第10話:最初の公認暗殺 ~ 失恋に誓う理想国家
「ふぅ…」
エニシゲは不安が拭えない毎日を過ごしていた。
事務局内の自席で業務をこなしながら、時折深いため息が漏れる。
すると、
「こんにちは!」
「わっ!」
パーティションの横から顔を出し、エニシゲに声をかけたのは保険レディのキサラギだった。
ひょっこりとした可愛い仕草でエニシゲに笑顔を送るキサラギ。
「キ、キサラギさん!どうしたんですか?」
「えへへ、お邪魔でした?」
「え!?あ、いやいや!とんでもないです!」
キサラギへ淡い恋心を抱くエニシゲは、急激に表情に血色を戻す。
「あ、あの、今日は?」
「はい、先ほど何人かの職員の方々と保険のご相談をさせていただいていました」
「あ、そ、そうだったんですか!」
「はい、エニシゲさんは何されてたんですか?」
「あー、あ、いや、まぁ、ただの雑務です。書類整理とか」
「ふーん…」
キサラギは何やらエニシゲのデスク周りを注意深く観察しているようにも見えた。
「エニシゲさんって局長さんなんですよね?いつもここでお仕事されてるんですか?」
「あ、ええ、まぁ」
「重要なデータとか書類とかも扱うんでしょ?パーティション一枚だけの仕切りじゃ危なくないですか?」
「あ、ああ!2階に一応局長室もあるんですよ。重要な会議とかはそこで」
「そうなんですね!見てみたいですー!」
「あー、いや、すみません。原則ボク以外は立ち入り禁止で…」
「あ、ですよね!すみません」
「いえいえいえいえいえ、とんでもないです!」
「あ、そうだ!」
キサラギは何かを思い出したようにバッグを開き、一枚のパンフレットを取り出した。
「よかったら…あ!」
キサラギは手を滑らせパンフレットを床に落としてしまった。
慌てて拾い上げようとするキサラギを目で追うエニシゲは、その光景に硬直した。
しゃがんだ体勢、第二ボタンまで開けられたシャツから覗く豊満な谷間がエニシゲの視線を釘付けにする。
「すみません、これよかったら」
瞬時に視線をごまかしながらパンフレットを受け取るエニシゲ。
「あっ!?ああ、あ、あ、ありがとうございます!こ、これは?」
「うちの会社、貯蓄型保険の商品も充実してるんです。老後のための資産運用にいかがかなと思って」
「ああ、そうなんですね!」
「私、前は銀行に勤めていたので、この辺りは詳しいですよ。是非検討してみて下さい」
「あ、分かりました!」
「それじゃ、私はこれで。本日もありがとうございました!」
そしてキサラギは暇を告げて去って行った。
エニシゲは受け取ったパンフレットを持ちながらキサラギの後ろ姿を見て呆けていた。
脳裏に焼き付いたキサラギの笑顔やスタイルに、束の間の安息を感じていたのだった。
キサラギが建物を出て駐車場へ向かう折、背後から彼女を呼び止める声が響く。
「キサラギさーん!」
「!」
振り返ると、そこにはエニシゲの姿があった。
「エニシゲさん?どうされました?」
「あ、いや、えっと、その…」
エニシゲは少しモジモジとしながら勇気を振り絞る。
「あ、あの!もしよかったら今度、お食事に行きませんか?」
「え!?」
エニシゲの誘いが業務上の形式ばったものではなく、個人的かつプライベートなものであることは明らかだった。
キサラギは少し意表を突かれた様子だったが、すぐに切り替えクスクスとほほ笑む。
「ふふふ、ありがとうございます。お気持ちは嬉しいのですが」
すると、キサラギは慎ましく左手の甲を相手に向ける。
その薬指には白銀の誓約リングがはまっていた。
「あっ…!」
エニシゲは一瞬にして恋心を絶たれ言葉に詰まるが、すぐに切り替え大人の対応を見せる。
「…失礼しました。忘れて下さい。そ、それじゃボクはこれで。まだ仕事がありますので」
「え?もう閉庁時間じゃ?」
「えぇ。今からたっぷり残業ですよ」
「そうなんですか?公務員の方って残業しないイメージですけど」
「ははは、ボクらはまだ若い組織なんで、労働基準法なんて幻ですよ」
「大変なんですね」
「いえ、そんなことないです。すごくやり甲斐があって充実してますよ。この国の未来を担う役職に就けていることを誇りに思います!」
すると、エニシゲの言葉を聞いたキサラギは、ほんの一瞬表情が曇った。
「…そうですか」
明らかに不穏な空気を漂わせるキサラギ、その口から意味深な質問が飛ぶ。
「エニシゲさん、聞いていいですか?」
「はい?」
「アナタは、この免許制度が本当に国民を救うと思いますか?」
「え?」
