第四章「1915年まで①」

第31話 与謝野アキコと大逆事件(上)


  ※※※※


 詳しく説明しておこう。当時は堺トシヒコや片山センといった社会主義者が、『平民新聞』を発行して労働者のための政治を訴えていた。

「もう日本は近代化したのだ! これから労働者のための政治をやるべきだ! そのためには、資本主義がいちばんの敵だ!」

 こんなことを言っていたという。

 だが、ここでひとつの事件が起きる。彼らの社会主義に影響を受けたかどうかは知らないが、長野県に住んでいた社会主義者・宮下タキチは、仲間を引き連れて明治天皇暗殺計画を企てたのである。

「全ての人間が平等であれば! 当然! 人の上に立つ人の存在などあってはならないのだ!」

 そういう理屈だったらしい。カスやね。

 もちろん、こんなチャチな計画はすぐに警察に見つかって即逮捕、ということになってしまった。

 問題はここからである。当時の警察は「やはり社会主義者どもは危険だ! 陛下の敵だ!」と考え、大逆罪の法律を持ち出し、無実の社会主義者たちの一斉検挙に強引に乗り出したのである。

 逮捕・検挙された社会主義者は300人以上。そして起訴された人間は26人。


 与謝野テッカンはすぐに、友人の平出シュウに頼んで弁護人になってもらった(覚えているだろうか? かつて彼が大町ケイゲツの家に一緒に行った男である)

「頼む、このままだと大勢が死ぬ!」

「僕が――?」

 シュウは懸命に被告人の無実を証明したが、正直、当時の日本にマトモな警察組織も司法制度もあるわけがない。

 結局、計24名が尋問・拷問の上で死刑。懲役は2名という結果に終わった。

 なお、後年調べたところ、実際に明治天皇暗殺計画に関わっていたのはこのうちたったの4名しかいなかったと言われている。

 警察は「てへぺろでござんす」という感じで、その結果を報告した。

 ふざけてんじゃねえぞマジで。


 別にマジで物騒なことを考えていたわけではない、ただ思想を語ったというだけで処刑された。この事実に衝撃を受けた文学者は大勢いたという。

 たとえば徳富ロカという小説家はすぐに革命論の講演会を開いた。

 また、石川タクボクはロシアの全体主義を研究して「いつか日本もこんな風になっちまうぞ!」という内容の評論を発表した。

 木下モクタロウは戯曲を書き、自由のために動く人たちとそれを弾圧する連中の戦いを描いたという。

 一方で、永井カフウという巨匠はエッセイのなかで次のように書いている。

「オレはもう、すっかり自分が文学者でいることがイヤになっちまったよ。これからは何のメッセージもクソもないエンタメ作家として、気楽に生きるしかないな」(『花火』)


 当時は、「国家のために天皇があるのか、天皇のために国家があるのか」といった論争が行われていた。

 いわゆる、天皇機関説VS天皇主権説というやつである。前者を唱えたのは美濃部タツキチという学者、後者を唱えたのは上杉シンキチという学者だった。

 だがこの大逆事件をきっかけに、

「天皇のために国家があり、国民がいるのだ」

 という主張がメインになってしまった。

 勝利したのは、要は、上杉シンキチの天皇主権説だったのだ。

 政治家の山縣アリトモとかいう卑劣漢も、この流れを後押ししたという。


 なお、死刑に処された幸徳シュウスイは法廷で次のような言葉を残している。

「だいたいよお! 今の天皇は南北朝時代の北朝の子孫じゃねえか! 南朝の陛下を殺して三種の神器を奪い取ったニセ天皇だろうが!」

 すごいよね。

 彼の発言を誰かがリークしたのか、帝国議会では「え、じゃあさ、南朝の子孫と北朝の子孫、どっちが正統なの?」という論争さえ起きた。

 これが、いわゆる「南北朝正閏論」である。歴史教科書の責任者である喜田サダキチが休職に追いやられるなど大きな騒ぎになってしまった。


 以上、大逆事件の大筋である。


 こういう事件の影響を、もちろん、与謝野アキコも受けたのであった。

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