第37話 原始、女性は太陽であった(中)
※※※※
同年のことである。日本の文部省と内務省は大逆事件の影響を憂慮したか、諮問機関・文芸委員会を立ち上げている。
要するに「なにが良い文学で、なにが悪い文学かは政府サマのほうで勝手に審査してやる」と言い出したわけだ。
さらに文学に対する抑圧が高まった出来事だと史実には残っている。
与謝野アキコはこれに対して、次のような皮肉に満ちた和歌を残している。
「栄太郎、東助といふ大臣は文学をしらずあはれなるかな」
(訳:政治家の小松原エイタロウも平田トウスケも文学を知りゃしねえ! 可哀想だな!)
挑発的ですね。
他にも、政府の決定に反発した文学者は大勢いたと言われる。
その急先鋒が日本文学最強の小説家・夏目ソウセキであった。
「最も不愉快な方法で、行政上に都合のいい作品のみを奨励するのが見えすいている。カス!」
と意見を表明している。
さて。そんな出来事が続くなかで『青鞜』は順調に売り上げを伸ばしていった。社員たちだけのパーティにアキコが招かれたのは、そのころのことであった。
会場にアキコがつくと、
「アキコ先輩! お久しぶりっス!」
と呼んでくる声があった。増田マサコ、名前を改めて茅野マサコである。
「マサコ!?」
「えへへ、あーしも『青鞜』に誘われて社員として働いてるんスよ。夫のショウショウきゅんもめっちゃ歓迎してくれてぇ」
「へえ~!」
アキコは驚きながら、そのあとでパーティ会場を見渡した。
「いっぱい人がいるんだなあ」
「あーし、全員の名前言えるっスよ? 端から順に言っていくっスね」
それからマサコは1人ずつ指をさしていった。なお、全員を覚える必要は本当にないので、ここから巻きで話を進めていこう。
「岩野キヨコ(岩野ホウメイ先生の内縁の妻)、田村トシコ、野上ヤエコ、水野センコ、長谷川シグレ、森シゲコ(森オウガイの妻)、小金井キミコ、岡田ヤチヨ、国木田ハルコ。
――代表的なメンバーは、ざっとこんなところっスかねえ?」
「ふーん、なるほどなあ」
アキコはその名前を全て一瞬で覚えた。
そんな風に2人が話しているところに、平塚ライチョウが近づいてきた。彼女は各テーブルにお酒を注いで回っていて、自分ももう泥酔していたという。
「おふたりとも、盛り上がってますか~~!?」
と、クソデカボイスで言ってきた。
「ライチョウ、おまえ声でけえよ」
「あはははははははは!」
彼女が笑いながらお酒を注ぐと、アキコも結局は笑ってそれを飲み、マサコもケラケラと頬をほころばせながら同じように飲んだ。
こうして『青鞜』はスタートを切ったのである。
帰り道、アキコとマサコとライチョウは酔っ払いながら書店に立ち寄った。
「マジで『青鞜』が本棚に並んでんのか、見てみようぜ!」
アキコがそう誘ったからだと言われている。
もちろん、新刊雑誌『青鞜』は平積みになっていた。手にとって購入する者のなかには、年配の男性もいた。
「嬉しい――」
とライチョウは手を合わせた。「本当に、わたくしたちの本が売られて、読まれているんですのね?」
そんな風に泣きそうになっているライチョウを、アキコもマサコも微笑ましく見つめていた。
だが、本棚に置かれているのはそれだけではなかった。
『青鞜』のちょうどとなりに、『煤煙』というタイトルの小説が同じく平積みで置かれていたのである。
作者の名前は、かつてのライチョウの想い人である森田ソウヘイ。
それはソウヘイが自分たちの心中未遂事件を、自分なりに噛み砕いてありのままに書き記した告白小説である。
(なお、この小説のタイトルが理由になって、ライチョウの心中未遂事件は「煤煙事件」と呼ばれることも多いという)
ライチョウは、ハッとなって『煤煙』を手に取った。
そして本をパラパラとめくり、
内容をおおまかに把握すると、
――すっと、
涙の雫をひとつふたつ、こぼしたと史実にはある。
「そう。ソウヘイさまも過去を清算なさったのですね」
と彼女は言った。
それは2人の世界が決定的に分かれる瞬間だった。
「ソウヘイさま、さようなら。わたくしは、わたくしで元気にやっていきますわ」
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