第16話
忘れられない後悔
スーパーに光君と一緒に買い物に出かける。
「何しよう? 何が食べたい?」と聞くと、光君がカートを押しながら、何だか顔を赤くしていた。
「…なんでも…いいけど」
「どうかしたの?」
制服で買い物しているから、目立つのが嫌なのかな、と思いながら、私は食後に食べる梨をカゴに入れた。ママが果物が食べたいって言ってたから、季節の果物、梨を選んだ。
「食べたいもの、何でもいいの?」ともう一度聞くと、顔を逸らされてしまった。
「うん」と言われたので、何がいいかなぁ、と思いながら玉ねぎを入れる。
「簡単なハンバーグでもいい?」
「え? 美味しそう」とようやくこっちを見てくれた。
「じゃあ、ひき肉買おう」と肉コーナーに行く。
私は楽しい気持ちで買い物を済ませてレジに並ぶ。順番が来たら、光君がカートからカゴをキャッシャー台に乗せ換えてくれた。
「ありがとう」
「うん」と返事はするものの、相変わらず目を合わさない。
よくわからないまま買い物を済ませて、スーパーから出ると、全部、荷物を持っていてくれたから「私も半分持つよ」と言っても持たせてくれない。
「どうしたの? なんか…変だった? ハンバーグ嫌?」と聞くと、首を横に振った。
「…なんか、コトちゃんとご飯の買い物って…夫婦みたいだなって思ったら…恥ずかしくなって」と言う。
(恋人飛び越えて、夫婦?)と私は目を大きくしたが、そう思うと恥ずかしくなる気持ちが分からなくない。
「あ。あぁ…そっか。…ちょっと…恥ずかしいね」と私も俯いた。
「うん。なんか…でも…いいなぁって」
そんなことを言うから、私は荷物を半分持つことにした。私は袋の持ち手の反対側を掴んだ。
「二人で持とう」と言うと、光君が少し驚いたように、でも持ち手を半分分けてくれた。
「灯君に連絡した?」
「うん。帰りに寄るって」
「じゃあ、ハンバーグたくさん作ろう」と言うと、光君は笑顔で頷いてくれた。
きらきらしてる。
空気も笑顔も、と私は眩しくて目を細めた。
ママがいそいそと準備を始めて、私は光君とハンバーグの具材の用意をした。
「光君、荷物ありがとうね」とママが言うから、半分は私が持ったことを伝えてくれる。
ハンバーグを捏ねて成型する。
「今日はたくさん焼くからオーブン使いましょう」とママが鉄板を出してくれたから、そこに並べた。
「調理実習みたい」と私が言うと「そうね。毎週、来てくれたら楽しいのに」とママが言う。
「そうそう。ママ、あのね…二〇三の笹原さんって知ってる?」
「笹原さん? んー。あまり分からないけど? どうしたの?」
「あのね。そこのお祖母ちゃんが…」
「あ、いつもにこにこしてらっしゃる人? 手押し車押して」
「そうそう。ママ知ってるの?」
「その人が笹原さんって分からなかったけど、最近、よく見かけるのよ」
「そうなの? その人の娘さんが…認知症だからって飛び出してきて」
「…そうなの? 私には普通に挨拶してっただけで」とママは不思議そうに言った。
私はさっきあったことを説明して、八時半には表に出てみようと思うと言ったことを話した。
「そう? じゃあ、ママも行こうかなぁ。ご挨拶もしたいし」
「うん」
そうして準備していると先にパパが帰ってきた。パパは光君が挨拶すると、少し困ったような笑顔で挨拶を返した。
「パパ、先に食べて、お風呂入っちゃって。後から灯君も来るから」とママが言うと、不承不承と言う顔で席に座る。
「パパなんで不機嫌なの?」と私が訊くと「不機嫌じゃないよ」と口を尖らして言うから、ママを見ると小さな声で「やきもち焼いてるだけだから」と教えてくれた。
「それ、私と光君で作ったんだけど? おいしい?」とパパの顔を覗き込んだら、変な顔をする。
「パパのハンバーグには負けるけど…」と私は続けた。
