第9話:家族免許に引き離された家族 ~ 神の気まぐれに踊る鬼
ザキルは不意に目に入った女性の存在に気付き声をかける。
「おい、何してる?」
「え?」
ザキルの声に反応し顔を上げたのは、一昨日センター事務局に訪れていた妊婦の女性だった。
周囲の静けさと風景に合わせるかのように、暗い表情でうなだれている。
「あ、いえ。別に…」
「…」
女性の事情を知るザキルは何とか慰めようと言葉を探すも言葉に詰まる。
気の利いた言葉が見つからず、辛うじて気遣いをひねり出す。
「…身体を冷やすな。とっとと家に帰れ」
「え?…あ、はい、そうします」
女性はベンチから立ち上がり、ゆっくりとその場を離れて行く。
すると、その背中に向かってザキルは苦し紛れの慰めを投げかけた。
「まだ時間はあんだろ?」
「え?」
「どんな野郎かは知らねぇが、もう少し待ってみたらどうだ?」
「…」
気休めにすらならないことはザキルにも分かっていた。
女性は立ち止まり、自身の腹部を見下ろし優しくなでると小さな声で話し出す。
「そうですよね。母親の私がこんなんじゃダメですよね」
事情を知らず会話に入れないニチョウは、両腕を後頭部で組み二人の会話を傍観している。
「正直、産んだ後のこの子の人生を考えると、やっぱり辛くて。けど、私、感じるんです。この子、"生きたい"って言ってる」
「…呼吸が浅ぇ。深呼吸しろ。とにかく落ち着け」
妊婦の女性はザキルの言葉にどこか上の空だった。
そして、切ない笑顔で二人の方向を振り向く。
「心配して下さって、ありがとうございました」
そう言い残し、女性は軽く会釈をして公園から去って行った。
ニチョウはザキルに事情を聞いた。
「は~、なるほどねぇ。信じて心と股を開いた挙句がこのザマか。不憫だねぇ」
他人事だと言わんばかりにそう言い捨てるニチョウ。
やがて二人は歩き出し、岐路で別れそれぞれの家路についたのだった。
-数時間後-
妊婦の女性は自宅で一人、腹部をさすりながら静かに涙を流していた。
「ごめんね。でも、ずっと一緒だからね」
すると、女性は乗っていた椅子から降りると同時に、その椅子を遠くに蹴飛ばした。
女性の足が地面に着地することはなく、宙ぶらりんの状態で時間が経過していく。
初めは大きくジタバタと空気を蹴っていた足も、やがて1分ほどが過ぎ動きを見せることはなくなった。
住宅街にある小さなアパート4階の一室、二つの命が星になる姿を、夜月だけが見守るのであった。
-翌朝-
免許センター事務局ではいつも通りの風景が広がっていた。
局長のエニシゲはフロア奥のパーティションで区切られた自席で事務作業に勤しんでいた。
「ふぅ、ちょっと外の空気を吸ってくるか」
エニシゲは休憩がてら職員専用の裏口から建物の外に出て大きく背伸びをした。
すると、そこの場にパトロール車が駐車されていたことに気付く。
間もなくして、車の中からザキルが姿を現した。
「ザキル!どうしたんだ?」
ザキルはエニシゲの元へ近づき、突拍子もないことを言い出した。
「五叡人って連中に会わせろ」
「えぇ!?な、なんだよ、突然?」
「お前に迷惑はかけねぇつもりだ。直接話をさせろ」
「ザキル…」
ザキルに冗談を言っている様子はなかった。
エニシゲは驚きながらも旧友として何となくザキルの事情を察していた。
「悪いけど、それはできない。簡単に会える人たちじゃないんだよ」
「方法は何でもいい。電話だろうが、ビデオだろうが、何かあんだろ?」
「…この前言ってた親子のことか?」
「だけじゃねぇ。妊婦の件は知ってるか?そいつを間近で見て、それでもテメェらは免許だ金だの言ってられんのか、それを聞いてやるだけだ」
「…また、何か辛い現場を見たんだな?」
「罪の無ぇ母子が泥をひっかぶってクソ野郎は無罪放免、家族免許ってやつがそれを引き起こしてる現状をお上共は知ってんのか?あ?」
エニシゲは少し声を落としながらも、ザキルの説得を続ける。
「ザキル、察するよ。けどこの前も言っただろ?どんな法律や制度も完璧じゃない。目先の一人や二人のことでいちいち揺れるべきじゃないって」
「金も無ぇ小市民は大儀のために切り捨てるのがお前らの正義か?」
