第11話

友達でいたい


 梅雨が終わり、暑さが本格的になってきた頃、ママのつわりは消えた。


「コトちゃん。今日はねぇ、何でも食べれる気がする」と突然言われた。


「そうなの?」


「うん。だからコトちゃんの好きなコロッケを作ってまってるね」と確かに顔色も良さそうだった。


「ありがとう。ママ。じゃあ、行ってきます」と言って、私は鞄を持って玄関に向かう。


 今日も光君が下で待っていてくれた。


「おはよう」と言うとそれだけで嬉しそうに微笑んでくれる。


「おはよう。暑いなぁ」


「うん。暑いね。日陰通って行こう」と私たちは並んで歩いた。


「聖ちゃん、具合はどう?」


「うん。今日は調子いいみたいだから、ちょっとほっとした」


「偉いよなぁ。コトちゃん、聖ちゃんの代わりにご飯作ったりして…」と褒めてくれる。


「ううん。大したもの作ってないの。でも…ありがとう。そう言ってくれるの嬉しい」と私が言うと、光君はなぜか恥ずかしそうに笑う。


「光君って将来の夢とかある?」


「夢? コトちゃんと一緒に暮らす」と即答するから、噴出してしまう。


 私たちがどうなるかは分からないけれど、一緒にいれたらいいな、と思いながら歩いた。毎日、光君と登校していると、嫌なことを言う人がいなくなっていった。

 


 穏やかな日常が繰り返される。



 夏休みは家族で近場に旅行できたし、私は光君と映画を見に行ったりして、灯君も誘って三人で夏祭りも出かけた。中田さんと渡辺さんの家にお泊り会も楽しかった。



 夏休み残すところ一週間で残った宿題を片付けようと光君の家に行った。私は殆どできていて、後は税についての作文を書くだけだったけど、光君は国語や社会が残っていた。


「光君、頑張って。まだ間に合うと思うから」


「あぁ。国語も社会も面倒くさくて」とやる気を出せないようだった。


 家にいた灯君が「あのさ、コトちゃんと一緒の高校に行きたいなら、学年トップでいないと駄目だよ、光」と言う。


「え? 私、そんなに賢くないよ?」と慌てて否定するけれど「わーってる」と光君は宿題のプリントを始めた。


「コトちゃん、分からないところある?」と灯君が聞く。


「えっと、ちょっと数学とか」と言うと、教えてくれるし、すごく分かりやすい。


「僕がコトちゃん賢くしとくから、光も頑張れ」


「なんだよ、それ」と言いながら、ものすごい勢いでプリントを仕上げていく。


 税の作文は家ですることにして、私は灯君に一学期の復習と軽く二学期の予習をしてもらった。家庭教師のアルバイト代を払わなければいけないほどのクォリティになりそうだった。


 がつがつ宿題を減らしていた光君だけれど、途中で力尽きて


「アイス…買ってくる」と言った。


「行っておいで」とにこやかに送り出す灯君。


「私も行こうか?」と言うと「自転車でさっと行ってくるから」と出て行った。


 扉が閉まると「一人で体動かしたら、うんと気分転換できるみたいだから」と灯君が言う。


「そうなんだ」


 私はまだ知らないことばかりだ。


「光との付き合いで困ってることが何かあるの?」と突然聞かれた。


「ううん。何もないよ。優しいし…。でも…」


「でも?」と灯君が柔らかい表情でこっちを見ている。


「今までみたいなお付き合いだと…不満だったりするのかな?」


「まぁ、光も男だから、コトちゃんと触れ合いたいとは思うだろうけど、でも嫌だったら断ったらいいよ」


「嫌っていうか…。なんか怖いっていうか」


「どこまで考えてるかしらないけど」と灯君に言われて、私は顔が赤くなる。


「断ったって、光は絶対、コトちゃんのこと嫌いになったりしないから。むしろ、無理して合わせてってしちゃうと、きっとあいつは後で死ぬほど落ち込むから」


「うん。分かった。えっと、嫌な事は断る」


「それでいいよ。だって、シンプルだもん。コトちゃん好きしか頭にないから、もし無理させたなんて分かったら、自分で自分をぶん殴る勢いで頭おかしくなるよ。だからあいつのためにも無理しないで」


 灯君の説明は本当に分かりやすい。問題だけじゃなく。


 実は二人で映画館に行った時、手を繋いで映画を見ていたけど、ポップコーン食べるのに不便だったりして、離した方がいいのだけれど、それを言っていいのかすら悩んでしまって、言えなくて、ポップコーンも飲み物も消費されずに終わってしまった。キスだって興味がないわけじゃないけど、何だかそれをするとその先がまた近くなりそうで、いろいろ考えて困っていた。別に光君がと言う話ではないけれど、相談できる人もいなくて、一人で悶々と困っていた。


