第6話 宿屋と暗殺




 数分歩くと、ベッドの絵が描かれた看板がぶら下がっているのを発見した。

その2階建ての大きな宿屋に吸い込まれるように入った。


チークの木でできたほがらかな宿だった。

中央には、団欒だんらんができるソファーとテーブルがあり、正面奥には、会計場があるが、誰もいない。。

入って直ぐ真横に、壁に沿うようにしてL字型の2階へ続く階段があり、その階段の下、会計場の両横に一階の廊下が続いていた。


会計場で呼び鈴を鳴らすと、丸く太った髪の薄いおじさんが出てきた。


「何人?」

「1名です。」

「金貨1枚ね。」


交渉の余地は無かった。俺は金貨一枚を置いた。



「はい、これね。」


金貨を受け取ると、おじさんは「211」と彫られた鍵を置いた。


「こっちの左の階段の一番手前。

このロビーの真上が部屋の中で結構響くから、あまり足音を鳴らさないようにね。」

「はい。」


振り返って入口の方へ戻り、正面から見て右側の階段を登る。

登ってすぐ左に「211」と書かれた看板があった。

廊下は狭いのに、扉は外開きだった。

部屋に入る途端、例のストーカーが入店してきた。

やはりこちらを見ているような気がした。


部屋は無駄に広くて、入って右手前にコートツリーがあるのと、左の奥にベッドがあるくらいしか物が配置されていない。

ただ、通路を見下ろせる窓があるのは、とても良いと思った。


ベッドに体を倒すと窓から、向かいの屋根に半月が重なって見えた。



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体が冷えてきたのに、汗がずっと止まらない。

初めての任務。僕はどうしよもなく、体が震えてしまっていた。


(僕は今から、罪のない人を殺す。あんな、いい人を。

でもこれをやらないと、クビにされてしまうだろう。そうしたら……)


そう意義を反芻はんすうしていたら、宿屋からメンターのノクティス副隊長が出てきた。


「店のオーナーに話を付けてきた。

転生者が入っていった211の鍵を手に入れたんだが、そこはどうやら向かいの屋根から部屋の中が見えるらしい。一応見てみよう。」

「了解しました!」

夜なので、囁くように言った。


僕達は、風魔法陣が靴底に刻まれた靴【疾風の靴レフツライド】で跳躍し、向かいの屋根に着地した。


屋根からはなんと、十字窓の奥に、掛け布団が隆起りゅうきしているベッドが見えた。

事なきを得そうで安心した。


「いいか、お前がその弓矢であいつを射抜け。

俺はガラスが破れた音と同時に部屋に入り、ターゲットの息の根を必ず止め、回収する。いいな。」

「失礼ですが副隊長、自分も合流しなくて良いのでしょうか。」

「ああ。万が一、窓から脱出されたら大事になりかねない。それに……」

「それに?」

「ターゲットにはなるべく痛みを感じずに逝ってほしいんだ。」


てっきり、暗殺を生業なりわいにしている人は、キチガイしかいないと思っていたから、こういった信念を持っていることに驚いた。


「それにお前、傲慢だな。俺の助力になれると思うのか?」

「はい。すみません……」


そうだ。自分が万が一ミスを犯しても、ノクティス副隊長がやってくれる。

この人は、【疾風の靴レフツライド】を用いた微細な魔力コントロールにより、足音を完璧に消すことができ、なおかつ馬の速度を超える程の高速移動もできる。

それに、確実に短剣で急所を突き、必ず一撃で仕留めるという仕事ぶりによって、王から《静寂の牙サイレントファング》の2つ名を与えられている。

そんな心強い人が居ると思っていたら、体の震えが落ち着いてきた。


(最悪、あの窓さえ撃ち抜けばいい。)


「それじゃあ、俺は行く。万が一のため、店長との話も済ませないとだから。

俺が宿屋に入ったら30秒後に開始しろ。」

「はい!」

夜なので囁くように言った。



30秒が経った。


僕は弓に矢をセットした。

深呼吸をし、矢を弦に掛け、少しづつ力を入れて引く。

後は右指を離すだけとなったとき、十字窓であることを再認識してしまった。

万が一、その十字の木に当たったとき、窓ガラスが割れた音がするのだろうか。

構えた弓矢が震えているのは、怖いからか、力を入れ過ぎているのか分からない。

だが、矢先は絶対に標的から外さないよう、指で焦点を集中させた。


右指を楽にした。

解き放たれた矢は、確実な弧を描き、窓を割った。

同時に扉が開く<<ドン!!>>と音がして、僕は神に願うしかなかった。


しかし、撃つ瞬間、少し上に上がってしまった気がする。

十字窓の下半分にベッドが見えるのに、右上を射抜いてしまった。

貫いた矢が右上だったことで、窓の下半分が白く割れかけ、良く見えなくなってしまった。

「もう一度撃つべきか」悩んだが、副隊長に当たる可能性があるので止めた。


そんな反省をしていたが、静寂が訪れ、一向に副隊長が出てくる気配がしない。

流石のメンターと言えど、物音一つしないので、心配になって、地上へ降り、宿屋の扉を開いた。


宿主は目を見開いて怯えていた。

「211号室はどこですか!?」

僕は焦り始めていた。自分のせいだと思ったから。

「こちらの右手の一番手前です……」


僕はこの靴の跳躍で、右の二階に跳び、手前の211号室を開いた。

「開かない!?」と思ったら外開きだった。

思い切って開けると、扉の内側に血の滴る糸が首の高さにあった。

血によって何とか視認できたが、それがなければ注意していても気づくのは難しかっただろう。

暗い部屋の奥で丸い物が転がっていた。

その下を見ると、首から上の無い身体が横たわっていた。


「ヒィ……」


悲鳴を理性で押し殺した。

(そうだ、まだターゲットがいる。)

引き返すことなど出来なかった。

暗殺者は確かに人殺しの悪人だが、あの人の信念に少しだけ憧れてしまったから。


(誰かがやらなくちゃいけないんだ。)


短剣を握りしめ、血の滴る糸をくぐった。

矢は、やはり地面に突き刺さっていた。

ベッドに向かって、走り出した。

謝罪と憎悪ぞうおを込めて、相手を思い切り短剣で刺した。

皮を容易に貫通する触感がとても気色悪かった。



その途端、ドアが閉まる音がした。

嫌な予感がして振り返ると、血にまみれたターゲットが弓矢を構えて立っていた。

(あぁ、ごめん。帰れそうにないや。)

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