迫力のある表情で怒声を上げるザキル。
しかし、自身の仕事に誇りを持つエニシゲは、強い眼差しで毅然とした態度を崩さない。
「そういうことを言ってるんじゃない!俺だって可哀想だと思ってるよ!辛い現状を見てるのはお前だけじゃない!俺たち事務局員だってたくさんの実情を知ってる!だけどな、いつか、いつか全員が安心して暮らせる国を創るために、必死に耐えて、考えて、足掻いて、下げたくない頭だって下げてるんだよ!分かってくれ!」
「戯言にしか聞こえねぇなぁ。お前の連れが同じ状況でもそんな綺麗事垂れ流して切り捨てんのか?」
「無責任なこと言うな!だったら何とかしてみろよ!できないだろ?何も!救う術も力も策もないのに理想だけ押し付けるなんて論外だ!綺麗事言ってるのはどっちだよ?犠牲のない政治なんてありえないんだよ!」
両者は強くにらみ合い、一歩も引かない様子で硬直している。
すると突然、ザキルが携帯する無線機から相棒ニチョウの声が聞こえて来た。
<ザキさん、ニチョウです>
「後にしろ!取り込んでんだ!」
<いや、ちっとゴタが…>
「あぁ?」
<来た方が、いいと思いますよ>
「…」
どこか重く意味深なニチョウの通信に、ザキルは一時休戦としパトロール車に乗り込みその場を去って行く。
残されたエニシゲはやりきれない表情のまま、強く息を吐き事務局へと戻って行くのだった。
ザキルはニチョウが指示する住所へ到着した。
現場となったのはとある古いアパート。
周囲には他のパトカーや救急車が停車しており、赤いサイレンが回っていた。
車から降りたザキルは4階へと駆け上がり、とある一室の玄関前に立つニチョウを見つけた。
「あ、ザキさん。おつです」
"立ち入り禁止"の黄色いテープをくぐり部屋の中に入ると、数人の刑事や現場鑑識員が所狭しと立ち並んでいた。
「あ、ちょっと!ここはウチらの管轄だよ」
刑事の男がザキルにそう声をかけるも、ザキルは床に敷かれた青いビニールシートに目を奪われていた。
その場にしゃがみ、ゆっくりとそのシートをめくる。
すると、
「!!」
そこにあったのは、昨夜公園で話したばかりの女性が鼓動を失い目を瞑っている姿だった。
言葉を失うザキル。
よく見ると、女性の頬にはくっきりと涙の痕が残っていた。
「おいおい、困るねぇ。現場荒らさないでくれよ」
「…」
怒りに震え、刑事の注意に反応を見せないザキルだったが、やがて立ち上がり部屋を後にした。
玄関先でニチョウと合流し、アパートの1階まで降りて行く。
「別に死ぬこたぁねぇのにねぇ」
ザキルは沈黙を貫いているが、その額には無数の青筋が走っていた。
今にも噴火しそうな雰囲気を悟り、怖いもの知らずのニチョウでさえ、今のザキルを直視することが出来ずにいた。
「ま、逃げた男に天罰が下ること祈りましょうや」
「…期待しねぇこったな。神の気紛れにゃ踊らされてばっかりだ」
そして全身に覇気を漂わせたまま、ニチョウを現場に残しどこかに去って行くザキル。
ザキルの背中を見送るニチョウはひとこと呟いた。
「しびれるねぇ、いつ見ても。鬼人モードだ…」
そしてザキルは歩きながらポケットから取り出したスマホである人物に電話をかけた。
「今夜行く」
同じ日の夜、ザキルは動いた。
自宅から出て来た姿は全身黒づくめの私服に包まれている。
はち切れんばかりの胸板、シャツがまくられ露になった前腕には極太の血管が浮かび上がる。
-深夜2時-
歓楽街の路地裏を歩き進むザキル。
蛍光灯の切れかかったスタンド型の看板が設置された店のドアを開けると、中ではガラの悪い数人の客がビリヤードや酒を楽しんでいた。
その場に違和感のないザキルは、店の奥にあるVIPルームへと一直線に進む。
ドアを開けると、突然現れたザキルの登場に強く反応する黒人男性の集団がテーブルを囲みポーカーをたしなんでいた。
「よぉ、来たか。お前らは続けてろ。ザキル、こっちだ」
黒人集団の中心人物と思われる深紅のスーツを纏った男がザキルに声をかけ、そのまま奥にある小部屋へと誘導する。
部屋で二人っきりになると、男は流暢に喋り始めた。
「おいおい、一人かよ。いつになったらニチョウちゃんを紹介してくれんだよ?」
