第14話
友達
私にはさっぱり見えないけれど、光君はずるずると座り込んでしまった。
「…なんなわけ?」
「とりあえず、中央病院に来てって」と灯君が言う。
「…こんなに重くていけるわけ…」と言うと、ふと顔が上がった。
次の瞬間「分かった分かったから」と光君が叫んだ。
どうやら、あの女の子は乗ったり、降りたりしているらしい。行かなければ、乗るということらしい。
「一つ、疑問なんだけど、灯じゃ駄目なの? 同じ顔なのに」と光君が聞く。
「…うーん。駄目だって」と灯君が答えるけれど、それが本当にその女の子が言ってるのかは分からない。
「なんで?」と聞くけど、灯君は首を傾げるだけだった。
「早く行かないと面会時間が終わるよ?」と灯君が言う。
「面会なんて、知り合いでもないのに、行けるわけ…」
「友達のフリして、お母さんと会ってだって」
「はぁ?」と言ったものの、光君は行くことになった。
「あの…私は行ってもいいの?」と灯君に聞くと「どっちでもいいって」と言われた。
私の存在を否定するでもなく、肯定するでもなく…、でも私も一緒に行くことにした。光君が辛そうだったから。
「お花を買って来て欲しいんだって。えっとひまわり?」
「あー、なんてわがままなんだ。ってか、なんで俺が」と言いながら、光君は立ち上がった。
「じゃあ、行ってらっしゃーい。あ、自転車の方がいいよ。俺の自転車、コトちゃん使いな」と灯君に鍵をもらって見送られる。
二人で自転車に乗って、病院まで目指した。暑くて、少しふらふらしそうだったけど、途中でひまわりの花を買って、病院まで急ぐ。あの「なぎさ」と呼ばれていた女の子は浮かんで付いてきているのだろうか、と思うと不思議な気持ちになった。
病院の入り口には「家族の方以外の面会はお断り」と書かれている。
「どーするんだ、これ」と光君は困ったように言う。
「家族のフリするしかなくない?」
「まぁ、そうだな」と言って、名前を知らないことに気が付く。
灯君に電話しようとしたら、メッセージで中森渚と名前が送られてきた。
「すごいねぇ」と私は感心してスマホを覗き込む。
「じゃあ…演技するか」と光君は受付で、慌てた演技をして「姉が、姉が倒れたって」と言って、見事、受付を突破した。私は恋人で慌てて付いて来たという説明をして病室には入らないで、と念を押された。
二人で六階までエレベーターで昇る。
「意識不明…だったら、会えないけど、素直に帰ってくれるのかな?」と私は聞くと光君にもそれは分からないと言った。
まぁ、それはそうだ。
とにかくお母さんにお花を渡すミッションさえ終えられれば何とかなる気がして、私たちは病室を目指した。
中森渚というネームプレートを見つける。個室だった。ドアを開けていいのか悩んで、ノックすると、小さくドアが開いた。お互い初対面だから仕方ないが、びっくりしてしまう。
「あの…」
「どなた?」
それはそうだ。
「渚さんが倒れた…と」
「渚の友達?」
「まぁ、そういうところです」
「渚の? 本当に渚の友達?」
(そこまで繰り返されると、嘘を吐けなくなる)と苦しくなって光君を見たら、光君も固まっている。
とは言え…本当のことを言って、
「実は、ファーストフード店で食事をしていたら、お嬢さんが倒れて、それでそのお嬢さんの意識に憑りつかれて、ここまで来ました」と説明したって信じてもらえないだろう。
「あのこれ、渚さんに」と光君はそれに答えずに花束を渡した。
「まぁ、渚の好きなひまわり」と驚いている。
そしてふと淋しそうな顔で「意識が戻らなくて…」と呟いた。
「…病気をお持ちだったんですか?」
「…あなた、いつの友達なの? あ、ごめんなさい。お見舞いに来てくださったのに…」とお母さんは休憩室に私たちを誘った。
一面窓で明るい休憩室にはいくつかのテーブルとイス、壁に自販機が置かれている。そこでカルピスを二つ買ってくれて、私たちに渡してくれた。
「渚に友達なんて、いるはずないの」
私たちはどうしていいのか分からずにお互いを見た。
「あの子はいじめられて、学校に行けなくなったから。病気は…てんかんを持ってるのよ。学校で発作が起きて、その様子がおかしいっていじめられて…」とお母さんは深く息を吐いた。
