侵入者
和やかな場にそぐあわない悲鳴は、御苑の入口に近い席の妃嬪達から上がった。
何事かと顔色を変えながら翠媛がそちらへ眼差しを向けると、宴の席には相応しくない……武器を手にした男達が押し入ってきているではないか。
妃嬪達も侍女達も皆、悲鳴をあげて肩を寄せ合い震えている。
「皆、落ち着いて……! 無闇に行動しないで……!」
「護衛兵! 呆けている場合か! 慮外者達を速やかに捕縛せよ!」
高淑妃は蒼褪めながらも妃嬪達に落ち着くようにと声を張り上げ、楊徳妃は護衛の兵達を叱咤する。
だが、あまりにも相手の数が多い。
不埒な賊達を押し返そうとしているが、警備の兵たちが押されている。
確かに、元々後宮での催しということで配置できる兵士の数はそう多くなく。また、そこまで厳重な警備が敷かれていたわけではなかった。
皇帝の臨席があるからこそ護衛の兵は置かれているが、もともとは後宮での内輪の集まりのようなもの。ただ、妃達が集う催しであったからだ。
喜娘や侍女達に、逃げ惑う妃嬪達の避難を誘導するよう命じながら、翠媛は怪訝に思う――苦戦し過ぎだと。
そう、不意打ちを受けて動けない状態になっている者達が多数いるが、数があまりに多いのだ。
これだけの敵が大挙して押し寄せたなら、当然もっと騒ぎになるだろう。ここに至るまでに報せがもたらされているはずだ。
それなのに何故これだけの数が。後宮の外で警備をしている兵士たちをどうやって突破してきたのだ。
長閑だった空気はすっかり消え、御苑は怒号と悲鳴が飛び交う騒乱の場と化した。
劉景は自らも手にした剣を抜き放ち、翠媛を庇うようにして向かい立っていた。
「り……陛下、これは……」
事態が飲み込みきれずに、流石の翠媛も蒼褪めたまま中々言葉が出てこない。
狼狽えるあまり咄嗟に名を呼びかけたが、すんでのところで飲み込んで。掠れた呻き声にも似た問いを紡ぐので精一杯。
劉景は黒獣達にも敵の迎撃を命じ、皇帝の元まで辿り着いた敵を自ら迎え撃っている。
ただ守られることに歯がゆさを覚えている翠媛は、ふと落ち着いた足取りで何者かがこちらに歩んでくるのを視界の端に捉えた。
それは、一人の男だった。
涼やかな目鼻立ちに優男風の面立ち。風雅な身なりの男性が泰然とした空気をまといながら敵の間を通り過ぎ、翠媛を背に立つ劉景と対峙した。
男、はわざとらしいほど大仰な仕草で礼を取りながら、笑って見せた。
「我らが『鬼神』たる陛下。御寵愛の天女殿とお過ごしのところ、失礼いたします」
「……随分と笑えぬ演出だな、鄒王」
劉景の言葉に、思わず翠媛は目を瞬く。
鄒王の名には聞き覚えがある。そう、皇太后が意味ありげな接触をしているという、傍系皇族の名だ。
「ここがどのような場所かはお前とて知っているだろう」
「ええ、勿論。皇帝の為の花の園ですよ。もうじき、私の為のものとなる」
その場に居た者が思わず震えあがるほどに冴え冴えとした鋭い声音と眼差しを向けられても、鄒王は余裕を見せて笑っている。
鄒王の言葉を聞いた誰もが、脳裏に『謀反』という言葉を浮かべた。
何と恐ろしい、と人々は震える。あの『鬼神』に弓を引くなど何と言うこと、と。畏れはないのか、と表情を歪め、顔色を無くす。
翠媛は、皆とは違う理由で蒼褪めていた。
鄒王は、恐らく皇太后が劉景の代わりに皇帝にしようとしている男性だったはずだ。
つまり、この大規模な謀には、皇太后が。
それだけはあってほしくない、と悲痛なまでの思いを込めて皇太后の座していた方角を見つめる。
そこには、翠媛にも負けぬほどに顔色を無くした皇太后の姿があった。
