第16話 君死にたまふことなかれ(下)


  ※※※※


 特に評論家・大町ケイゲツが激怒したのは、次のくだりだったと言われている。

「すめらみことは、戦ひに おほみづからは出でまさね、」

(訳:天皇サマとやらは、戦場には、自分で行くことはねえんだな)

 これに対してケイゲツは、「許されないだろ! こんな文章は!」と怒り、雑誌に批判を発表。

「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、余りに大胆すぐる言葉」

(訳:家族を大事にしろだと? 妻を大事にしろだと? そのためなら国は滅びてもいいだと? 商人に戦う義務なんかないだと? あまりに言いすぎだ)

 そんな言葉を残している。


 こういう騒動を、山川トミコも大学で勉強しながら眺めていたという。

「聞いた? トミコちゃ~ん!」

 同級生の女の子が話しかけてきた。「与謝野アキコの新作、マジでエグいよ! 有名な評論家のさ、大町先生ってのがさあ、めっちゃキレてるんだって!」

「え、えええ?」

 トミコはびっくりした。

 そうしてページをめくり、与謝野アキコの詩と、それに対する批判文を読んだ。

「アキコちゃん――!」

 とトミコは青ざめた。「こ、こんなこと書いたらヤバすぎだよ! なんで、なんでこんな――」

 彼女がそう言って黙ると、話を聞いていた別のクラスメイトがそっと口を開いてきた。

「でもさあ、私の兄貴もさあ戦争に行ってるんだよ。もしかしたら死んじゃうんじゃないかって、怖くって、寝れない日もある。

 こういう気持ちって、誰かが残さなかったらみんないつか忘れられちゃうよ。文学って、そういう気持ちのためにあるんじゃないの?」

 クラスメイトは、家族写真を片手にそう言った。


 が、大町ケイゲツの批判は止まることを知らない。

「皇室中心主義の眼を以て、晶子の詩を検すれば、乱臣なり賊子なり、国家の刑罰を加ふべき罪人なりと絶叫せざるを得ざるものなり」

(訳:陛下こそ全てという気持ちで彼女の詩を読んでみたまえ。彼女は反逆者だ、国賊だ、処刑すべき悪人だと大声で言うしかない!)


 そして、これに対して黙っている与謝野アキコでもなかった。彼女は、次号の『明星』にこんな反論文を書いている。

「桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、

 またなにごとにも忠君愛国の文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや」

(訳:ケイゲツ先生はすっげえ危険思想だってアタシのことを言ってるけど、今の時代みたいに、戦場で死ね死ね言ってるヤツらは信じられない。

 なんでもかんでも天皇サマのため~、お国のため~、って言ったり、教育勅語とやらを引用して偉そうに批評する連中なんて、そっちのほうが逆に危険だとアタシは思うけどな)

 それから、アキコはこう文章に書いた。


「歌はまことの心を歌うもの」

(訳:アタシの歌には、アタシの本音しか書いてねえよ!)


 今でいうところのSNSのレスバみたいなものが始まったのである。これは、与謝野アキコにとって最初の文学論争だった。

 この状況を心配していたのは、夫・与謝野テッカンである。

 彼は大町ケイゲツと与謝野アキコのやりとりを読みながら、

 ――まずいぞ。

 と思っていた。

 ――売り言葉に買い言葉で、アキコくんが過激な言葉を言ってしまったら日本政府に目をつけられる。そうなったら、文学どころの騒ぎじゃなくなるんだ。

 そう、

 今も昔も、レスバで有利なのは「正直に、誠実に喋っている人間」ではない。「自分の本音を巧妙に隠しながら相手の失言を引き出す卑怯者」が勝つ。

 テッカンは、アキコがその罠にハマってしまうのを不安に感じた。


「これ以上、ふたりをケンカさせたらダメだ!

 ――僕がなんとかする!」

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