第24話 夫、与謝野テッカンの旅出(下)
※※※※
こうして、与謝野テッカンは友人を集めて旅の支度をしたという。
ところが、ここで二つの出来事が起きた。まず、石川タクボクは旅についてこなかったという。
北原ハクシュウが、「だがタクボク、てめーはダメだ」と告げたからである。
「がーん!!」
タクボクはショックを受けながら、
「なんでだよォ!? なんでオレはダメなわけぇ!?」
と抗議した。
ハクシュウは、「いや、そもそも」と髪をかいた。
「てめー、ぜんぜん借金を返せてねえだろうが。どうやって旅費を工面するんだよ」
そう言った。
なので石川タクボクは、与謝野テッカンの企画する旅行には参加できなかった。
次の出来事である。テッカンの妻である与謝野アキコは旅についてこなかったと史実には残っている。
「どうして?」
とテッカンは訊いた。「アキコくんが来てくれたら、僕は、とても心強いと思ったんだけどな」
「アタシはトミコの見舞いをしなくちゃいけないからよお。東京からは離れらんねえんだ、悪いな、テッカン先生」
アキコはそう答えた。
「アタシは病気のトミコを見守るから、テッカン先生、アンタがちゃんと文学の仕事をやるんだぜ?」
彼女の言葉に、テッカンは唇をきゅっとひきしめる。
「うん、分かった。アキコくんの夫として、恥じない仕事をしてくるよ。それまでは家のことと、あと、トミコちゃんのことを頼む」
こうしてテッカン率いる九州旅行のメンツからは、石川タクボクと与謝野アキコが外れることになった。
なお石川タクボクは、のちにこんな和歌を残している。
「一度でも我に頭を下げさせし人みな死ねといのりてしこと」
(訳:オレに1回でも頭を下げさせたヤツら全員死ね!!!!)
清々しい和歌ですね、本当に。
代わりに九州旅行に加わることになったのは、木下モクタロウという男と、平野バンリという男だった。
モクタロウは若いながら既にヒゲもじゃの大男で、医学の知識も豊富なインテリだったらしい。
逆にバンリは、中年にもなっていないのに髪の薄さに悩んでいる几帳面な男で、丸眼鏡を何度も両手で直していたという。
もちろん、彼らも歴史に名を残す一流の詩人たちであった。
こうして、与謝野テッカンの九州旅行が始まったというわけである。
生まれたころからインターネットというものがある令和の私たちには分からないかもしれないが、当時、旅行をしてその記録を残すのはとても重要な仕事だった。
テレビもねえ、ラジオもねえ、クルマ(蒸気自動車)もそれほど走ってねえ明治時代において、東京の人間はどうやって地方の情報を知ればいいのか。
文字である。つまり、文学者たちが旅をしてそれを作品に残すということが、日本の隅々でなにが起きているのかを教えてくれたのである。
特に、九州はキリスト教の文化が今でも色濃く残っている土地である。実際に与謝野テッカンたちは、天草四郎時貞の歴史を書き残したり、現地のフランス人宣教師であるフレデリック・ガルニエと交流していった。
ガルニエは地元の人々からは、「パルテア」(神父という意味)と呼ばれていた。
「これはこれはどうも、トーキョーからのブンガクシャが来てくださるなんて、ワタシとしては、とても光栄デス」
ガルニエの挨拶ともてなしに対して、テッカンたちは礼儀正しくおじぎをして話を聞いたらしい。
「僕たちは、日本の文学をひとつにまとめたいと思っているんです」
そうテッカンは言った。「そのためには、こんな風に旅をして、地方の記録を集めるのが大事だと感じているんですよ」
こういう与謝野テッカンたちの旅行は、のちに『五足の靴』というタイトルで本になって人々に読まれることになる。
あまり知られてはいないことだが、この出版は、文学界にキリスト教文化の影響を与えるという点において、とても大きな意味を持った。
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