「…おいしいよ」と仏頂面で言うから「今度一緒に作ろう」と光君に言う。
「え? そうなんですか? おじさん、ハンバーグ得意なんですか。今度、教えてくださ」と光君も会話に入ってきた。
「…え。あ、うん」と視線が落ちていく。
「パパのは大きくて、本当に美味しいから」とママが言うと、そのまま顔を赤くした。
「…まぁ、これもおいしいから」とパパが呟いた。
ママはにっこり笑って「どっちもおいしいけど、私はパパの作ってくれるのが好き」と言うから、さらにパパは困った顔で笑った。
パパがお風呂に入ってる間に、灯君が家に来てくれた。
「灯君、ご飯食べよう。お腹空いたー」と私は玄関まで迎えに出る。
「お邪魔します。ごめん、待たせて」と謝られてしまう。
私は二人で作ったハンバーグだと言いながら、灯君をテーブルまで案内した。
「おかえり」とママが言うから、不思議そうな顔で「お邪魔します」と灯君が言う。
光君はみんなのお茶を入れてくれていた。
「で、今度は何?」と灯君は光君に聞く。
「認知症のおばあさんがコトちゃんのことを赤ちゃんだって言うんだけど」と光君が端的に話をする。
「…赤ちゃん?」
「私を見て、月にいた赤ちゃんが戻って来たって」
「ふーん」と言って、席に着いた。
「私とおばあさんって…何か関係ある?」
「ないよ」と即答した。
「じゃあ、誰にでも言ってることなの?」
「多分ね。まぁ、女の子? 特定だろうけどね」と言いながら「お腹空いてるんじゃないの? 食べよう」と言った。
私たちはもちろんお腹空いていたから、慌てて席について「いただきます」とみんなで言った。
「あー、美味しい。二人で作ったの?」と灯君は美味しそうにもりもり食べてくれる。
「そう。よかったぁ」と喜ぶと光君も嬉しそうだった。
「またいつでも来てね。毎日でもいいんだけど」とママは言う。
それを聞いて、灯君は笑った。
「本当に聖ちゃんは人が好きなんだね」
「うーん。たくさんの人が集まるの嬉しいじゃない」と言いながら、にこにこしている。
そして食事の時間が終わって、のんびりしていたら、八時半近くなったから、外に出た。パパだけお留守番することになった。
マンションの下に出ると月が明るく光っていた。灯君はじっと月を見ている。おばあさんは出てこなかったけれど、私がマンションを見上げると、二階のベランダにおばあさんがいて、月を眺めていた。
「あ、灯君…あの人」
「うん。そうだね…。家族には言えないことだから…」
「え?」
「若い頃に恋をして、産んであげられない女の子がいたんだ。その子のことを、ずっと忘れられないんだと思う。認知症になって…ずっと隠してた贖罪の気持ちが出たんだよ。結婚して、子供を産んで育てて生活しながら、あの子も生んであげられれば良かったって、ずっと後悔してたその気持ちを隠して」と灯君は言った。
「…赤ちゃんのことだけ忘れられなかったの?」
「そうだね。その他は幸せだったんじゃないかな」と優しい横顔で月を見ている。
「その赤ちゃんは…どうしてるの?」とお節介ながら聞いてみた。
「分からないけど。別におばあさんのところにいないし、特に恨んでるわけでもなくて…。もう違う人のところで生まれてるかもね」と灯君が呟いた。
「そう…なの?」
「赤ちゃんとか、子供とか…。すごく綺麗な魂だから、意外とあっさり許してくれる。成長するにしたがって、欲が出たり、人を恨んだりするから。何なんだろうね?」と私に訊いた。
私には分からないけれど…とおばあさんのいるベランダを見ると、こっちに手を振っていたから、思わず頭を下げた。
「じゃ、帰ろうか」と灯君は光君に言う。
光君の自転車に自分の鞄も載せた。
「送っていく。ママもいるし」と私は二人に言う。
ママも運動しなきゃだし、と言ってくれた。
