第10話:「あばよ」 ~ 生存免許の剥奪

-翌朝の8時30分-

国家免許センター事務局庁舎はいつも通り開庁時間を迎えた。

まだ来訪者が少ないこの時間はフロアにまったりとした空気が流れている。

しかし、突然現れた一人の大柄な男がその空気を一変した。


「あぁぁ…、うぅぅぅ…」

「え?」

「っきゃ!え?何!?」


金髪の任侠面、眉間に深い堀を刻みフロアを闊歩するのは、鬼人と化したザキルだった。

その右手に胸ぐらを掴まれながら地面を引きずられる茶髪の男は、昨夜と大きく風貌を変えていた。

女相手にナルシストを決め込んでいた姿は影も形もなく、血まみれの顔面は腫れ上がり、既に原形を留めていなかった。

カッターシャツには飛び散った鮮血で模様が作られ、指の何本かは明後日の方向を向いている。

やがて受付窓口まで到着すると、ザキルは驚く職員たちを前に男を軽々と前に放り投げた。


「手続きしてやれ」


一同が騒然とする中、満身創痍の男は消え入りそうな声でうめいていた。


「だ、だすけてぇぇぇ…、だれかぁぁあ…」


職員や警備員たちは事情を把握しきれていないため、周囲の反応を伺いながらも硬直状態だった。

フロアの全員がザキルの行動に注目する中、本人は地面を這いずる男の背中を踏みつける。


「ぎゃぁぁ!」

「とっとと立ちやがれっ!」

「痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃ!あぁぁぁああぁぁぁぁぁ!」


誰の目から見ても、ザキルが冷静でないことは明らかだった。

ザキルの体重を乗せた右足は、男の背中にめり込んで行く。

男が背骨を折られそうな勢いを見かね、周囲の警備員数人がザキルを止めに入る。


「止めなさい!やり過ぎだ!」


警備員3人がかりでザキルを取り押さえにかかるも、体格と腕力で圧倒するザキルをなかなか抑え込めない状態が続く。

すると、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ザキル!」

「!」


ザキルが力を抜き振り返ると、そこには事務局長にして幼馴染であるエニシゲが立っていた。


「ザキル、お前…」

「…」


睨みを利かせながらも、少し考えた様子のザキルはゆっくりと男の背中から足を退ける。

その様子を見て、止めに入った警備員たちも確保の手を緩めた。

服の襟を正し、一人ゆっくりと出入口の方向へと向かって歩いていくザキル。

周囲の注目を一手に集める中、途中で立ち止まり口を開く。


「そこに転がってるゴミを"父親"呼ばわりしねぇで済んだのは、ガキにとっては救いだったかもな」

「ザキル…」


そう言い捨てると、ザキルはまた歩き出した。

そんなザキルの後ろ姿を、旧友のエニシゲはただ黙って見守るしかないのであった。


ザキルが去り間もなくして、茶髪の男は警備員に抱えられ窓口の椅子に座らされた。

対応するのは、奇しくも自決してしまった妊婦を対応した同じ女性職員。

明らかに怒りを滲ませる職員の女性は、用紙を取り出し男の前に差し出す。


「運がいいですね。今回あなたがはく奪されるのは大人免許と家族免許のみです。危うく、彼に"生存免許"もはく奪されるところでしたよ」


茶髪の男は朦朧としながら椅子の背もたれによりかかり、職員の話を聞いている様子はなかった。


「ぅぅう、きゅ、きゅうきゅうしゃぁぁ…」

「はいはい、書類に記入したら呼んであげます。まずはこの太枠の部分を埋めて下さい」

「きゅうきゅうしゃぁぁ…。はやく、はやくしろよぉぉ…」


男の態度に怒りを強めた女性職員は、男の手を取り上げ机の上に置いた。

すると、持っていたボールペンを上から力一杯、男の手の甲に突き立てた。


「あぎゃぁぁぁぁぁ!!!」


男の手にめり込むボールペンの鋭利な先端。

激痛に大声を上げ、突然意識が戻ったかのように前のめりの姿勢になる男を、正面の女性職員は強く睨み付ける。


「さっさと記入しなさい、クソ男!」


やがて虫の息で最後の力を振り絞った男は、何とか書面にサインした後、担架で事務局内から運び出されて行くのだった。


「大変なことになるぞ…」


落胆の声色で呟くエニシゲ。

度を越えた暴力への警告も虚しく、ザキルは約束を守り抜くことはできなかったのだった。

一部始終を観察していたエニシゲは顔面蒼白となり絶望に伏すしかなかった。



-同じ日の夜-

ザキルは部屋の荷物を車に詰め込み終わると、エニシゲへ電話をかけた。


「…俺だ」

<ザ、ザキルか?何度も電話したんだぞ!今どこにいるんだ?>

「悪ぃな、また迷惑かけちまった…」

<こっちは大騒ぎだよ。とにかく顔を出してくれ>

「オレはこのまま消える」

<えっ!?>

「お前は何とか言い逃れてくれ。何もかもオレの責任にしろ」

<ま、待てよ!消えるってどういうことだよ?>

「あばよ」

<ザキル!>


ザキルは電話を切り、車のエンジンをかけた。

暗い夜道の彼方、ザキルが運転する車が景色の中に飲み込まれて行く中、エニシゲはただただ幼馴染の身を案じるのだった。


-翌朝-

センター事務局では8時30分の開庁時間と同時に血相を変えたニチョウが姿を見せた。

エニシゲが座るデスクに駆け寄り事情を問いただす。


「おい、エニちん!」

「あ、ニチョウ君」

「おい、一体どうなってんだよ?何があったんだよ?」

「あぁ…」


エニシゲは自身が知る事情を全てニチョウに話した。


「おいマジかよ…。なぁ、ザキさんどうなるんだよ?」

「それは…」

「ハッキリ言えよ!」

「…もうどうしようもないよ」

「なんだとぉ!?」

「公務時間外に管轄を越えて半殺し。しかもセンター庁舎のど真ん中で見せしめ。最悪だ…」


エニシゲは両手で頭を抱えて大きなため息をつく。


「多分、男の居所は裏の人間に頼んで探させたんだろ。システム管理局が情報を渡す訳ないし。もう懲戒免職どころの騒ぎじゃないぞ…」

「おい、何とかしてくれよ!エニちん局長なんだろ?」

「残念だけど、俺も罷免になる…」

「あぁ!?」

「誰が後任になるか分からないけど、誰がなってもザキルを庇いきれないよ。最悪は指名手配…」

「おいおい、冗談だろ…」


絶望的な雰囲気が二人を包む中、一人の女性職員がエニシゲに声をかける。


「局長、お電話です」

「あぁ、つないで」

「いえ、自室でお取りください。センター本部の方からです」

「!」


エニシゲは一瞬で血の気が引いていくのを感じた。

普段滅多なことでは連絡のこないセンター本部からこのタイミングでの内線電話。

ザキルの件で責任を取るべき立場のあるエニシゲは、本部からの罷免通告を覚悟した。

ニチョウをその場に残し、重い足取りで建物二階にある局長室へ赴くエニシゲ。

恐る恐るデスクにある受話器を取って応答した。


「…はい、エニシゲです」


すると、相手の話を聞き取るエニシゲの表情にはみるみる驚きが広がっていった。


「えっ、えぇ?あ、はい、ええ、はい…」


電話の内容は自身が想定していたものとは一線を画しており、ただただエニシゲは相手の話に耳を傾けるのであった。

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