第30話 友人、山川トミコの死(下)


  ※※※※


 山川トミコの死は当時の文学界に衝撃を与えた。たとえば石川タクボクは、日記に「薄幸なる女詩人山川登美子女史は遂に死んだのか!?」と書き記している。

 また、かつて『明星』に寄稿していた歌人・中濱イトコもショックを受けている。彼女のほうは結婚のせいで引退したため10ヶ月程度しか活躍していないが、それでも、山川トミコとは少しだけ親しくしていたらしい。

(友だちをつくる才能にかけては、アキコよりもトミコのほうが強かったということだ)

 葬儀は地元の福井で行なわれた。アキコも、マサコも、アキコの夫であるテッカンも、そしてその執筆仲間たちもみな参列したという。

 与謝野アキコは、不思議と涙が流れない自分を感じていた。なんだか何度も彼女のお見舞いをするうちに、長い長いお別れの準備をゆっくり済ませていたような気がした。

「あの世で元気でな、トミコ」

 そう言ってアキコは棺のなかに百合の花を捧げた。

 が、そんな彼女の悪い噂を話す人々もいたらしい。

《見てよ、あの与謝野アキコって女。親友が死んだっていうのに泣きもしないの。冷血って感じよね?》

《トミコちゃんってテッカン先生のことが大好きだったらしいわよ。恋のライバルが減ったと思って、本当はせいせいしてるんじゃないの?》

《作者と作品は別ですよ~って言ってもねえ。いくら才能があっても人格がアレじゃあねえ?》

《だいたい人の男を寝取るような女なんて、ロクなもんじゃないのよ!》

 そんな陰口を、これ見よがしに叩く田舎の女たちがいたという。


 こうして葬式は終わった。

 マサコは怒りながら、外で、マッチに火をつけて紙巻きタバコを吸った。

「あのクソアマども、アキコ先輩のこと好き放題に言いやがって!」

「アタシは気にしてねえよ」

 とアキコは答えた。「トミコとアタシの関係だったら、マサコが分かってくれてるだろ。アタシはそれだけで別にいい」

「――え~?」

 マサコは煙を吐いた。「まあ、アキコ先輩がそれでいいっていうなら、あーしもイイんスけど。釈然としないっスねえ」

「なあ、マサコ」

 と、アキコもタバコに火をつけた。

「アタシはさ、トミコが、アタシとアンタを会わせてくれたって思ってるよ。

 ――だから、これからもよろしくな」

 彼女はそう言って手を差しのべた。マサコも少し照れながら、その手を握ったという。

「はいっス! これからもよろしく、アキコ先輩!」

 これからも、いっしょに文学をやっていこう。そうやって肩を抱き合うアキコとマサコを、夫のテッカンは後ろで微笑みながら眺めていたという。


 が、平和な時代はそう長くは続かない。


 1910年、日本にとって衝撃的な事件が起きた。

 大逆事件である。

 当時、日本の法律には次のような条文があった。

「天皇三后皇太子ニ対シ危害ヲ加ヘ又ハ加ヘントシタル者ハ死刑ニ処ス」(旧刑法第116条)

 要するに、皇族に逆らったヤツは全員死刑! という法律である。

 警察はこの法律を悪用し、政府にとって気に入らない社会主義者やアナキストの思想家に対して、無実の罪をデッチあげて逮捕した。そして、ただ思想を書いていただけの文学者に対しても暴力的な尋問・残酷な拷問を加えて、最終的に絞首台にのぼらせていったのである。

 そのなかには、思想家・幸徳シュウスイもいた。全部で死んだのは24名。

 この事実に、文学者たちは大きな衝撃を受けた。ただ自由にモノを思って書いているだけで、平気で殺される世の中が始まったのである。

 当時の日本は日清戦争・日露戦争のなかで、どうすればもっと欧米に追いつけるのかキリキリと考えていたに違いない。

 そしてその方法のひとつが、国内の不穏分子、つまり文学者を弾圧して殺すことだったのだ。


 平和とはほど遠い時代が、少しずつ近づいていた。

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