第二章「1905年まで」
第11話 与謝野アキコ、本を売る(上)
※※※※
1901年、与謝野アキコのデビュー作『みだれ髪』が出版された。
これは怪文書事件の影響もあって、まさに飛ぶように売れたという。
「あの不倫エロ女の和歌が出たってのか!?」
「買う買うッ! 絶対エロいだろこんなの!」
「エロソングいっぱいあるんだよ? ぜんぶ読んでシコるぞ!」
こんな風に与謝野アキコの歌集は、異例も異例という感じで、人々に読まれまくった。
そうすると今度は、「アキコって女をデビューさせた与謝野テッカンって男は何者なんだ?」という話になった。
そうして彼らはテッカンが編集している雑誌『明星』を買い漁り、すぐに品切れ状態になってしまったという。
『みだれ髪』の出版は、8月15日のことであった。
東京新詩社と伊藤文友館の共版として発表。
表紙装丁デザインは藤島タケジという男だったという。
女のエロ感情をそのまま詠んだ斬新な作風は、当時、男たちの間で賛否両論を巻き起こしていた。
「エロすぎ! エロすぎ! これが女の解放ってやつだよ! 自由ってやつだ!」
そういう意見もあれば、
「けしからん! 貞淑たるべき婦女がこんなものを書いて、アホヤロウなのかこの女はァ!」
そういう意見もあったという。
つまり、バカ売れってやつね。
だが、この歌集は日本中の女学生たちに恋愛の影響を及ぼしていた。
「そうだ、あたしも好きな人がいるのに我慢してたんだよ! こんど無理やりキスしちゃおうっと!」
「あたしも親に言いつけられたお見合いで結婚しろって言われてた! そんなこと従わなくていいんだ! 好きな男に求婚してやる!」
こうやって、女学生たちは夢中になった。
つまり与謝野アキコは、こういうメッセージを発してしまっていたのだ。
《もうテメエらの自由に生きろ! 因習なんか関係ねえぞ!
それが、ロマンだ!》
全136ページの『みだれ髪』の前文には、このようにアキコが書いている。
「この書の体裁は悉く藤島武二の衣装に成れり表紙みだれ髪の輪郭は恋愛のハートを射たるにて矢の根より吹き出でたる花は詩を意味せるなり」
(訳:この本のデザインはぜーんぶタケジ先生の工夫のおかげだ。衣装のさあ、髪が乱れてるカタチがハートになってるだろ? 恋の形だよ。そこに弓矢が刺さっちまって、根っこから咲いてる花が恋の詩ってわけだ!)
こんな感じで出版された『みだれ髪』は女学生たちのハートをキャッチ。みんなを淫乱にしてしまったと史実には残っている。
とんでもねえな。
当時、こんな批判の評論が残っている。
「此一書は既に猥行醜態を記したる所多し人心に害あり世教に毒あるものと判定するに憚からざるなり」
(訳:マジでこの本はエロすぎる文ばっかり。人によくない影響しか与えない。世界に害があると言っても過言ではないな)
が、逆に、こんな肯定の批評も残っている。
「耳を欹しむる歌集なり。詩に近づきし人の作なり。情熱ある詩人の著なり。
唯容態のすこしほのみゆるを憾とし、沈静の欠けたるを瑕となせど、詩壇革新の先駆として、又女性の作として、歓迎すべき価値多し。
其調の奇峭と其想の奔放に惘れて、漫に罵倒する者文芸の友にあらず」
(訳:僕の耳を傾けさせる歌集だ。これは詩を心得た人がつくったんだろう。情熱がある著作だ。
スタイルが少しゆるいし、静けさが足りないと思うけど、きっと詩の世界を変えてくれる最初の人だ。それに女性だ。僕たちはこれを歓迎すべきだよ。
このリズムの不思議さと思想の自由さ、それを読んで作者の女性を罵倒するようなヤツは、僕とは和歌の友だちになれないね)
上田ビンという詩人の評だ。
こういう賛否両論で、与謝野アキコの『みだれ髪』はどんどん売れていった。
当時、不倫スキャンダルのせいで売り上げが落ちていた『明星』は『みだれ髪』のおかげで逆にバカみたいに買われていったと史実にはある。
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