もう一度、ベランダを振り返ると、娘さんがおばあさんの肩を抱いて、部屋に迎え入れていた。私たちは散歩がてら光君たちの家に向かう。
サラリーマンの男性が電柱で立ち止まっていた。もしかして…そこで用を足すのでは、と思って、私は見ないようにしたのに、灯君がじっと見ている。
「灯君?」と言うと「大きなレットリバーの霊が」と言った。
「え?」と思わず光君が聞き返した。
「レットリバー? ってソーマ?」と私も聞き返した。
「ソーマ? めっちゃ尻尾振ってる」と灯君が呟きながら笑う。
私はそのサラリーマンに声をかけた。
「こんばんは」と言うと、驚いた顔でこっちを見た。
渡辺さんに似ている。
「あの…もしかして…渡辺さんですか」と私は聞いた。
「え? どちら様で?」と几帳面な顔で聞かれた。
私は同じ中学の同級生だと言ったら、納得してくれた。
「娘とそっくりって言われるんですけど、娘は嫌がって」と淋しそうに笑う。
「あの…渡辺さんがソーマが亡くなったって落ち込んでて」
「ははは。そうなんです。あいつ…。本当にかわいいだけの…別に役に立つわけでもないのに…」と言って、俯いた。
「そうですか?」と灯君が言う。
「え?」
「ずっと散歩されてたんじゃないですか?」
「まぁ…。夜に家に入る前に散歩して、会社で嫌な事とかあっても、気分転換できたから。もういないのに…今日も一人で散歩してしまって。この電柱で必ず用を足してたなって」と渡辺さんのお父さんは愛おしそうに眺める。
「すぐそばにいますよ」と灯君が言った。
「え?」
「なんだか、すごく嬉しそうな顔してますけど。亡くなった自覚ないみたいだな」と言った。
「え? あ…今…ふわっと」と驚いている。
灯君は「彼の好物、骨型の好きなおやつあげて、亡くなったんだよって教えてあげてください」と言った。
「なん…で。知って…」と灯君をじっと見た。
「まぁ、そういうことってあるんです。左側に…いつもと同じようにいて、おやつの話したから、すごい勢いで尻尾振ってます」
「はあ…ばかだなあ」と言いながら、渡辺さんのお父さんは少し鼻をすすった。
私たちは渡辺さんのお父さんと別れて、そしてまた家まで歩いた。
「光も、コトちゃんもあの人のことも気になってたんだろ?」と灯君が言う。
「…え? あ、うん。でもまさか会うなんて」と私は言い訳をする。
「いや、コトちゃんが気にはしてるけど、灯に悪いって言ってて」
「いいよ。あの犬、すごい喜んでるし。俺、動物好きだし。ついでに二人とも好きだから。遠慮しなくていい」
「ついでって」と光君が言う。
「ありがとう」と私は微笑んだ。
二人をマンションまで送ると、十子さんが降りてきた。ケーキをくれる。
「わー。ありがとうございます」と私が言うと、ママは「こんなのことしなくていいの。私が嬉しくて呼んだんだから。一週間に三回くらい来てもらっても…本当は毎日でもいいの」と言うから、みんなが笑った。
「本当に助かります」と十子さんは言う。
共働きだから、ご飯を用意するのも大変そうだ。
「本当に毎日来てくれたら、私も嬉しい」と言うと、みんなが笑った。
そして私はママと二人と赤ちゃんと三人で月が綺麗な夜道を帰った。
「パパに感謝しなきゃね」とママが言うから「どうして?」と聞いた。
「何不自由なく、赤ちゃんを産むことができて、コトちゃんたちと一緒に過ごせて…」と言った。
私は月を見上げる。あそこに帰ったんだ、と言い聞かせていたあのおばあさんの若い頃の気持ちを想うと辛くなる。私はママに少し体をくっつけて「うん」と言った。
静かな夜に私は柔らかい体温を感じながら、幸せと淋しさも同じだと思った。
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