したよ」
「私の時?」
「うん。小さくて、こんなに小さいから怖くて。大切にしないとって」とパパは言う。
「ちゃんと大切にしてくれて、ありがとう」と私は言った。
生まれて来た妹もきっと幸せにしようと私も誓った。
赤ちゃんは私が想像していたよりも小さくて驚いた。部屋に置かれた赤ちゃんのベッドからママがそっと抱き上げた。
「ママ…こんなに小さいの?」
「そうみたい。ママも…びっくり」と言うから何だかおかしかった。
「名前決めてってパパに言ったんだけど」
ママはパパを見た。
「ちょっとじっくり考えるよ」
「今夜から雪がすごく積もるみたいだから、明日は来なくてもいいからね。病院でゆっくりさせてもらうし」とママが言う。
「でも…」と言ったものの、ママが「パパには退院後、助けてもらわないと…だし」と言った。
「ママ、痛かった?」と私が訊くと「うん。でも…同じくらい赤ちゃんも頑張ってるって思ったから」と言う。
小さな命を不思議な気持ちで眺める。ママの腕の中ですやすや眠っている。
「…私の…妹」
「そう。コトちゃんの…妹。よろしくね」とママが言う。
少し複雑で、幸せな気持ちになった。
病室の窓に白い雪が流れて行く。
その晩は記録的な大雪で、学校も休校になるほどだった。せっかく休校だからママの病院に行きたいと思ったけれど、すごい雪で行けそうになかった。光君と灯君とビデオ通話をして出産のことを話した。
「へぇ。写真見せて」と灯君に言われて、写真を送る。
二人とも私と同じようにその小ささにびっくりしていた。
「しかしすごいなぁ。きらきらしてる」と灯君が言う。
「本当に眩しいくらいきらきらしてる」と光君も言った。
「妹が?」
「うん。生まれたてだから特にね」と灯君は言った。
妹が褒められると嬉しいのとちょっとうらやましい気持ちにもなる。今日は中崎家のご両親も自宅待機になったらしく、家にいて、十子さんが赤ちゃんの写真を見に来た。
「あー、可愛い。まつげがくるんってしてて。聖ちゃんに似てて美人さんになりそう」と十子さんが言う。
そしたら二人が
「まぁ、コトちゃんの次に可愛いと思う」と光君が言って、
「うん。コトちゃんのたれ目には負ける」と灯君が言った。
(嫉妬まで伝わるんだ)と気まずくなる。
十子さんは思わず「ふふふ。そうねぇ。コトちゃんは本当に可愛いもの」と言った。
(あぁ、十子さんにまで気を遣わせてしまった)
「あ、いえ」と言っていると、今度は中崎さんまでビデオ通話に入ってきた。
「うんうん。美人と可愛いとタイプが違って。俺は可愛い方が好きだから…十子ちゃんを選んだし」と言ってくる。
私は何て返せばいいのか分からなくなって曖昧に笑った。少し場違いした発言が、私の気持ちを和らげる。親子で似ているなと思いながら、ビデオ通話を終えた。
そうして私はその大雪の日、新しい命に湧いていて、小さなニュースに気が付かなかった。パパは名前を考えることに気を取られていたし、ママも新生児のお世話を病院で習ったりと、私たち家族は何一つそのことを知らないまま過ごした。
ただ灯君と光君は大雪の午後に、ベランダに出て空を眺めたそうだ。
その日、私に向かって叫んだ人とそして自分の子どものことも自分のことも記憶が無くなった女性が雪に埋もれて亡くなった。高速道路の下の小さな橋の下で、男性が年老いた女性に覆いかぶさるようにして、亡くなっていたそうだ。ようやく捜し出した母を守るように。彼の記憶にあった、優しい記憶を再現したのか、二人重なって発見された。
特に大きな話題になることもなくひっそりと二人は処理をされた。
「でも…すぐに上がっていったよ」と光君が言う。
「そう。僕らに…ありがとうを伝えて欲しいって」と灯君も言った。
春。中崎家とママとそして私の妹、沙良ちゃんとお花見に来ていた。パパは仕事が終わりしだい合流すると言っていた。シートを広げてお弁当を持ち寄って食べたり、話しをしたりしている。
「ちょっとあっちの方の桜を見よう」と双子の二人に誘われて、シートから離れていた。
公園を缶を集めている浮浪者の人が横切って行った。それでふと私はあの人を思い出したのだ。私だけじゃなく、双子も同時に同じことを思い出したようで、話してくれた。
公園の桜が満開で、陽気な空気が溢れている中で、私は哀しい終わりを聞いて立ち尽くした。
