第23話 夫、与謝野テッカンの旅出(上)
※※※※
とある料理店で、三人の男たちが山盛りの西洋麺(今でいうところのミートソース・スパゲティ)を分け合いながら食べていた。
ひとりは北原ハクシュウ。癖ッ毛と泣きぼくろの目立つセクシーな男。
もうひとりは石川タクボク。バサバサの短い黒髪にひどい目つき、ギザ歯の男。
最後のひとりは吉井イサム。丁寧に整えた髪を気にする几帳面な男だったという。
「しかし、急にテッカン先生に呼び出されるとはなあ」
北原ハクシュウは、西洋麺をもぐもぐ頬張りながら言った。「『明星』の経営も大変だろうに。いったい次はどういう仕事をするつもりなのやら――」
「んなもんオレが知るかよ」
タクボクはフォークを使いながらそう答えた。「そんなことより、カネ貸してくんねえかなあテッカン先生。今月ヤバいんだよな」
「それはてめーの自業自得だろうがよ、バカ」
ハクシュウにそう叱られると、タクボクのほうは「うっげーうぜえ」という表情になった。
「オレに金ェ貸したヤツらがさあ、みんな死んだら、借金ぜんぶチャラになんねえかなあ――」
こういう会話を聞いた吉井イサムは、
「なるわけないでしょ」
と汗をかいた。「貸したお金は帳簿に残るんですから、貸した人が死んでもその親族が取り立てにくるに決まってますよ?
ていうか、早く働いて返せばいいじゃないですか?」
それに対してタクボクは、
「イヤだああああ――! 働きたくねえよおおおお――!」
と叫んだ。
ミートソースが飛び散る。
「だいたいよお、オレぁ、普通に働く気なんかねえから文学やってんだよ! 文字を書くだけで儲かるとか最高すぎんだろ!
そんなオレにマトモなカネの収支を期待するほうがマヌケなんだよ、マヌケ!」
タクボクの暴言に対して、ハクシュウのほうは呆れ返ってしまった。
「だいたいよおタクボク、お前は稼ぐ以上に金遣いが荒いのがよくないんだぜ?」
彼はそう言うと、近づいてきた女給(今でいうところのコンカフェ嬢くらいの地位だったらしい)の腰を抱き寄せた。
「カネっていうのは、女に稼がせればいいだろ?」
「ああん、ハクシュウさま――」
嬢はうっとりした表情で、ハクシュウの頬に唇を近づけたという。いっしょに外でも遊んでいる仲の女だった。
とんだプレイボーイもいたもんだよ、まったく。
吉井イサムはハクシュウとタクボクの両方を見ながら、
(もしかして、今ここに常識人ってぼくしかいないんじゃないのか――?)
と思った。
だが、勘違いをしてはいけない。ここにいるのは全員一流の、歴史に名前を残す詩人たちである。
要するに与謝野テッカンは、そういう男たちを集めて新しい本をつくろう、と考えていたわけだ。
やがて、料理店のドアが開いた。
入ってきたのはテッカンである。
「みんな、待たせてしまったな」
彼はそう言いながらテーブルについた。
そして、
「こんど、みんなで観光旅行に行かないか?」
と言った。
「旅行?」
ハクシュウは首を傾げた。「そんなことのためにわざわざ呼び出したんです?」
「いや、ただの旅行じゃないんだ。ド級の旅行、ド旅行という感じでね」
テッカンはそう言うと、自分のプランを丁寧に説明した。
――新しい文学をつくるために、まず新しい知識を得ることが必要だ。そのために九州に行ってみようと思うんだ。
九州地方には、歴史上、キリスト教の文化の影響が強く残っている。これを見聞きして東京に持ち帰って、文章として残すこと。それが、これからの日本文学にきっと役立つと思う。
「どうかな?」
テッカンはそう提案した。
ハクシュウはカフェ嬢の腰を抱きしめたまま、
「九州ってイイ女いっぱいいるんですか?」
と訊いた。
イサムのほうは、
「ぜひ参加させてください! きっと良い仕事になりますよ!」
と言った。
そしてタクボクはといえば、
「それより先生、カネ貸して?」
と言ったという。
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