4話 深窓の令嬢、生の喜びを得る。
「お嬢さん⁉ あの、起きてください!」
イマが崇拝行為を始めると、青年が大慌てでそう言う。しかし、コーゾ三号だ。聖なる崇拝物がそこにあるのに、身を起こせと言われてもできるはずがない。
「ありがたやありがたや……まさか生きてコーゾ三号をこの目に……ああ、もうこの世に思い残すことはございません」
「いえ、思い残してください⁉」
飲み物をくれた黒髪の青年は、ペペインと同じく素肌にコーゾ三号を身につけていた。夏なので寒くはないだろう。それにしてもうらやましい話だ。イブールに住んで町おこしに携わると、ペペインが遺した物を触れるだなんて……。
「……あの。わたしはレネ・フランセンと申します」
その名乗りへ「はい、先ほど司会者様がおっしゃいましたので、聞いておりましたわ。……もしや」とイマは返した。
「はい。――ペペイン・スリンゲルラントの、末裔です」
ペペインはその開拓の功を労われて、国から特別な姓を授与された。それが『フランセン』なのだ。
ペペインの血筋の人間がコーゾ三号を身に着ける……優勝。最高。ありがとう神様。さよなら世界。わたくしは安らかに参ります。いい人生だった。
イマの儚くなる心の準備ができたところで背後から「お嬢、なにやってるんです、こんなところで」と主治医ヨーズアの声が聞こえた。なんだか両手に美味しそうなものを持っている。
「ドク、いいところへ。わたくしそろそろ死にそうですの。あとはよろしくたのみます」
「いやいやいや、これまでで一番顔色いいじゃないですか。なに言ってるんです。しゃんとしてください」
「わたくしの部屋の鍵のかかった小箱に貴金属類が」
「どうなさいましたイマお嬢様。このヨーズアになんなりと」
馬車を呼んでもらい絶対安静で帰宅した。屋敷に着いてから、コーゾ三号を少し触らせてもらえばよかったとイマは地団駄を踏んだ。このままでは無念すぎて死ねない。そして、翌日。
「お嬢様、町役場からお手紙が」
「まあ、なにかしら」
健やかに眠りについたイマは、すっきりと目覚めたあとにメイドからその手紙を差し出された。差出人は町おこし振興課のレネ・フランセンとある。
ペペインの末裔から手紙をもらえた。ひとえに自分の日頃の行いがいいからだとイマは確信した。誰へ自慢すればいいのかわからなかったので、イマはヨーズアを叩き起こして自慢した。彼はものすごく興味がなさそうに「朝食は少なめで」とメイドへ言った。
そして、手紙の内容は次のようだった。
『イマお嬢様
突然手紙を差し上げる無礼をお許しください。昨日のペペイン杯では、わたしへの投票ありがとうございました。とても励みになりました。
ペペインのファンとおっしゃっていましたね。よろしければ当家で所蔵しているペペイン所縁の物をご覧に入れたく思います。普段は公開していない物ばかりです。もちろん、町役場でも見られません。
ご都合がよろしい日時をお知らせいただけましたら、それに合わせてお迎えにあがります。お返事いただけますと幸甚です。
(ちなみに、当家の屋敷はペペインが入植した当時に住んでいた家屋跡に建てております。庭には史跡として復元したペペイン邸を公開しております)
レネ・フランセン』
幸せが歩いてきた……! イマは高血圧になって死んでしまうと思った。ヨーズアはどこか遠くを見ていた。すべての食事を塩分控えめにするよう指示を出し、急いでイマは返事を書いた。まだ、死ねない……!
『レネ・フランセン様
素敵なお誘いありがとうございます。驚きと喜びで胸が張り裂けそうと思いました。
こちらはいつでも参れます。フランセン様のご都合に合わせて可及的速やかによろしくお願いいたします。とてもたのしみです。
イマ・ファン・レースト』
火急の用なのだ、悠長に郵便で出すなどと、まどろっこしくはしていられない。しっかりと封をした手紙を差し出し、イマは退屈そうに娯楽室のソファへ寝そべっていたヨーズアへ言った。
「ドク、町役場まで走って届けてくださいません?」
「――はあ? なんで俺が。いやですよ、他の人にやらせてください」
「昨日のお祭りでは受け取ってもらえなかった紙幣、使い道がないのだけれど」
「お任せください、イマお嬢様。このヨーズア、逃げ足が早いとかねてから評判を得ている男です」
紙幣はヨーズアに笑顔を咲かせ、その足取りを軽やかにさせた。使い道があってよかった。
しばらく後にヨーズアが持ち帰った返事には、週末午後の日時が記されていた。ヨーズアが「とても気の良い好青年ですね、フランセンくんは」とにこにこしていたので、きっとあちらにも使い道のない紙幣があったのだろう。
イマは、ペペイン邸に相応しい持ちうる最上級の服を用意した。
そして、当日。
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