「でも…感謝してたよ」
「ありがとう? ママに?」
「ううん。コトちゃんに」と光君が言う。
「私? 私何もしてない。怖くて、震えてただけで」
「あの時、僕を避けずに真っ直ぐ歩いて来てくれて、君なら気持ちを分かってくれるって思って…。でも伝え方が分からなかったって」と灯君が説明してくれた。
「…そんな…私…本当に何もできなかったし」
「でも嬉しかったみたい。コトちゃんだけが、知らないふりもしなかったから」と光君が言ってくれたけど、もっと何かできなかったか、と私は悔やんだ。
「後、コトちゃんとお母さんを見て、やっぱりお母さんに会いたくなったんだって。だから探すことができたって。それもありがとうって」と灯君が伝える。
「そんな」と私は首を横に振った。
「でも今は何も辛いことなく過ごしてるから。お母さんも一緒に…」と光君が空を見上げながら言う。
風が吹いて、桜がちらちら綺麗に舞い落ちる。
(お母さんは思い出したのだろうか)と上を向いた。
淡い桜の合間からさらに薄くて儚い空が見える。
「コトちゃん」
「好きだよ」
二人から言われた。
告白じゃない。
私を慰めてくれる最大限の優しい気持ちだ。
「うん。私も…大好き」
そう言ったら、二人がお互いを見合っていた。
「どっち?」
(あれ? 慰めてくれたんじゃないの?)
二人がにじりよるから
「どっちも」と答えて、私はみんなが座っているシートの方に慌てて戻った。
私が慌てて戻ったのを見て、沙良ちゃんが声を上げて笑い出す。
「笑った」とみんなの笑顔を誘った。
双子もその笑顔でうっかり表情が柔らかくなる。
遠くでパパが手を振るのが見えた。風が吹いて、桜の花が散りながら通り過ぎる。ママたちは慌ててお弁当の蓋をする。
パパが来て、何となく居心地の悪さを感じた私たちはもう一度、ぶらぶら散歩することにした。パパはイケメン二人を必要以上に警戒するから、面倒に感じてしまう。ちょっとなんて言うか…私も思春期でパパが少し苦手になった。心配されなくても、大丈夫だと何度言っても、心配するから。
小さい頃みたいに私たちは両手を繋いで歩く。
来年はきっと沙良ちゃんも一緒に歩いている。
少しずつ変わって行く変化が明るい未来でありますように、と私は祈った。
「あ、りんご飴売ってる」と光君が言うから、みんなで買いに行く。
それをカットしてもらって、三人でベンチに腰かけて食べた。甘くてさわやかな香りが広がった。
「あの…どちらが好きかって…本当にどっちも同じくらい好きで…ごめん。優柔不断で愛想つかしてくれていいから」と私は思い切って言う。
りんごを噛む音がすぐ両横でする。
「いつか」
「選んで」
耳のすぐ側で言われて、もうどっちが言ったのか区別つかない。私はりんご飴以上に顔が赤くなっているはずだ。両頬に唇が押し付けられた。
「もう」と私が怒っているのに、二人はにこにこしていた。
「大好きだよ」
「コトちゃん」
何度も繰り返される。返事ができなくて困ると言うのに、と思いながら、私は二人の頬にキスをした。
「あー、光が先だったから、今度は僕から」
「俺の方が長くいるから」と言い合いを始める。
私は二人の口にカットされたりんご飴を放り込んだ。
「二人とも好きなの。今はまだ決められないの。本当にごめんなさい」
二人が黙って頷いた。
そう。何だかかんだと私が困っていると、二人は無理強いしない。いつか答えを出す日が来るのか分からないけれど、今、正直な気持ちはそうだし、恋人というのが分からないのも本当だ。
でも幸せなのは確かだ。
「ありがとう。大好きだよ」と二人に向かって言う。
風もないのに、目の前に桜の花びらが落ちて来た。私はそれを両手で受けた。愛し愛される人がいる幸せを感じながら、そっと両手で包み込む。遠くの未来で私はどういう決断をするのか分からないし、そもそも二人が違う人を好きになるかも知れない。それでもずっと仲良くいられたらいいな、と願いを込めて、息を吹き込んだ。
空はぼんやりした水色で移ろいやすい。
両脇に優しい温かさを感じながら、明るい未来と自分を信じることに決めた。
~終わり~
うつろう虹 かにりよ @caniliyo
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