ザキルは返答を返すことなく、ポケットから葉巻を取り出し黙って煙をふかし始める。
「なんだよ?ずいぶんご機嫌ナナメだな?」
赤スーツの黒人がザキルの顔をのぞき込むと、ザキルは一枚の写真を取り出し男に差し出した。
「そいつの居所を洗え。あとは俺がやる」
写っていたのは、20代前半と思われる茶髪の男。
舌を出し、手の甲でピースサインを突き出す姿は明らかに軟派な性格を物語っている。
写真の裏には小さなメモ用紙がクリップで挟まれており、数行の走り書きがあった。
「なんだこのガキ?どこの組だ?」
「そういうんじゃねぇ」
「あ?どういうことだ?」
「…」
二人の間に沈黙が走る。
やがて、赤スーツの黒人は悟った様子でザキルに問いただす。
「お前、まさか、このアウトロ様にカタギ相手の仕事させようってのかぁ!?」
自身を"アウトロ"と名乗った赤スーツの黒人は大きく目を見開いている。
ザキルは当然の反応とばかりに、動じる様子なくゆっくりと煙を吸い込んでいた。
「おいおい、気でもふれたか?お前、ケンカ売りに来たのかよ?」
「居所だけ俺にタレりゃいい」
「ふざけんじゃねぇぞ!オレを失業させる気かよ?足洗って平和ボケたにしても重症だぞオイ!」
すると、ザキルは徐に事情を話し出す。
「女が死んだ。そのスケコマシがバックレたせいでな」
「あ?」
「腹にはガキがいた。今頃、女から巻き上げた金で次をたらし込んでやがるだろうぜ」
「…」
先ほどまで感情的になっていたアウトロだったが、事情を理解し落ち着きを取り戻す。
少し迷った様子は見せたものの、ザキルからの依頼を渋々承諾する。
「…よーし、いいだろう。ただし、貸し二つ分だ」
「あぁ?」
「おいおい、お前が組を抜けた時のこと忘れたのかよ?お前のせいでこっちは商売やり辛くなってんだぞ?」
「この一帯をオレが仕切ってなきゃテメェはとっくにブタ箱行きだろうが」
「…っち。分かったよ、分かり次第送ってやる」
「急げ」
「あのなぁ、その女子供に甘い性格何とかなんねぇのかよ?世紀の悪人面してるクセに似合わねぇぞ!」
ザキルは吸いかけの葉巻をテーブルの灰皿に押しつぶし、アウトロの元を去って行くのだった。
-数日後の夜-
平日ながらも隣町の繁華街は賑わっていた。
とある洒落っ気のあるショットバーでは、カウンター席で一組の男女が色めかしい雰囲気を見せている。
「えー?ウソだぁ~」
「ほんとほんと!マジで独身だって~!」
ノースリーブの黒いドレスを着た派手目な女に、距離感近く話しかける茶髪の男。
女もまんざらではない様子で適度な距離感を保ちつつも会話を楽しんでいる様子だった。
「まぁ実は~、ちょーいとひと悶着あったんだけどねぇ~ん。でもでも、今は本当にマジで真っ新よ?オレ」
「へー?何か気になるー」
「いやぁ、オレってばやっぱモテちゃうのよね~。悩みもあるのよ。勘違い女とかも多くて困るわ~。ブスどもってしつこいから~」
チャラついた物腰で話をしながらチラチラと女の胸元へ視線を配る男。
明らかに下心満載といった様子でソワソワと周囲を気にしている。
「ちょっとお手洗い」
「ほいほーい」
女が席を立ち手洗い場に入って行ったことを確認した茶髪の男は、周囲の目線を気にしながらそそくさとポケットから何か錠剤のようなものを取り出した。
さり気なく女のカクテルグラスにそれを放り込むと、錠剤は一瞬にして溶けて無くなる。
男は不敵な笑みを浮かべながら、スマホのアプリでタクシーを手配しながら女の帰りを待つ。
すると、男の背後に人影が現れた。
「おかえ…ん?」
てっきり口説いていた女が戻ってきたものと思い振り返った男は、予想を裏切られた。
自身の背後で影を作っていた大男の武骨な手が、女のカクテルグラスを握る。
次の瞬間、そのグラスは盛大な音を鳴らしながら粉々に砕け散った。
「いぃ!?」
男の視線の先には相手を睨み殺すかのような表情を浮かべ、鬼人と化したザキルが武者震いを見せていた。
「俺とも一杯付き合えや、色男ぉ…」
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