「将来、本当に差別や迫害のない未来がやってくると思いますか?」
エニシゲはキサラギが放つ空気を感じ取っていたが、その真意を深く探ろうとはせず、信念に沿い真っ直ぐと答える。
「もちろんです!」
「!」
「まだまだ課題の多い制度ですけど、でも、必ず、必ず世界最高の理想国家になると信じています」
「…理想国家」
「はい!キサラギさんご夫婦が一生安心して暮らしていけるよう、我々センターはこれからも尽力していきます」
「…」
エニシゲの熱い雄弁を聞いたキサラギだったが、何故かその表情は晴れず少し俯いていた。
「そうですか、がんばって下さい。それでは…」
そう言い残し、キサラギはどこか寂しい背中を見せながらエニシゲの前から去って行く。
エニシゲもまた、彼女の哀愁を感じ取り解せない気持ちになっていた。
すると、
「いやぁ~、いつ見てもいい女だなぁ~。今日のパンツ何色かなぁ~?」
「いぃっ!?」
突然エニシゲの横に現れたのはシステム管理局長のイロヨクだった。
「お、お前なぁ。毎回毎回どっから沸いて出てきてんだよ?」
「抜け駆けは許さねえぞ!あのEカップはみんなのモンだ!」
「あのなぁ…」
「ああ!そうだ!彼女に聞こうと思ってたんだよ!仮に殺人免許で自分が殺されちゃった場合って、死亡保険適用になるのかって」
「はぁ?」
「他人事じゃねぇぞ?いよいよいつ何処で誰に暗殺の手が忍び寄るか分からないんだからなぁ」
冗談交じりで話すイロヨクであったが、奇しくもその予言は実現となるのだった。
この日、裁きの日は訪れた。
国中を震撼させる舞台はとある住宅街の安アパート。
101号室の室内にはチャイムが鳴り響く。
部屋の住人はゲームの手を止め、覗き穴を覗くと、そこには運送業者の配達員が立っていた。
「えー?何か頼んでたっけなぁ?」
心当たりのない来訪に首をかしげながらドアを開ける若い男。
すると、帽子を目深に被った配達員はどこか怪しげな雰囲気を醸し出しており、何故か手に持つ荷物を渡そうとしなかった。
「…え?何?」
男が対応に困った一瞬、配達員の男はその顔を上げ、住人の男を睨み、その正体を明かした。
「…お前のせいで、娘は人生を奪われた」
「え!?」
「出来れば同じ年月をかけて嬲り殺してやりたい…」
50代程と思われる白髪交じりの中年男は、声を震わせながら鬼気とした表情を見せた。
次の瞬間、その男がポケットから取り出したのは小型の拳銃。
素早く相手の胸元に銃口を合わせ、引き金が引かれる。
「…!?」
住人の若い男は一瞬の出来事に微動だにできず、その銃弾を胸に受け止めてしまった。
後ずさりしながら鮮血を垂れ流し、呼吸を荒げること数分、その鼓動は完全に停止した。
その様子をまじまじと見ていた中年の男は、相手の脈を計りその死亡を確認する。
そして自身の胸ポケットから一枚のカードを取り出し、死亡した傍の男に置いた。
続けてスマホを取り出すと、写真を撮影しどこかのサーバーにアップロードを始める。
やがて、男はその場に憎しみの全てを置き去りにするようにして姿を消したのだった。
-1時間後-
警察に一本の通報が入った。
「はい、こちら110番」
<死人が出ました。処理をお願いします>
「えっ!?」
<住所は…>
先ほどアパートで配送員に扮して住人を殺害した男は、車の中から現場の住所を告げると一方的に電話を切った。
やがて現場に到着した警官たちが101号室に乗り込むと、床で倒れている男を確認する。
「…現場を封鎖、すぐに殺人課に連絡だ!」
「了解しました!」
瞬く間にアパート周囲には黄色いテープが張り巡らされ、サイレン音と共に大勢の野次馬を集める。
現場に到着した刑事たちは手袋をつけ早速被害者を確認する。
すると、
「ん!?おい、これ…」
一人の刑事が遺体の近くに置かれた一枚のカードに気付く。
そこには国家免許センターの公認マークと、QRコードが記されていた。
「おい、まさか…」
刑事の男は自身のスマホを取り出し、立ち上げたのはセンターの公式アプリ。
恐る恐るカメラにQRコードをかざすと、表示された通知に驚愕する。
「…!」
「ど、どうしたんですか?」
「…捜査本部はいらねぇな」
「え?」
「見ろ」
「…あ!」
画面に表示されたのは被害者の顔写真と数行の説明文。
本名、年齢、職業、住所、そしてはっきりと、"暗殺公認対象者"の文言と死亡した男の罪状が記載されていたのだった。
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