第15話

月夜の約束


 久しぶりに会う友達はみんなほんのりこんがりしてる。私もすこし焦げた肌を見る。


「コトちゃん、久しぶりー」と渡辺さんに抱き着かれた。


「わー。久しぶりー」と言いながら、私は抱きしめ返した。


 元気だった? と聞いたら、応えずにずっと私を抱きしめる。


「渡辺さん? どうかした?」


「…うん」


 くぐもった声が聞こえた。どうしたのかな、と思いながらそのまま待っていると「ソーマがなくなったの」と言った。


「ソーマ?」


 そう言えば、渡辺さんが飼っていた犬の名前だったと思い出した。


「うん。夏…暑い日に」と言うから、私は渡辺さんの背中を撫でた。


「そっか。淋しいね」


 たしかすごく大きいゴールデンレトリバーだったはず。写真を前に見せてもらったことがある。


「私が小さい頃に…家に来て、すごく嬉しかったのを今でも覚えてる。姉弟みたいに緒に育ったから」と渡辺さんが言う。


「それは哀しいね」と言うと、渡辺さんは私の体を勢いよく離して


「それなのに、お父さんはあんまり世話もしなかったし、淋しくないみたいで、みんなが泣いてたら怒るんだよ?」と言った。


「えー」


「ひどくない? もう、お父さんなんて大嫌い」と渡辺さんは顔を横に向けた。


 そんな話をして予鈴ぎりぎりに中田さんが入って来た。


「…わー。二学期始まったやばーい」と言いながら席に着く。


 それぞれの夏休みをすごして、また二学期会えたのは嬉しかった。でも大切な友人を失った渡辺さんの心が癒されるといいな、と思いながら私は席に戻った。



 みんなと帰りながら、いろいろ話をする。光君も一緒だった。


「それで悲しくて」と渡辺さんはみんなにソーマが亡くなった話をした。


「そっかぁ」とみんなが同情しながら、中田さんが「弟が飼っているカブトムシが死んだ」と言うと、それと同列には語って欲しくないと渡辺さんが言う。


「まぁ、そうだよね。私、少しも悲しくなかったし。ごめん。カブトムシは意思疎通できないし」と何だか分からないこと言うから、渡辺さんは笑いながら「私もなんかごめん」と言った。


「まぁ、そんなに哀しんだら、ソーマも心配するんじゃねぇの?」と光君が言う。


「え?」


「俺がソーマだったらそう思うから」


 なるほどなぁと思いながら私は光君の横を歩いた。


「心配してでもいいから、戻って来て欲しいよ」と渡辺さんが言った。


 その時、私はその気持ちもすごく分かるとどっちの意見も正しいと思いながら、何かかけてあげられる言葉を探した。


「ゆっくり元気になって」


 そんな言葉しか言えなかった。それでも涙を目に浮かべて頷いてくれる。


 渡辺さんと中田さんと別れて、光君は私の家までいつも送ってくれる。朝も自転車で迎えに来てくれて、自転車をそのまま置いて、一緒に行く。


「なんか…力になれたらいいんだけど」と私は光君に言うと「仕方ないよ。それぞれ一人で乗り越えないと…だめなことってあるし」と光君は言った。


「まぁ、そうなんだけど…」


「コトちゃんは優しいなぁ…」と光君が言う。


「そうかな。支えてあげたいと思うんだけど、私はソーマ君の代わりにはなれないし…」


「ソーマがどうしてるか、灯に聞いてみる?」


「うーん。でも灯君に負担かけるのも悪い気がして」


「…まぁ、俺が見えたらいいんだけど」と光君は落ち込んだ。


「光君は見えても見えなくてもいいと思う」


「え?」


「どっちでも私は好きだから」


 私は光君のことを最近少しずつ分かって来た気がする。渚さんのことも、彼女のお母さんに会った時は分からないのにいい人だって言ってあげた優しさと賢さを知れた。渚さんが実際のナギーだと分かった時は


「あいつ、結構、自己中心的なプレーをするやつなんだよ」と怒っていたけれど。


 でもあれ以来、ナギーは少し周りを見るようになったって言ってた。


「コトちゃんの好きって、友達以上?」


 そう聞かれて、私は困った。まだ恋人っていうカテゴリーが分からない。


「それはよく分からないけど、尊敬するところが増えて来てる」


「そ、尊敬?」と光君が驚いた。


 そんな話をしていると、私のマンションからおばあさんが手押し車を押しながら出て来た。何だか歌を歌っている。


「ねんねこ、ねんねこ」と子守歌のようだ。


「こんにちは」と私は頭を下げた。


「…こんにちは。私の赤ちゃん」とじっと顔を見られた。


「え?」と思わず聞き返してしまった。


「…赤ちゃん。月に行ってる間にこんなに大きくなったのね」と私の方に手を伸ばそうとする。


 私は驚いて、少し後ろに下がると、間に光君が入ってくれた。


「彼女はあなたの赤ちゃんじゃないよ」とゆっくり言い聞かせるように言ってくれた。


「…赤ちゃんじゃないの? じゃあ、まだ月にいる? また夜中に来なきゃねぇ」と言うから、なんて返事したらいいのか分からない。


「どこの部屋の人? 送ってあげるから、帰ろう」と光君は親切に申し出た。


「…赤ちゃんのところ? じゃあ、約束だよ。今晩、八時半に、ここで。月が昇ってるでしょう?」と言ってる時に、マンションから娘さんなのかいい年をした女性が飛び出してきた。


「お母さん」と呼びかけると振り向く。


「あの…」と私たちは声をかけると、疲れたような顔でこっちを見た。


「ご迷惑をかけたかしら?」とその女性がひどくしわがれた声で言う。 


「いいえ。あの…私もここのマンションの住人で五〇一号室の川上です」と私が言うと「私は二〇三号室の笹原です。お母さん、痴ほうが入ってて」とため息をついた。


「家まで送ろうと思ってて」と光君が言う。


「まあ…ご丁寧に」と言って「お母さん」と手押し車を方向転換させる。


 その二人の背中を見送りながら、


「今晩…また出てくるのかな」と私は光君に聞いた。


「八時半かあ…。灯…連れて来ようか」と光君は言った。


「あ、じゃあ、うちでご飯食べたら? ママに聞いてみる。私がご飯作るの手伝うから、二人とも食べて行って」と言うと「いいのかな? 俺も一緒に作っていい?」と言ってくれる。


「もちろん。嬉しい。…ところで灯君、痴ほうの人のことも分かるの?」


「さあね?」


 私は灯君の迷惑じゃないといいけど、と思いながら、でもあのおばあさんが気にかかってしまって、今晩、ご飯をみんなで食べるというついでに八時半にここに降りてきたらいいと思った。ママに言うと大喜びされて、さっそく光君たちのママにも連絡していた。

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