「恋人になって付き合うってどういうことなのかな」と灯君に聞いてみる。


「うーん。それ、彼女いない俺に聞く?」


「ごめん。分からなさ過ぎて。今までみたいに楽しいだけの時間に少し考えてしまう瞬間があったりして」


「いいじゃん。それで。悩んで…お互いを知っていって。光はシンプルだからコトちゃんが大好きでいるけど、コトちゃんは嫌なら振ってもいいんだし」と灯君が言う。


「え?」


「だって、コトちゃん、光に強引に言われて付き合ってるでしょ?」


「そんなことないよ。大好きだよ」


「まぁ、いろいろ悩んで、また分かんなくなったら、相談にのるから。気楽に考えなよ…っても無理か。光の馬鹿は結婚、結婚ってうるさいだろうし」


 灯君には言わなくても全部分かる。私が少し揺れてることも分かってしまう。


「結婚…もよく分かんなくて。でも嫌いじゃないし」


「分かってるよ。あいつに言っておこうか?」


「ううん。自分で…ちゃんと言えるから」


「偉い、偉い。きっとできるよ」と灯君が言ってくれると、なぜかできる気がして、肩の荷が軽くなった気がした。


「灯君、一緒にサンドイッチ作る? お昼にみんなで食べよう」


 私は鞄からパンとレタスとハムとエッグサラダを取り出す。レタスだけ洗って、後は挟むだけにしておいた。


「レタス洗ってくれる? 無農薬の野菜をママが用意してくれてて、ちょっと土がついてるかも」


「うん」と言って、シンクに行って、五分後に驚くような叫び声をあげる。


「どうしたの?」


「虫…。もにょもにょしてる…」と灯君が震えていた。


「あー、無農薬だから…。キッチンペーパーで」と言うと、灯君は涙を目に浮かべている。


 私が取ろうとすると、


「毒があるかも」と私の手を押さえた。


「多分、大丈夫だとは思うけど? じゃあ水攻めにする?」と言うと、今度は私を恐ろしいものを見る顔で見た。


「い…命だし」


「灯君。虫殺しちゃダメなタイプ?」


「…いや。そうじゃなくて。水攻めとか…ぐちゃっとかそういうのが…残酷で」


「じゃあ、外に逃がそうか?」


「そのプランで」


 結局、キッチンペーパーにそっと包んで、玄関に出る。下まで降りて、自転車置き場の近くの植え込みにそっと置いた。そうしていると、アイスを買って帰った光君と会う。自転車を慌てて、止めて植え込みまで戻ってきた。


「あれ? コトちゃん、何してるの?」


「虫が…」


「あー、灯が…」


「うん。そうなの」


「ごめん。迷惑かけちゃって」と光君が謝る。


「迷惑じゃないよ。もともとは私が持ってきたレタスだし…。灯君の意外な一面見れたし」


「コトちゃんは灯が好きなのかなって、ちょっと思ったりしたんだけど」と光君が言う。


「好きだけど、友達としてだよ? 話も面白いし」と言って、光君を見上げる。


 身長差が少しずつ開いてきたなぁと思っていると、ゆっくりそっと抱きしめられた。


「時々、不安になる」


 耳元でそう言われる。背中にアイスの入った袋が当たって冷たかった。


「不安になんか…」と言いかけた時、お互いの唇が一瞬、触れて離れていった。


 ファーストキスだった。


 夏の暑い昼下がり、多分、一瞬なのに背中だけが異様に冷たかったのを覚えてる。


 その後、気恥ずかしくて、灯君に会わせる顔がないと戻ったら、半泣きで二匹目の虫が出たと、玄関で私を待ちわびていた。そのおかげですっかり私は平静を取り戻し二匹目も同じように外に連れ出した。




 その帰り道、光君が私を送ってくれたけれど、自転車を押しているから手は繋がなかった。でも少し距離を感じるのは自転車のせいだけじゃない。ファーストキスをしたことが大きく響いている。陽射しが落ちているとはいえ、まだ熱さが空気に籠っている。


「暑いねぇ」と言いながらマンションの前までたどり着く。


「宿題…目途が付きそうでよかったね」と私は光君に言うと「コトちゃんのおかげかな。ありがとう」と言ってくれる。


「あの」


「あ」


 二人で同時に話だす。


「どうぞ」と私が譲ると、光君は「ごめん。なんか…ファーストキスなのに。あんな場所で」と頭を下げた。


「あ、びっくりした…けど。別に謝らなくて…大丈夫。えっとあの…その先はちょっとまだ準備ができてなくて。なんかもし…先までってなったら怖くて…。だったら…。あの…友達に戻りたい」と私は灯君に勇気をもらったから正直な気持ちを言った。


「え?」と光君が固まっている。


「嫌いじゃないの。好きなの。キスも嫌じゃなかったの。でも…恋人同士の付き合いが分からないの」


「あ…」


「ごめん。なんか…私」と胸が苦しくなる。


「こっちこそごめん。ごめん。本当に友達に戻ってもいいから、隣にいたい」


「私だって、一緒にいたい。ごめん。なんかすごいわがまま言って」


 それで私たちは何だか気まずいまま、自分たちの立ち位置があやふやになったまま家の前で別れた。私は光君の後ろ姿を眺める。空はまだ明るくて、日差しは緩くなっているが、湿度を含んだ空気は重かった。

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