「…そんな」と私は思わず口に出してしまった。
「今日はね。幼馴染の女の子と久しぶりに出かけたのよ。嬉しそうだった…」
あの駆け寄っていた女の子。
「そしたら、その奈緒ちゃんが泣きながら電話くれて。いつもだったらすぐに意識が戻るのに…。どうして…」
渚さんのお母さんはやつれていた。それは今だけのことじゃない。いじめられて学校に行けなくなった時間が短くないことを語っている。
「意識が戻って欲しいって思うのは…あの子にとって残酷なのかしらね」と呟いた。
「そんなことないはずです」と私は思わず言ってしまった。
渚さんのお母さんは不思議そうな顔をこっちに向けた。
不思議だった。どうして私たちがお母さんに会わなければいけないのか。ひまわりの花を持っていかなくてはいけなかったのか。私のこともどっちでもいいと行くことを許可したのか。
きっとお母さんにお友達に愛されている自分を見せたかった――。
光君はため息をついて言った。
「ネットゲームで知り合ったんです」
「え?」
「お互い、顔も見たことない、事情も分からない。でも一緒に同じ敵を倒したりしていくうちに、相手のこと、攻撃、防御の仕方で、何となくその人となりが分かってくるんです。渚さんは突っ走るタイプでしたけど…でも仲間を見捨てることは一度ももしなかった」
私は光君の横顔を見ている。少しも嘘をついているようには見えなかった。
「ゲームのお友達だったの?」とお母さんは驚いた。
「はい。今は…顔も名前も何も知らなくても、遠い場所でも…毎日会話して、友達になれるんです。ゲーム上のチャットで連絡が来て」
「え? あの子から?」
「まさか意識不明だとは…」と光君は驚いたように言った。
「それで? 病院に来られたの?」
そこからは本当の話だ。
「ひまわりを持って、お母さんに会いに来て欲しいって」と言って、灯君がくれたメールの名前、中森渚というメッセージを見せた。
「双子の兄なんですけど…チャットに来てたって」
「…渚の…名前。そ…そんなことって…」とお母さんは驚いている。
「きっとお母さんを心配してるんだと思うんです。意識は、戻ると思います」と言いながら、ひまわりの花束を渡す。
「…あ、ありがとうございます。あの子に…友達が」
「元気になったら、またゲームしようって…お伝えください」と光君が言った時、看護婦さんが「お母さん、渚さん、意識戻りましたよ」と呼びかけに来た。
私たちに頭を下げて、お母さんは慌てて病室に戻って行った。
病院から出て、私たちは自転車を漕いでマンションに戻る。光君の背中が少し大きく見える。上手く嘘を吐いたと思った。その嘘は罪じゃない。もし罪なら、私も同罪になっていい。
「光君」と私は後ろから声をかける。
「何?」
「恰好良かった」
光君が何か言ったと思うけど、私には聞こえなかった。
マンションに着くと、灯君が「お疲れ様」と言って、スイカを切って出してくれた。
「つかれたー」
「それって、憑かれたってこと?」と灯君が聞く。
「いや、違う、絶対違う」とソファに倒れ込む。
「灯君、全部分かってたの?」と私が訊くと「ううん。分かるわけない。なんで、俺じゃなくて、光だったのかも分からない」と首を横に振った。
「ただ…何か繋がりがあるのかなって思った」
「繋がり?」と聞き返した時、光君がスマホを見て「は? まじか? 嘘だろ?」と大声で言う。
「なに、どうしたの?」と私は光君の側に行って、スマホを覗き込む。
ゲームのチャットに『今日はありがとう』とナギーという名前で書き込みがあった。
「え? そんな」
「ナギーって…あいつだったのかー」と叫んでいる。
ナギーというキャラクターは緑色の肌で、筋骨隆々とした男性キャラクターで、葉巻を食わえ、強そうな笑顔を浮かべている。
「あぁ、やっぱり繋がりがあったんだ。だから顔が同じでも駄目なわけだ」と笑っている。
私は嘘じゃなくなってほっとしつつ、何だかおかしくなって笑ってしまった。
『また一緒に狩りに行こう』
しっかり友達だったなんて。世の中は広いようで狭い。
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