「これは‥‥…。これは一体どういうことですか! 鄒王!」
「見た通りでございます、皇太后様。皇太后様の後ろ盾も大変魅力的ではありますが、迂遠でございました。故に、機を速めたまで」
信じられないものを見た、と言った風に立ち尽くすばかりだった皇太后は、ふと我に返ると険しい形相で鄒王へと叫ぶ。
答える鄒王は、あくまで笑みを崩さず、憎らしいばかりの余裕を以て応えた。
「このような真似をして……。皇帝に刃を向け、弑したとして。官や民がそなたの即位を認めるとでも思ったのですか……!」
蒼褪めながらも糾弾する言葉に、翠媛の心に僅かな安堵が生じる。
皇太后と鄒王の間に何があったのかは、詳細には分からない。けれど、少なくともこの襲撃に関して皇太后は関与していないということだから。
劉景の背も、僅かに強張りが和らいだように思える。
「民を偽りから救い、天意が誰にあるのか示すことが叶うならば」
ふてぶてしい笑みで皇太后に答えると、鄒王は天へと意を示そうというように手を高く上げる。
その直後、鄒王の仕草に応じるように有り得ざることが起きた。
何と、護衛の兵たちの間で同士討ちが始まったのだ。
味方と思っていた者達に背後から突如として襲い掛かられ、呻き声と共に武器を取り落とし、倒れ。護衛達はなすすべもなく無力化されていく。
それを見た劉景が凍り付いたのを感じながら、翠媛は思わず口元を手で押さえた。
違う、敵は入り込んできたのではない。……予め内側に忍び込んでいたのだ。
出入り商人を装わせ、宦官のふりをさせて。或いは女性の姿をとらせて、新参の宮女のふりをさせて。手段は様々だっただろう。
合図に従い行動を起こすその時まで、既に内側に潜んで機を待っていた。
そして、首謀者の指図を受け。外から踏み込んできた一団と呼応するように正体を現わして、護衛達に襲い掛かっている……。
「相手に付け入る隙を与えるな! 怪我人は速やかに退避させ、体勢を建て直せ!」
お前はここにいろ、と翠媛に短く告げると、劉景は自ら陣頭に立つ為に駆けだした。
呆然とする翠媛が声をかける間もあらばこそ。目の前では、いっそ鮮やかなまでの剣戟が繰り広げられた。
劉景は本心では戦いを厭う繊細な青年であるけれど、二つ名は全てがまったくの作り物ではない。彼の武勇は確かなものである。
見る者を圧倒するほどの剣裁きにて襲い来る敵を迎え撃ち、皇帝の剣を受けた敵は次々と地に伏していく。
剣が宙を裂く合間に鋭く飛ぶ指示に、護衛兵の乱れかけていた足並みが揃い、次第に賊を的確に分断していきながら迎え撃ち始めた。
鬼神という二つ名に違わぬ皇帝の戦いぶりに、狼狽していた護衛兵たちの士気が上がっていくのが分かる。
彼らは皇帝という確かな旗頭のもと、徐々に敵と味方とを見定め、本来の動きを取り戻していく。
黒獣達も宙空を出ては消え、消えては突如として現れながら、奮戦している。
獰猛な唸り声をあげる不可思議の獣達の前に、敵は次々と地に倒れ転がっていく。
確かに配置された護衛より敵の数は多く、不意を突かれた形で始まった戦いではあった。
だが、こちらには『鬼神』がいるのだと、戦う者達も、震え怯えていた妃嬪達も、瞳に少しずつ希望の色が見え始める。
迎撃する側の士気に比べて、襲撃した側に狼狽が見えるようになり。形勢が逆転しつつあると、その場の者達が思いかけたその時だった。
――剣を振るう劉景を注視し続けていた翠媛が、突如として息苦しさを感じたのは。
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