第5話 ほろ苦い飲み物と甘い会話
俺の手の中には苺ミルク。突然のトレードを言い渡され、成瀬は困惑を隠しきれない。そりゃそうだ。俺だって同じ立場なら戸惑う。
「いや、その、成瀬さん、今日明らかに寝不足っぽかったから、そんなときにコーヒー飲むのはあんまりよくないかな、って思うし。それに、これと悩んでるみたいだったから……」
普段話さないせいで、言い訳じみた言い方で、ついつい言葉が多くなってしまう。こういう時、涼川の流暢さが心底うらやましい。
「ああ、ありがとうございます」
成瀬は俺の意図が分かったのか、特に表情を変えぬまま、ぺこりとお辞儀をする。ヤバイ、ひょっとして余計なお世話だったか?と、嫌な予感が駆け巡るも、成瀬はそのまま言葉を紡ぐ。
「じゃあ、お言葉に甘えて交換させてもらってもいいですか?正直私も、今コーヒーを飲んでも意味がないかなって思っていたので」
という事は、午後の授業のために買ったわけじゃないのだろうか。まあ、今はそれより交換が第一だ。
「お、おう……。じゃあ、交換しよう」
一安心したのもつかも間、今度は手が触れないように神経をとがらせて、苺ミルクを渡す。
「あ、苺ミルクの方が高いですよね、私差額分払います……」
「いいよいいよ、俺からけしかけたんだし。そのくらい奢らせて」
俺が言うと、成瀬はふふっと笑う。
「じゃあ貸し1、ですね」
その笑顔は俺が今まで見ていた成瀬の人を寄せ付けない雰囲気とは異なり、非常に人懐っこい笑顔に見えた。俺が思っているより成瀬はとっつきやすい性格なのかもしれない。
成瀬の笑顔にほだされ、俺はつい余計なことを聞いてしまう。
「あのさ、成瀬さん」
「呼び捨てでいいですよ」
「じゃあ、成瀬。今日寝不足っぽかったけど、なにかあったの?」
「ああ、バレてましたか……」
「正直、バレバレ。」
はははと小さく笑う、成瀬も口元に手を当ててふふふと笑う。そして、ゆっくりと話し始めた。
「実は今日の放課後、憧れの人に会う用事があって。その人に会えると思うと嬉しくて、夜も眠れなくて……それで、お恥ずかしながらあんなことに」
「寝れなくなるって、そんなに大事な人なんだ」
「そりゃもちろん!」
何となく言ったその言葉に、成瀬は強く反応して、ググっと距離を近づけてくる。思わず俺が後ずさる。
「大事なんてもんじゃないです!なんて言うか、私の人生を作ってくれた人と言っても過言じゃないくらいの人なんです。その人がいなければ、今の私は多分ありません。その人と、今日初めて会えるんです……!」
勢いよく話始めたかと思うと、最終的にはかみしめるように話し終わった。その熱量と話し方に、俺は強い親近感みたいなものを覚えた。話し終わったら、成瀬はすすすと離れて行った。
「成瀬にそうやって思われて、その人は幸せ者だね」
「そ、そうですかね……」
「そうだよ、そんなに熱心なファンがいるなんて俺だったらすごい嬉しいよ。」
「神野君が……?」
「あーいや、例えば、例えばの話ね」
危ない危ない、成瀬は俺がラノベ作家だって知らないんだった。別に怪しまれはしないだろうが。
そこまで言って、俺はパスタ丸の存在を思い出した。彼女も俺の助けになりたいと言ってくれるほどに、ファンでいてくれてるのだ。デビュー作以降しばらく鳴かず飛ばずの俺がここまでやって来れたのには、彼女の影響も少なくない。そんな彼女を俺の都合で嫌厭するのは失礼なんじゃないか?
「神野君……?」
「ああ、ゴメン成瀬。ちょっと考え事してた」
最後に微笑み、成瀬は去ろうとする。
「そうですか……じゃあ、私はこれで。苺ミルク、ありがとうございます」
「いや、俺の方こそありがとう」
「神野君が何を感謝することがあるんですか?」
不思議そうにする成瀬。事情を説明するわけにはいかないので、端折って話す。
「いや、世の中には成瀬みたいな人もいるってこと、教えてくれたからさ」
「ふふ、何ですかそれ、変な神野君」
少しカッコつけすぎかと思ったが、成瀬は笑ってくれた。
お互いにさよならと言って、その場は分かれた。同じクラスだが、何となく一緒の方向に帰るのは気まずくて、成瀬と反対側の階段から帰ろうとする。いや、にしても何か忘れてるような……。
「よお、随分と購買混んでたみたいだな」
教室に戻ると、待ちくたびれた様子の涼川が待っていた。律儀に俺が返ってくるのを待ってくれていたらしく、弁当には手がついていない。とりあえず平謝りし、パンとコーヒーを机に置く。
「あれ、コーヒーなんて珍しいな」
「まあな」
少し得意げに涼川に言う。飲みなれないブラックコーヒーは苦かったが、今日は不思議と飲めたし、思考がクリアになっていく気がした。
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