第15話 君死にたまふことなかれ(上)
※※※※
「堺の街のあきびとの 旧家をほこるあるじにて」
(訳:大阪の堺って街で商人をしている 古い家の主人だぞ?)
「親の名を継ぐ君なれば、君死にたまふことなかれ、」
(訳:そんな家業を継ぐお前なんだ 頼むから死なないでくれ)
「旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、何事ぞ、」
(訳:中国の旅順が滅びようと滅びまいと、そんなのアタシの知ったことか!)
「君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり。」
(訳:お前は知らないのか、商人の家のルールに旅順のことなんかねえんだよ)
「君死にたまふことなかれ、」
(訳:頼むから死なないでくれ)
「すめらみことは、戦ひに おほみづからは出でまさね、」
(訳:天皇サマとやらは、戦場には、自分で行くことはねえんだな)
「かたみに人の血を流し、獣の道に死ねよとは、」
(訳:そのくせ日本とロシアで互いに血を流して、ケダモノみたいに死ねって命じてやがる!)
「死ぬるを人のほまれとは、大みこころの深ければ もとよりいかで思されむ。」
(訳:死ぬのがヒトの名誉? もしも天皇サマが立派なら、最初からそんなことは思わねえ!)
「ああをとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ」
(訳:弟が戦いに行くんだ。頼むから死なないでくれ)
「すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に、いたましく わが子を召され、家を守り、
安しと聞ける大御代も 母のしら髪はまさりぬる。」
(訳:この前の秋にオヤジが死んだ。未亡人のオフクロは泣きながら、歯を食いしばって息子のお前を戦争に送った。そうして家を守ってる!
日本は平和ってみんな言う、けど、オフクロの白髪は増えるばっかりだ!)
「暖簾のかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を、
君わするるや、思へるや、」
(訳:家に取り残されて泣いている女がいるぞ。可愛くて若い奥さんと結婚したばかりなのに、お前はもうそれを忘れたのか、愛しているのか!?)
「十月も添はでわかれたる 少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき、君死にたまふことなかれ。」
(訳:10ヶ月も離ればなれなんて、女の気持ちを考えてもみろ! お前はこの世にたったひとりだ。その女は他に誰を想えばいい?
頼むから死なないでくれ!)
与謝野アキコはそこまで書き終えると、フラフラと椅子から立ち上がって、夫のテッカンに原稿用紙を全て渡した。
「できた――」
「もう――?」
「ああ、思ってたことはもうぜーんぶ書いちまった」
アキコはそう呟くと、その場にバッタリと、仰向けに倒れた。もう、体力の限界だったらしい。
「アキコくん」
テッカンが慌てて抱き寄せると、アキコのほうは、とっくに眠ってしまっていた。
そうしてこの歌が『君死にたまふことなかれ』というタイトルで、雑誌『明星』に載ることになる。
それは、とんでもないセンセーションを起こしてしまった。特に、愛国主義者からの強いバッシングを受けたのである。
特にその急先鋒は、大町ケイゲツという男、評論家だったと言われている。
彼は『明星』に掲載されていた『君死にたまふことなかれ』を読んで、ページを引き裂くような勢いでブチギレていたという。
「バカな! こ、こんな詩が――こんな詩が許されていいわけがない! 不敬だ! 危険思想だ!」
かつては彼も、『みだれ髪』については好意的な評価を下していた。
「いいじゃないか、女の子の自由を歌うのはいいことだ!」
と言い、アキコに直接応援の手紙を出していたと史実に残っている。
そんな大町ケイゲツが、憤然としていた。
「日本のための尊い戦だというのに、陛下のための戦だというのに、よもや『弟に死んでほしくないからイヤだ』だと!? アホか!」
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